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2017年09月06日(水) ■ |
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マイブームは、書籍「関ヶ原」(上・中・下) |
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8月下旬から劇場公開が始まった、映画「関ヶ原」(原田眞人監督)。 もちろん原作は、司馬遼太郎著・「関ヶ原」。 実は、原作を若い頃に読み、大変感激したので、映画を観る前に、 もう一度、読み直そうと思い立ち、時間を見つけてはページをめくっている。 しかしながら、文庫本3冊(新潮社文庫刊)に及ぶ、長編。 (上巻(539頁)・中巻(538頁)・下巻(500頁)= 1,577頁)) 表紙の絵は違ったけれど、まさしく私が読んだ書籍も、文庫本だった。 今でもはっきり覚えている、ある感激したシーンが、 いつ頃、登場するのか、今か今かと待ち遠しくもあり、可笑しくもある。 (上巻)初版は、昭和49年6月20日で、既に115刷を重ねている、 ロングセラーというべきこの作品は、 40年以上経った今でも、ドキドキわくわく感は、変わらないが、 「社会」というものを何も知らなかった頃に読んだ感想と、 あと数年で、定年退職を迎える今の私の感想は、もちろん違うのだろう。 そんなことも含めて、今の私が、どのシーンで感激するのか、 それを見届けながら、読み進めてみたいと思っている。 当時は、考えもしなかった「メモを取りながらの読書」も、 今は、私のスタンダードな読書方法だから、 これまた、どんな台詞、表現がメモされるのか、楽しみである。 だからこそ今回は「マイブームは、書籍『関ヶ原』(上・中・下)」を、 「気になる一言」に残そうと思う。 しばらくしたら、映画・書籍「関ヶ原」からの一言が増えるんだろうなぁ。
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2017年09月05日(火) ■ |
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人類の寿命かもしれない |
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映画「オートマタ」(ガベ・イバニェス監督)から。 ストーリー的には、人工知能をもったロボットが、 絶対破れないはずの「第1プロトコル 生物への危害を禁ず」 「第2プロトコル 自他の改造を禁ず」を破り、 人類が滅亡の危機に陥る、といったよくある設定であるが、 人類とロボットが戦い殺し合うのとはちょっと違う。 「人類が核活動を実行した」結果、環境が破壊され住めなくなり、 「そこでは何百年も、有機体の生存不可能だ。 行けるのは、私たちだけ」と、ロボットが言う。 そして「人間にとって、死は自然なサイクルだ」 「人生は、時の一部でしかない。」「人類の寿命かもしれない」 「どの生命体も永遠ではない」「私たちが人類を受け継ぐ」 「私たちを通して、人類は存在する」など、 これから地球を支配するのは「人間」ではなく「ロボット」だと。 それは、人類が核活動を実行し、招いた結果でしょう?、 と言わんばかりに、ロボットが人類を諭すシーンが印象的だった。 観賞後、製作国が「スペイン・ブルガリア合作」と知って、 核保有国に対する批判なのかなぁ、なんて考えてしまった。
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2017年09月04日(月) ■ |
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人間は、救う価値があるものなのか。 |
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映画「ノア 約束の舟」 (ダーレン・アロノフスキー監督)から。 根底に流れている、地球を創造した神が怒って大雨を降らせ、 一度、地球上の生物を絶滅させたうえで、 新たに楽園を作り上げるストーリーは、ほぼ変わっていない。 神から選ばれたノアは、地球全体を考えて、こう結論付ける。 「初めに戻る。楽園に戻る。しかし、人間は不在だ。 人間が楽園に戻ると、また全てをぶち壊すから。 神の裁きを受けて、人類は消滅する」と。 言い換えれば、当時から「人間のズルさ・弱さ」が、 地球を傷めつけてきたことになる。だからこそ主人公、ノアは もう一度、チャンスを与える必要はないと、心に決めていた。 しかし、物語のラストに、こんな台詞が続く。 「神はあなたを選んだ。あなたは人間の悪から目を背けないから。 あなたは、善も見ていて、どっちをとるかを神はあなたに委ねた。 人間は、救う価値があるものなのか。 あなたは選んだ、慈悲を、そして愛を」 「人間に、慈悲と愛がある限り、救う価値はある」と考えを変えた。 さて、この話には続きがある。それが、今の私たちの生活であり、 現代のように、バランスが取れていた地球環境を破壊している人間に、 チャンスを与えたのは、本当に間違いではなかったのか、 こう問われている気がしてならない。さて、その判断は?
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2017年09月03日(日) ■ |
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日本人は、水の音が「雑音」にならない |
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コンサート会場で、一番気になるのは「人の声」。 特に「会話」は、どんなにヒソヒソと話しても耳につく。 そう「雑音」としか言いようがない。 もちろん、高齢者にありがちな「財布の鈴」とか スーパーなどのビニール袋のガサガサ音なども、 意外と会場内に響くことを、私たちは体験として知っている。 それに比べて「滝」とか「せせらぎ」の水の音は、 どんなに大きくても、気になることがなく、 ましてや耳を塞ぎたくなるような音にならない。 私たちの耳には、心地よく聴こえる音の周波数があるのだろう。 そう言えば、母国語の周波数、日本は世界のどの国よりも 相当低いらしい。 それが、英語がマスターしにくい理由とも言われている。 季節ごとに耳にする鳥や虫の鳴き声にも、敏感に反応する力、 これって、太古の昔から、自然と共生してきた証しだし、 日本人であることを「誇り」に感じた知識として、 多くの人に伝えたいことである。
P.S. 意識すると、とてもうるさいんだけど・・ 蝉の鳴き声を聴きながら、読書は出来るんですよ、 不思議なことに。今年の夏、試してみました。
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2017年09月02日(土) ■ |
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きっと私が哀れな抜け殻だからだろう |
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映画「コレラの時代の愛」(マイク・ニューウェル監督)から。 愛をテーマにした作品だったから、愛に関する表現が溢れた。 「春の訪れと共に、あなたへの想いが私を満たします」 「花開いたばかりのバラのようだ」 「恋の雷に打たれ、身も心も燃え尽きてしまった」 「愛は、裸ですること、全て。 腰から上の精神愛、腰から下の肉体愛、分断された愛」 恥ずかしくて口に出来ないような台詞も・・ 「これがどういうものかわからなかったの、とても変な形。 女性のものより不格好ね」(汗) 気になる一言は、622人もの女性と性交渉を重ねた主人公が、 「なぜあなたは女性にモテるんです?」という質問に答える。 「きっと私が哀れな抜け殻だからだろう」 どうして、こんな男性がもてるんだろう?という疑問を抱え、 この映画を観ていたから、妙に納得してしまった。 50年以上前に、恋に落ちた女性を待ち続けた主人公にとって、 600人以上の異性とSEXをしても、心は君のことしか考えていない。 ラストシーン「君のために、純潔を守り通した」と言い切る その台詞で「哀れな抜け殻」という意味がわかった。 この時代の女性にとって「都合のいい男」だったのかも。(笑) この境地になればモテるのかもしれないが、なんだか寂しいなぁ。
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2017年09月01日(金) ■ |
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「ウ〜」だから「目を開く」感じで |
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中学校の同級生だけで結成した混声合唱団「風の会」は、 11月の町芸術祭参加に向けて、月に一度の短時間だけど、 それなりに、一所懸命、練習を重ねている。 実は、これまた同級生のピアノ伴奏も兼ねた指導者の例えが面白い。 以前「息の流れに音が入っていく感じで」とか言われて、 その表現の素晴らしさに感激し、気になる一言に取り上げたが、 その後も「声を前に出すのではなく、後ろに引っ張る感じで」とか、 私の合唱に対するイメージが、だいぶ変わってきたような気がする。 今回は、メロディではなく、「ウ〜」という単語のとおり、 ソプラノやアルトを支える役目の「ウ〜」だったのだが、 彼女の指示は「『ウ〜』だから『目を開く』感じで」だった。 さらに、同じような表現で、 「『ウ〜』だから『目を目の間に音を集める』感じで」と続けた。 確かに「〜の感じ」で歌うと、ちょっぴり上手くなった気がする。 小説でも、例え話が巧いと、す〜っと頭に入ってくるように、 音楽でも、美術でも、もしかしたらスポーツや、料理でも、 例えが巧いと、イメージが伝えやすいのかもしれない。 例え話が上手くなるコツは、やはり語彙が多くなくてはダメだし、 誰でも最初から巧いわけじゃないから、何度も試して、 自分にしっくりくる例え話を増やしていくしかないな。
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2017年08月31日(木) ■ |
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ゴンベ・・カピゴン・・ゴン中山 |
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映画「劇場版 ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 烈空の訪問者 デオキシス」(湯山邦彦監督)から。 ストーリーとあまり関係ないところで、カビゴン登場。 カビゴンは「食べて寝ての繰り返しで、1日が終わる」 「大きなお腹の上を遊び場にしている子どもがいるほど大人しい」 そんな愛嬌のあるポケモンだが、進化前は「ゴンペ」というらしい。 物語には「ゴンベ」として登場するシーンが多く、 その「ゴンベ」がサッカーボールを蹴るシーンが可笑しかった。 「ゴン中山」こと「中山雅史さん」にそっくりだったから。 原作のことはあまりよく分からないけれど、 もしかしたら、モチーフは「ゴン中山」?と疑いたくなるほどだ。 今まで、単なるアニメ・ゲームのキャラクターが、 知らない間にハマって、名前をほとんど覚えてしまったから不思議だ。 「ポケモンGO」を知ってからの私は、アニメに夢中の人たちも、 スマホゲームに夢中の人たちも、理解できるようになった。 やっぱり食わず嫌いの人生を、楽しみを半減にするよなぁ。
P.S. 「ピカ、ピカチュウ」としか話さない「ピカチュウ」は、 サザエさんの「イクラちゃん」を彷彿させるキャラクターだな。
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2017年08月30日(水) ■ |
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ジャズの素晴らしさは、耳だけじゃ分からない。目でみないと。 |
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映画「ラ・ラ・ランド」(デイミアン・チャゼル監督)から。 大きなタイトルを獲得したミュージカル映画と認識しつつも、 冒頭「車の上で踊るシーン」に違和感を覚えて観始めた。 (いくら演出と分かっていても・・) メモが増えたのは、ストーリーとは関係ないのかもしれないが、 主人公のひとり「セバスチャン」が、「ジャズ」について、 滔々と語るシーンである。 「サッチモは、与えられた曲を演奏せずに、どうしたと(思う)?」 「(彼は、曲を作らず)、歴史を作った」と胸を張る。 「ジャズは、ニューオーリンズの安宿で生まれた。 言葉の違う人たちが会話するための唯一の方法がジャズだった」と その発祥地を誇りに思いながら、その醍醐味を伝える。 「ジャズの素晴らしさは、耳だけじゃ分からない。目でみないと。 例えば、彼をみろよ。サックスは今、曲を乗っとってる。 皆が自分の思いどおりに曲を解釈して演奏する。 今度は、トランペットの番だ。そうやって、音をぶつけ合い歩み寄る。 だから、演奏するたびに新しい。たまらなく刺激的だ」 そういった視点で、ジャズを聴いたことがなかったので参考になった。 このフレーズを確認するために「ジャズ・バー」行こうかなぁ。
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2017年08月29日(火) ■ |
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24時間営業の美容院 |
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働く女性の方々と話していて、そんなの需要があるの?と感じたこと、 それが「24時間営業の美容院」。 話の始めは「24時間営業のコンビニなどが乱立するのに、 どうして、美容院はないのかねぇ」だった。 ちょっと極端だけど、話を要約すると、 もう少し遅くまで開店している美容院が欲しいらしい。 そんなの仕事が休みの日に行けば良いのに・・と思うのだが、 訳を訊くと、せっかくの休み、美容院に時間を費やすのが、 勿体ないらしい。 たまには家の仕事もゆっくりやりたいし、自分の時間も持ちたい。 だから、美容院は休日の時間の使い方としては、 優先順位が低いのだろう。 平日、仕事の帰りに、美容院に寄れれば、申し分ない。 そんな気持ちが伝わってきて、なるほどなぁ・・とメモをした。 まぁ、こういったビジネス、需要と供給のバランスだけど、 そういう女性が増えれば、ビジネスとして成り立つ気がした。 働く女性は、それだけ時間が貴重なんだろうなぁ。
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2017年08月28日(月) ■ |
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撮りますよ。はい、アロハ |
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溜まってしまった「スパリゾート・ハワイアンズ」メモから。 (静岡県外だと、気付きが多く、一言ネタが増えてしまう。(汗)) さすがに、南国・ハワイをイメージした施設とあって、 従業員も、施設利用者もアロハシャツを着用し、 その徹底ぶりは、楽しい雰囲気を醸し出していた。 その1つが「記念写真」の合図。 「はい、チーズ」を「はい、アロハ」に変えただけ。 だけど、それだけで面白くて、笑顔になってしまう。 2回目からは、撮影されている人たちが一斉に 「はい、アロハ」を口にして、またまた大笑いとなった。 とてもシンプルでありながら、アロハの「ハ」の口の形は、 口角が上がるわけではないのに・・と、思いながら、 撮影された写真の口の形が気にかかる。 でもいいなぁ、こういうシンプルな合図。 「はい、○〇〇」・・う〜ん、浮かばない。(汗)
P.S 以前紹介した「撮りますよ、はい、三島の『み』」もいいな。 どうせなら、わが町は、みんなで口を開けて、驚いた顔になる 「撮りますよ、はい、湧き水の『わ』」にしようかな。(笑)
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