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しもさんの「気になる一言」
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2017年10月18日(水)
なんとも紛らわしい「24」の看板なんだ

時々「情報交換会」と称する「単なる飲み会」が、
日付が変わりそうな時間まで盛り上がると、
酔った勢いに任せて「本当に歩いて帰るの?」の声を背に受け、
帰宅途中の「コンビニ」や「ドラックストア」でコーヒーを買い、
酔い覚ましをしながら歩くのが習慣となっている。
(時には、我慢できないトイレをお借りすることも・・(笑))
先日も「24」の看板を遠くから見つけ、楽しみに近づいたら、
なんと、閉まっていた。
「24時間営業じゃないの?」と、ほろ酔い気分で看板を眺めたら
「24時まで」だった。(汗)
なんとも紛らわしい「24」の看板なんだ、と1人で呟き、
自販機の「缶コーヒー」を飲みながら、メモをした。
こんなことまでメモする自分が可笑しかったが、
以前は「中畑清選手」「高橋由伸選手」の背番号だった「24」が
やっと「時間」として認識するようになっただけでも進歩だな。
街を歩くと「看板」ばかり目についてしまう私。
だから、メモがどんどん増えてしまう、いいのかなぁ。



2017年10月17日(火)
108?、消費税込み

映画「彼らが本気で編むときは、」(荻上直子監督)から。
う〜ん、なんだか違うなぁ・・という感想で鑑賞を終えた。
ではどこが違和感なのか、と訊ねられても、うまく表現できない。
ただ、市民権を得てきた性的マイノリティの「トランスジェンダー」が、
一昔前に逆戻りしてしまった感覚なのかもしれない。
性的マイノリティの人たちを「変態扱い」する時代はすぎたし、
「マツコ・デラックス」さんらの活躍をみれば、違和感は感じない。
今時の小学生が、黒板に「オカマ」という単語を大きく書きだし、
彼・彼女らをいじめの対象にするのだろうか?、それさえわからない。
そんな中で、久しぶりに笑えたメモをご紹介。
トランスジェンダーのリンコは、男性の性とオサラバする儀式として、
毛糸で、男性のシンポルの形をコツコツと編み続け、
「これを108個作ったら燃やすの」と、ある少女に呟く。
それを聞いた彼女が「108?、消費税込み」と返す。
「人間の煩悩の数」「除夜の鐘も108}」「数珠の珠の数も108」
こんな説明よりも「消費税込み」の方が、私にはウケた。
このネタ、またどっかで使わせもらおうっと。



2017年10月16日(月)
庶人には勘がある。

書籍「関ヶ原(中)」(司馬遼太郎著・新潮文庫刊・538頁)から。
当時の「江戸」の様子について、語られる場面がある。
「庶人の数が、増える一方だそうだ。
諸国からこの新興都市をめざして馳せあつまってくる庶人の数は、
あるいは増加率は、京大坂をはるかに凌ぐであろう」
「庶人には勘がある。江戸へくれば職がある。
物が売れるという目さきの利益だけでなく、
江戸がやがては天下の中心になることを、
かれらは皮膚で感じとっているのではあるまいか」という部分。
これは、今の時代にも言えるのではないだろうか。
天下を取るまではいかないが、移住、定住を決める理由として、
将来、その地域の中心になるかどうか、は大きな判断材料だろう。
中心になると、物だけでなく、多くのものが集まってくることを、
庶人(庶民)は、五感で感じているということだ。
それは「人材」であったり「情報」であったりする。
それがまた躍動する契機となり、ますます活性化が進む。
だからこそ、地方には人を集める仕組みが求められるのだろう。
現実のものとして、今でも首都・東京に人が集中しているのは、
その「庶人(庶民)の勘」が働いているに違いない。
「庶人(庶民)の勘」って、結構当たるんだよなぁ。



2017年10月15日(日)
「映画」になれば、「原作」など木っ端微塵

映画「関ヶ原」(原田眞人監督)から。
書籍「関ヶ原」(上・中・下)(司馬遼太郎著・新潮文庫)を
読み切る前に、待ちきれず鑑賞してしまったが、
全くの別もの、という感想を持った。
逆に、原作者の司馬遼太郎さんが生きていたら、
決してOKを出さなかったんじゃないか、と思うほどだった。
あの長編を149分にするところから無理があるのだから、
映画「64 ロクヨン」のように「前編・後編」に分けるとか、
小説のように「3部」に分けるとか、して欲しかった。
それでも「世の中、正義では動かぬ」
「将の上の将になるには、正直すぎる」
「戦さになれば、正義など木っ端微塵」
「動かぬ大軍を動かすことが大将の務め」などをテーマに
「気になる一言」を書こうと思ったが、それさえも気が引けた。
台詞も早口で、なおかつ方言交じりで、うまく聞き取れない始末。
申し訳ないけれど「戦さになれば、正義など木っ端微塵」をもじって
「『映画』になれば、『原作』など木っ端微塵」を残したい。
これだけ期待を外されたのは、珍しいなぁ。(期待しすぎ?)



2017年10月14日(土)
俺は薄化粧より、これでもかってくらいの厚化粧がいいな

農業関係者に随行する形で、山梨・長野へ視察研修に出かけた。
移動手段がバスのため、私の耳にはいろいろな声が耳に入ってきて
それぞれに対して、笑ったりメモしたり、楽しい車中となった。
今年は初冠雪が遅いなぁ、と雪なき富士山を眺めて呟く人に、
バスガイドさんが、富士山を神体山としている富士山本宮浅間大社に
祀ってある「木花咲耶姫」(コノヤサクヤヒメ)を説明しながら、
「祭神が女神ですから」と前置きをして、
富士山は「すっぴんより化粧していた方がいいね」と投げかけた。
「雪のない富士もいいけれど、やはり薄い雪化粧が似合う」
そんな意味に理解し、なるほど、うまいこと言うな、とメモしながら、
以前覚えたことがある「トンコ節」の替え歌、(富士五湖バージョン)
「富士のお山はオシャレもの。前に五つの鏡をおいて
朝な夕なの薄化粧 みなさん来るのを待ってます。
ねぇ、おいで、おいで」の歌を思い出していたら、
もっと面白いことを言った男性がいて「気になる一言」となった。
「俺は薄化粧より、これでもかってくらいの厚化粧がいいな」
もちろん、富士山の雪の話なのだが、メモだけ見ると可笑しい。
そう言う私は、すっぴんも、薄化粧も、厚化粧も大好きだよ。
(もちろん、富士山の雪化粧の話です。(笑))



2017年10月13日(金)
ここが「川」の始まりです

柿田川公園に欲しい看板シリーズ。(笑)
柿田川公園の第1展望台は、国道1号の真下にあり、
湧いている様子が目の前で見ることができる。
「世界遺産の富士山に降った雪や雨が、地下に染み込み、
約28年の長い時間をかけて、ここで湧き出します、
だから、正真正銘、ここが柿田川の始まりなんですよ」
と説明したら、ある方が私にこう教えてくれた。
「国道1号の真下から、これだけの水が湧いているのも凄いけれど、
なんと言っても、川の始まりがわかる川ってすごいですよ」と。
本来、川というのは、山の絞り水のようなものが少しずつ集まり、
だんだん河口に近づくにつれて、広くなっていくのが常識のようだ。
だから「ここが川のはじまりです」と言い切れる「柿田川」が面白い、
そして、少しずつ増えるのではなく、一気に川幅50メートルくらいの
一級河川となる、それも全て湧水、これまた面白い、ということ。
どうして「ここが『川』の始まりです」って看板つけないんですか?
そう言われた気がする。
「あなたは『川』の始まり、見たことありますか?」
そんなキャッチコピーが浮かんできた「柿田川」である。



2017年10月12日(木)
現代の日本における選挙の前の多数派工作に似ている

書籍「関ヶ原(上)(中)(下)」(司馬遼太郎著・新潮文庫刊・1577頁)から。
主にお風呂の中で湯舟に浸かりながらページをめくり、やっと読み終えた。
いろいろな対決が、この「関ケ原」の登場人物に当てはめると、
不思議なくらい、三成はあの人だな、家康はあの人がピッタリ、と感じ、
1人で、想像が膨らみ、不謹慎にもニヤニヤしてしまった。
戦いのシーンはわずかなページで、ほとんどは、各大名の心の動きが中心。
これが、この小説の面白いところであり、映画には表現できない部分でもある。
下巻の巻尾に、日本の国際政治学者の「高坂正堯」氏の解説も、見事であった。
「昭和49年6月30日発行」だから、40年以上前に書いた解説だろうか。
ちょっと長いが、今だからこそ・・の話題として紹介したい。
「関ヶ原の戦いは、軍事的な決戦という性格よりも、政治的な争いという性格の強い
ものであった。すなわち、いかに多くの大名たちを集めうるか、
また、一応集まった大名を、味方に関しては惹きつけ鼓舞し、
敵方については、切り崩すという政治的策謀の成否が関ヶ原の戦いを決した。
関ヶ原に至る状況は、現代の日本における選挙の前の多数派工作に似ている。
たとえば、やがては首相となる自民党の総裁を選出する前の多数派工作、
あるいは、各政党が複雑な形で提携して戦う地方自治体の首長選挙の前の多数派工作と、
それは驚くほど似ている。ただちがうのは、戦闘の代わりに投票があり、
そして負けたものがそうもひどく扱われないといった点だけである」
「三極化」と言われている、今回の衆議院選挙。
水面下で、どんな多数派工作が行われ、味方なのか、敵なのか、
それさえも手探り状態で解散してしまった感じさえする。
さて、どんな結果が待っているのやら。
西軍、小早川秀秋のような、政治家が現れるのかどうか、
これまた注目の選挙である。選挙中に、是非、一読をお勧めする。



2017年10月11日(水)
本当のCIAだったら、CIAだと言うか?

映画「王様のためのホログラム」(トム・ティクバ監督)から。
鑑賞後、台詞のメモも少なく、何を伝えたかったんだろうか、と
考え込んでしまったくらい、何も印象に残らなかった。(汗)
コメディでもないし、ラブストーリーでもないみたい、
なんだか、中途半端感が残った作品になってしまった。
その中で、敢えて探すとしたら、
「3Dホログラム」をプレゼンする現地のサウジアラビアで
「CIA局員」と勘違いされ、銃を向けられた場面。
その前に「CIAか?」と訊かれ「フリーだ、局員じゃない」と
ジョークで返したら、そのジョークが伝わらなかったらしい。
その彼らに「『CIAじゃない』と証明するには?」と詰め寄られ
「本当のCIAだったら、CIAだと言うか?」と答えて難を脱する。
こんな事ありえないだろうし、サウジアラビアの人たちに失礼だ、
そんな感想までもってしまった。
サウジアラビアの国王だから、いつ会えるかわからない・・、
という設定自体が、今の時世にあってない気がするからだ。
タイトルの「王様のためのホログラム」の映像は、ほんの僅か。
仕方ないから、意味不明な作品だった、と残しておきたい。
主演「トム・ハンクス」に騙されちゃったかな。(笑)

P.S.
ラストに教訓めいた「生きる力を待て。再び自分の強さを感じる」
「まだ時間はある。時間は必ずある」が、キーなのかな?



2017年10月10日(火)
「常識」は変化し「良識」は変化しない

以前、紹介した、私が記録したのに覚えていないメモを、
どんなフレーズですか?という、問合せのメールが届いた。
恥ずかしながら、メモの一つを紹介すると・・・
「『常識』は変化し『良識』は変化しない」
改めてインターネット等で調べてみると、
多くの方が、この違いについて、書き込んでいた。
「常識」とは「世界の変化とともに変わっていくもの」
「良識」とは「世界の変化の中でも本質は変わらないもの」
だから昔「常識」は、今では通用しないこともあるが、
昔からある「良識」は、今でも「良識」として残っている。
使い方としては「常識ないけど、良識はあるよね」。
その解釈を拾ってみると、
「アホだけど一生懸命やるよね」
「知識的な意味での常識は無いけど気遣いはできる」
「物知らずだけど考え方はまとも」
「やってることはおかしいけれど、悪どいことはしない」
「めちゃくちゃだけど、根は優しいんだね」など、
中には「善意は認めるが空気を読め」という解釈も。
たぶん、そんな話をしていた時にメモしたんだと振り返る。
これからは、翌日読んでもわかるようにメモを残そうっと。



2017年10月09日(月)
井伊の赤備え

静岡県立美術館の企画展「戦国! 井伊直虎から直政へ」から。
2017年NHK大河ドラマ「おんな城主・直虎」を観ているからか、
展示の前半部分は、今までのストーリーを振り返るようで、
予想以上に楽しめた。
貴重な古文書、刀剣・甲冑などの武具、絵画といった、
多彩な作品が展示されており、よくこんな状態が良いまま、
残っていたなぁと、感心するばかりであった。
後半部分は、NHK大河ドラマと呼応するかのように、
「井伊直政(虎松)」が「徳川四天王」と評価されるに至った、
その活躍ぶりが、いろいろな角度で表現されており、
その井伊直政を育てた養母が「直虎(次郎法師)」となる。
ただし「直虎(次郎法師)と直政(虎松・万千代)の間に、
実母に代わる母子関係があったわけではないから、
「養母」とは直政の前代の当主という意味と理解するらしい。
(番組では「後見」となって居たかもしれない)
今回の展示で印象的だったのは「赤色」が溢れていたこと。
兜や鎧を始めとする戦で使用する全ての装備品を、
赤色で統一した「井伊の赤備え」は、見応えがあった。
これだと、戦場でも目立っただろうなぁ。