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しもさんの「気になる一言」
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2017年10月28日(土)
イワシが沢山いるから、鮎が減っている

秋本番を迎え、もうしばらくすると、
アユが産卵のために、柿田川に遡上してくる。
それを楽しみに「今年はどうですかね」と訊ねたら、
「イワシが沢山いるから、鮎が減っている」と言われた。
その意味を理解するのに、ちょっと時間がかかったが、
要は、こういうことではないか、と理解した。
駿河湾は、良質なシラスが多く、量も豊富。
一説には「駿河湾6000トン、愛知、神奈川600トン」と言われ、
その豊富なシラスを狙って、イワシが集まってくる。
その時、シラスと一緒に飲み込んでしまうのが、アユの稚魚。
だから、イワシに飲み込まれる量が多ければ多いほど、
今年、柿田川に遡上してくるアユは少ない、という理屈だ。
また、上ってきたアユをめがけて、サギややカワウなどが、
入れ喰い、食べ放題の状態で待ち受けている自然環境を、
アユが察知すれば、子孫繁栄を前提に、危険回避策として、
上ってこないことも予想される。
いろいろな条件が重なって、柿田川の最上流部が、
アユのオスが真っ黒に埋め尽くされる遡上から始まり、
運が良ければ、柿田川公園(舟付き場)で目にすることができる、
アユの産卵シーンまで、これから楽しみが増えてくる。
まずは、公園エントランス付近の樹木の紅葉からだな。
(公園駐車場、シンボルツリーとなっているイチョウも・・)
毎日、職場への通勤路として公園内を歩いている私のお知らせ、
どこよりも早く、柿田川ファンにお伝えできれば、と思っている。
お楽しみに。



2017年10月27日(金)
何一つ不自由のない、ここの暮らし。吐き気がする。

映画「LION ライオン 25年目のただいま」(ガース・デイビス監督)から。
予告編が語りすぎていて、なんとなくストーリーが想像できてしまう、
それってどうなんだろう?と思いながらも、逆に安心して鑑賞できた。
優しい養父・養母に育てられ、素敵な彼女もいながらも、
小さい頃育ったのインドでの記憶がフラッシュバックして、
主人公の口からこんな台詞が飛び出した。
「何一つ不自由のない、ここの暮らし。吐き気がする」
今の私たちの生活は、インドのスラム街での生活に比べたら、
比較できないほど豊かであることは認めるが、
「吐き気がする」ほどのことではないだろう、とメモをした。
貧しい生活をしている人たちは、不自由ない生活に憧れ、
何一つ不自由のない暮らしをしている人たちは、
もっと貧しい人たちのことを知るべきだ、ということなのだろうか。
Google Earthで故郷を探し出せたことは、豊かな生活の成果、
そんなことを感じながらも、最後の再開シーンは涙腺が緩んだ。
実話に基づく作品とはいえ、エンドロールでの「実写」挿入は、
一気に、ドキュメンタリー映画にしてしまうので参ったな。
放題タイトルも原題どおり「Lion ライオン」でいいのに
「25年目のただいま」が加わることで、面白みを失ったなぁ。
映画「3月のライオン」(大友啓史監督)と公開時期が重なったことは
ちょっとハンデだったけれど・・。



2017年10月26日(木)
どうして自治体同士が競ってるんだろう?

久しぶりに、最近、特に感じることを残しておこうと思った。
それが「どうして自治体同士が競ってるんだろう?」
私が奉職した頃(昭和56年)を思い出しながら振り返ると、
今のように、著しく他の自治体と比較したり、
競ったりするようなことはなかった気がする。
それは、行政職員だけでなく、そこに住む住民もしかり。
しかし、昨今の自治体間競争は、ふるさと納税だけでなく、
産業・観光を始め、イベント、子育て、移住定住促進政策など、
あらゆる分野で、競っている気がする。
それが住民の活動にも反映され、Twitter、Facebookなど、
自分の住むまちが一番好き、という投稿が繰り返されている。
そんな投稿を目にするたびに、個人的な人間関係と同じように、
ギスギスしたものを感じるのは私だけだろうか。
利益を追求せず、公平・公正を基本としていたはずの自治体が、
マスコミに取り上げられることを目標にしてしまったようだ。
同じ地域で行政運営を進め、歩調を合わせてきたはずなのに、
どうしてこんな関係になってしまったのだろう。
国全体、地球全体から考えれば、本当にちっぽけな地域だし、
もっともっと、助け合いながら・・とはいかないものなのかな。



2017年10月25日(水)
「口を大きく」ではなく「口の中を大きく」

中学校の同級生だけで結成した混声合唱団「風の会」を、
同じ同級生というよしみで指導してくれている彼女が、
素人の私たちにアドバイスした台詞。
「口の中を大きく開ける感じで」
今までも「口を大きく開けて」とアドバイスされたと思い、
小さな口を、大きく開ける事に意識を注いできたけれど、
どうやら違っていたようだ。(今頃?と言わないで。(汗))
彼女が求めているのは、大きな声を出すのではなく、
口の中で音を反響させるというか、そんな感じらしい。
その発声の仕方が、音を響かせるコツのようだ。
実際にやってみると、口の中を大きく開けることで、
自然と口も大きく開けることになってしまう。
えっ、合唱の声の出し方って、こんなことだったの?と
思うくらいの気付きだった。
「息の流れに音が入っていく感じで」というアドバイスも、
そのうち、こういうことだったのか・・と気付く時がくる。
そう信じて、これからも続けていきたいと思う。



2017年10月24日(火)
その前に輝いて、その光は今も宇宙を旅してる

映画「インポッシブル」(J・A・バヨナ監督)から。
「impossible」の意味は「不可能な・無理な」
「とてもありえない・信じがたい」など。
2004年のスマトラ島沖地震で発生した津波にのまれ、
離れ離れになりながらも、最後には再会した家族の実話、
その事実が「信じがたい」のだろうか。
東日本大震災のあとに公開されたからか、津波の再現映像は、
見るに堪えなかった。(「映画」とは割り切れないものがある)
私たちは、津波が人々に襲いかかるシーンを見ることもなく、
ヘリコプターなど上空から撮影された映像をテレビで見て、
「すごい、すごい」と驚きの声を挙げていたにすぎなかったな、と
妙に、自己嫌悪に陥ってしまった。
もし「気になる一言」を選ぶとしたら、
家族が災害によって死んだことを子どもに納得させるシーンで
夜空に浮かぶ星を眺めながら話した会話。
「この中にはね、ずっと前に燃え尽きてる星も・・知ってた?」
「死んだってこと?」「そうよ」
「でも、その前に輝いて、その光は今も宇宙を旅してる。
だから、見てるの」「死んだか、生きてるか、見分けられる?」
「それは無理ね。素敵な謎じゃない?」「うん・・」
こんな会話のできる人って、なかなかいないよなぁ、とメモをした。
既に燃え尽きているのに、まだ私たちの目には光が届いている。
それが、偉人たちの伝記かもしれないなぁ。

P.S.
それでも敢えて言うなら、津波で家族を失った人は観ない方がいい。
「impossible」には、耐えられない、我慢できない、どうしようもない、
手に負えない、などの意味もあるのだから。



2017年10月23日(月)
定年退職まで、実質「365日」

私の最近の楽しみは、PCの表計算で作った「あと○○日」。
数字大好き、カウントダウン大好きの私らしいと、独りで苦笑い。
今日は「平成30年元旦まで、70日」「60歳まで224日」
「平成30年度スタートまで160日、休日を除く実質109日」
そして、一番関心ごとだった
「定年退職まで525日、休日を除く実質365日」が目に付いた。
実質とはいえ「1年」に相当する「365」という数字は、
プラス思考で「まだ365日もある」と考えればいいのだが、
やはり「あと365日しかない」という想いが、頭をよぎった。
もっとリアルにいうと「課長」と呼ばれるのも「365日」だし、
飲み会で祝儀を出せるのも「365日」というわけだ。(笑)
何十年もの間、毎日「気になる一言」を書いている私は、
「365日」の短さが、実感としてわかる。
たぶん「あと100日」を迎えたら、こんなことも書かずに、
本当のカウントダウンを楽しんでいるに違いない。
でもこんな話をすると、我が課のスタッフには、
「課長、何くだらないこと数えてるんですか、
もちろん、最後まできっちり働いてもらいますよ」って、
言われちゃうんだよなぁ、きっと。



2017年10月22日(日)
勝つ勝たぬは、毛利家がどちらにつくかによってきまる

書籍「関ヶ原(中)」(司馬遼太郎著・新潮文庫刊・538頁)から。
(上)(中)(下)、合計1,577頁に及ぶ長編は、実はこの(中)がいちばん面白い。
全国の各大名が、いろいろな思惑を抱え、西軍・東軍、どちらにつくか、
それぞれのお家事情も考慮しながら、究極の選択を迫られる。
特に、西軍の諸大名が、東軍・徳川家康側に寝返る様子は、
物語とはいえ、目を覆いたくなる。
家康から寝返りを持ちかけなくても、自ら申し出る大名の多さに驚いた。
これでは、戦いが始まる前から、勝負は決していた、とも言える。
しかし現実は、彼らが東軍に寝返らなければ、西軍が勝利した可能性も高い。
これまた、今回の選挙と似ている。
「公認、推薦」などを受けていても、実は、誰もわからないということ。
「あなたを応援しますよ」と言いながら、対立候補の名前を書くことだって、
実際にはありえることだし、そのまた逆も然りである。
今回、面白かったのは、毛利家の判断。
「(この戦さ)、勝つ勝たぬは、毛利家がどちらにつくかによってきまる。
それゆえ、いまここでそれを決めるわれら二人が、勝負の予想をするのは滑稽だ」
という台詞が示す通り、西軍の大大名である「毛利家」が、どちらにつくかによって
関ヶ原の勝敗が決まるというのに、当の毛利家の中では、まこと真剣に、
どちらが勝つか予想し、勝つ方につこうと決めかねている様子は、
第三者的に観察している読者としては、笑わずにはいられない。
けれど、本人たちは、本領安堵するにはどちらに味方すればいいのか、
真剣に考えた末、どちらにもつかない、という決断を下す。
これこそ、西軍が負けた原因の一つであろう、と私は思うのだが。

P.S.
さて、衆議院議員選挙は、どんな結果が待っているのやら。



2017年10月21日(土)
よし、やった、やったぞ!!・・・まぁ、当然だな

映画「M:i:III」(J・J・エイブラムス監督)から。
往年の人気TVドラマ『スパイ大作戦』をトム・クルーズ主演で
映画化したサスペンスアクションシリーズの第3弾。
お決まりの、手に汗握るアクションと、切れ者のチームメンバー、
大ドンデン返しの結末に、ハラハラドキドキは変わらない。
しかし今回は、冷静なはずのチームメンバーが、
一瞬興奮するシーンがあった。
トムクルーズ扮するイーサン・ハントが、
高層ビルの屋上から、距離の離れたビルの屋上へ飛び移る、
危険きわまりのないシーンなのだが、彼が成功した瞬間、叫ぶ。
「よし、やった、やったぞ!!」・・・そしてしばらくして、言い直す。
「まぁ、当然だな」。(冷静さを取り戻したように・・)
このギャップが私には面白かった。
成功を信じてはいるものの、それほど難しい挑戦だったことが
この台詞で、ひしひしと伝わってきたから。(脚本の妙だなぁ)
「世の中はテクノロジーで滅びる」
「わかっていると思うが、バチカンはバチカンだぞ」
こんな台詞も、私のメモに残された。
「IMF」って「極秘任務実行部隊」の略だったんだなぁ。(笑)



2017年10月20日(金)
宮西作品の絵本翻訳は本当に難しいなぁ

絵本作家の宮西達也さんが、今回、アメリカに出かけ、
何箇所かで、自作の絵本を読み聞かせするというので、
気の置けない仲間が集まって、英訳に挑戦したが・・
予想以上に難しかった。(汗)
彼の作品の多くは「パクパク」「カチカチ」を始め、
「ダダダ・・」とか「ドドド・・」とか「キラキラ」など、
英語にすると、その感覚が違ってしまう言葉が溢れ、
そのたびに、全員で「スマホ」「電子辞書」を片手に、
ああでもない、こうでもない、と頭を悩ませることととなった。
そう、絵本は擬声語、擬態語のオンパレードであり、
その繰り返しで、子供たちは楽しくページをめくる。
擬声語は「ニャンニャン、カーカー」「トントン・ざわざわ」など、
事物の音や人・動物の声などを表す語。
擬態語は「ピカピカ、キラキラ」など、
物事の状態や様子などを感覚的に音声化して表現する語。
わかっていても、その国の言葉に直すと、イメージが変わってしまう。
その場にいた仲間が口を揃えて発した言葉は
「宮西作品の絵本翻訳は本当に難しいなぁ」だった。
特に「うんこ」とか「は〜い」なんて作品を、アメリカの子供たちが、
どんな反応するか、帰国後の報告を楽しみにしたい。

P.S.
宮西さん、「おっぱい」だけは読み聞かせしないほうがいいですよ。
犯罪になったらまずいですから・・は、私たちからのアドバイス。(笑)



2017年10月19日(木)
三成はかみそりであっても、鉈や斧ではないのだ

書籍「関ヶ原(中)」(司馬遼太郎著・新潮文庫刊・538頁)から。
「(大阪にいる東軍の大名たちの)人質をおさえるおさえぬかで、
この戦いの勝負が決まる」と、石田三成は考えた。
しかし、人質であった細川忠興の妻、細川ガラシャが自害した報を耳にして、
その作戦が「愚であることをみずからさとった」として、
「気がつけば、すぐ転換することだ」と、人質作戦を中止した。
その時の判断を、作者は表現している。(信長・秀吉なら)
「とった以上は、その間、細川夫人のような事態がぽつぽつしても、
おどろかなかったにちがいない。
無視し、黙殺し、あくまでもその政策を推しとおし、すくなくとも、
『驚いて中止する』というようなことはなかったであろう。
智謀は、あるいは治部少輔様のほうがすぐれているのかもしれないが、
そこがちがうのだ。やはり器量のちがい、というほかないかもしれない。
刃物でいえば、三成はかみそりであっても、鉈や斧ではないのだ。
鉈や斧ならば、巨木を伐り倒して、どのような大建築を作事することができるが、
かみそりはいくら切れても、所詮はひげをそるだけの用しかできない」
厳しい言い方だが、非常にわかりやすい。
大将には「泰然自若」としていて欲しいのは、いつの世も同じである。