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2018年01月24日(水) ■ |
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戦略とは組織論。戦術は方法論。 |
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書籍「野村の金言」(野村克也著・セブン&アイ出版刊・189頁)から。 タイトルを書き出すだけでも、メモで溢れた。 しばらく、この「金言」からの一言が増える予感がするが、 まずはじめに選んだのは「戦略とは組織論。戦術は方法論」 戦い・競争が生じると必ず「戦略」「戦術」という単語が飛び交うが、 果たして私たちは、しっかり理解しているだろうか?と感じていたので、 この説明がわかりやすかった。 「戦略とは、長期的視野をもってチームをどう編成し、 強化していくのかという組織論である。 一方の戦術は、場面ごとにどのような作戦を用い、 どう戦うのかといった方法論。」 全く違う単語を、私たちは「戦略・戦術」と一括りにして使い、 あたかも「戦略・戦術のプロ」みたいな評価をするが、 それは、大きな間違いだと気付いた。 戦国時代、名参謀と呼ばれていた「竹中半兵衛」「黒田官兵衛」 「島左近」らは、「組織論、方法論」、両方に長けていたことなのか、 もう一度、歴史を振り返りながら、再評価してみたい。 戦略(組織論)のプロ、戦術(方法論)のプロを抱えながら、 その業界で戦って行くことが必要だとも言える。 さすが、野村監督だなぁ。
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2018年01月23日(火) ■ |
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「外来種駆除」「柿田川ビジターセンター」「水みくじ」 |
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先日、同日に、新聞・ラジオなど、マスコミを通じて、 「柿田川(公園)」に関する記事が、3件も同時に採り上げられた。 「外来種駆除」「柿田川ビジターセンター」「水みくじ」 いろいろな角度から「柿田川」という河川に関心が集まっているのは、 単なる「自然」ではなく「文化・教育・観光」などの要素があるから。 富士山の「世界遺産」が「自然遺産」ではなく「文化遺産」として 登録されたのと同様に、その富士山の恵みを受けている「柿田川」も、 「文化遺産」として、その価値を磨いていきたい、と思う。 ほぼ毎日、柿田川公園を中心に、柿田川の様子を撮影しているが、 不思議なことに、飽きることはない。 四季折々、天候、時間帯によっても、私に見せてくれる景色が違うし、 広角・ズームなど、カメラのレンズによっても、雰囲気が変わる川。 植物、生物などの知識はほとんどないから、風景写真のみだけど、 それでも、毎日ワクワクする風景が撮れる川。 その場所へ毎日歩いて行ける私は「幸せ者」、心からそう思う。 「柿田川」は「ただの川」ではなく「ただならぬ川」、 昨年より感じていたことを、再認識できた出来事であったな。
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2018年01月22日(月) ■ |
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シフトダウンして生きる |
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書籍「孤独のすすめ」(人生後半の生き方) (五木寛之著・中公新書ラクレ刊・181頁)から。 ある講演会で、講師から紹介されたものは、 出来る限り、手に取って読んでみることにしている。 今回は「静岡ガス・前会長・岩崎 清悟氏」の紹介。 予想どおり、今の私にピツタリの内容であり、 以前読んだ「下山の思想」((五木寛之著)の姉妹篇とも言えそうだ。 これまた、紹介したいフレーズが溢れていたので、 何回かに分けて、気になる一言に採り上げていこうと思う。 「歳を重ねれば重ねるほど、人間は孤独だからこそ、 豊かに生きられると実感する気持ちがつよくなってきました」と語り、 もうすぐ還暦を迎える私の心に引っかかったのは、 「シフトダウンして生きる」ということ。 車を運転しない人には分かりにくいかもしれないが、 この「シフトダウン」という運転操作は、 ブレーキを踏んで減速するのとは、ちょっと訳が違う。 「スピードは落としても、トルクは落とさない。 加齢とともに、社会生活や身体的行動は減速しても、 むしろ心のトルクは高まっていく。回転を上げつつ、減速して生きる」 言い換えれば、夢中になれるものに見つけて、 それに集中できる時間がたっぷり使い、心豊かに人生を楽しむ。 そんな生き方はどうですか?、と著者からのメッセージである。 歳を重ねてきた人たちへのアドバイスとして、心に刻みたい。
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2018年01月21日(日) ■ |
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恥を知りなさい、声援も送れないの? |
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映画「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」 (スティーブン・フリアーズ監督)から。 主人公は、実在の人物でストーリーも実話だというから、 さすが、アメリカ・・と拍手をしたくなる物語。 「音痴のソプラノ歌手、フローレンス・ジェンキンスが カーネギーホールでコンサートを開催した」という事実を知り、 日本だったらどうだったろうか?と考えてしまった。 作品中(たぶんこれは脚色だと思うが・・) アメリカ兵士をこのコンサートに招待し、 彼らを励ますつもりで歌い出したにも関わらず、 あまりの音痴に、笑い出す人あり、ざわつきはじめた時、 コンサートには不釣合いな服装で席についた若い女性が、 観客に向かってこう叫ぶ。 「静かに!、力の限り歌ってるのよ」 それでも「やめろ」「警察を呼べ」「引っ込め」等の 野次が止まらず、さらにもっと大きな声で、彼女はこう叫んだ。 「恥を知りなさい、声援も送れないの?」 これには、大騒ぎのアメリカ兵士も反省したのか、 会場は大きな拍車に包まれる、このシーンが一番好きだ。 上手い下手に関わらず、一所懸命の人を応援すること、 それが大人の対応なんだと知らされた。 作品の最後、フローレンス・ジェンキンスがこう呟く。 「ひどい悪声だと非難されても、歌った事実は消せないわ」と。 彼女は自分の音痴を知っていたのかな?
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2018年01月20日(土) ■ |
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誰もやったことがないことをやり遂げたい |
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MLBのロサンゼルス・エンゼルスに入団した大谷翔平選手。 目指すは、御存知、投手と野手の二刀流。 本当に達成できるのだろうか?という私の心配を察してか 先輩大リーガーの石井投手が、あるテレビ番組を通じて、 彼の、熱い想いを教えてくれた。 それが「誰もやったことがないことをやり遂げたい」 単に、小さい頃からの夢だった大リーグに挑戦したい、 そんな想いではなく、もっともっと大きな夢。 いや「夢」というより「目標」に近い気がするのは、 出来ることなら・・というレベルの想いではなく、 必ずやり遂げるという決意に似たものを感じるからだ。 野茂投手が、当時難しかった大リーグでのプレーに挑戦し、 パイオニアとしてやり遂げたのに似ている。 あの時も、けっこうバッシングの嵐だったのに、 成功したら、掌を返したように、称賛する関係者たち。 まちづくりでも同じ様なシステムが存在し、 中央・世界で成功してから「実は、わがまち出身です」と いうケースを何度もみてきた。(汗) 結果的にうまくいくかどうか、ではなく、無名の時から こういう若者の心意気、応援してやらなくちゃなぁ。
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2018年01月19日(金) ■ |
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愚かさに、ハッと気付いてあげましょう。 |
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書籍「しない生活」(煩悩を静める108のお稽古・ 小池龍之介著・玄冬舎刊・241頁)から。 最近、心がざわついていたからか、背表紙のタイトルを目にして、 何気なく手に取り読み始めたら、夢中になってしまった。(汗) 特に、仕事柄「クレーマー」と称される方々とも、 接しなくてはならず、その対応に声を荒げることも、しばしば。 相手を興奮させることに長けている、クレーマーの誘いに乗らず、 こう考えたらいかが?というアドバイスともとれる。 「相手を屈服させて自分の価値を実感するという愚かしさ」 学校や企業へのクレームは、される側は失うものが多いため、 ほんのちょっとした過ちでも『すみません、不手際でした』と 屈服せざるを得ないですからね。 必ず勝てるのがきまった、つまらない戦いなのです。 そんなひきょうな戦いを挑みたくなるほど心が惨めになる前に、 自分の価値をつりあげたくてしょうがない愚かさに、 ハッと気付いてあげましょう」という表現を見つけて、 なるほどなぁ、とメモをした。 クレーマーと同じ土俵で戦うのではなく、こちらが逆らわない、 という前提でクレームをつけてくる相手に対して、 その愚かさに気付いてあげるやさしさで接したいものである。
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2018年01月18日(木) ■ |
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やりたいことをやりたいやつが提案し、言い出しっぺが実行する |
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書籍「稼ぐまちが地方を変える。誰も言わなかった10の鉄則」 (木下斉著・NHK出版新書・201頁)から。 縮小時代にまちづくりを推進する私たちにとって、 「バイブル」と言っても過言ではない内容に、メモは増えた。 まずは著者が「今でも私の基本となっている考え方です」と、 1番最初に紹介しているフレーズが、 「小さく始めて大きく育てる」であった。 著者が、学生の頃から、試行錯誤して得られた、 まちづくりのノウハウは、示唆に富んだ指摘が多い。 イベントにしても、組織にしても、行政の補助金を当てにして 大々的に打ち上げ花火をあげて失敗してきた例を、 何ども目にしているからだろうか、最初から同感であった。 つまり「やりたいことをやりたいやつが提案し、 言い出しっぺが実行する」程度の規模感で始める。 そうすれば、仮にうまく機能しなかったり、失敗しても、 やりたいと思った、言い出しっぺが責任をとれる範囲だろうし、 損害も最小限に留められる。 逆にうまくいったら、少しずつ拡大していく楽しさがある。 右肩上がりの時代と同じ感覚で、風呂敷を拡げ過ぎ、 にっちもさっちもいかなくなることは避けたい。 それは消極的考え方ではなく、時代の潮流を読んだ考え方として、 私も「基本のき」として、心に留めておきたいと思う。
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2018年01月17日(水) ■ |
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それって、チロリン村に失礼だよ |
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夕食に鍋を囲みながら、私の仕事の話をしている時だったかな。 「どうして、こんなことが出来ないの?」とか、 「えっ、それって他のまちではやってるよ」とか言われ、 ムッとしながらも、うまく言い返せなくて、ついつい 「どうせ、チロリン村だから」と口にしたら、またまた突っ込まれた。 「それって、チロリン村に失礼だよ」 そう言えば、私たち地方の行政職員って、仕事がうまく進まなかったり、 問題解決に広い視点で考えられなかった時など、自分のまちを卑下して 「どうせ、チロリン村だから」と言うことがある。 (この例えも、私だけだったら、すみません(汗)) よく考えると、その「チロリン村」について、私たちは何も知らない。 調べてみると「チロリン村」は、1956年から1964年まで、 NHKで放送されていた「チロリン村とくるみの木」の人形劇だった。 お馴染みの「ひよっこりひょうたん島」や「プリンプリン物語」の原型、 そう評価してもいいほどの名作は、黒柳徹子さんら多くのキャストで構成され、 どうして「チロリン村」という単語だけが一人歩きしているのか、 正直、私にも分からない。 「ピーナッツのピー子」「タマネギのトン平」「クルミのクル子」などの 果物や野菜を擬人化したキャラクターと「もぐらのモグモグ」 「ねずみのタコチュー」などの小動物が暮らしているチロリン村、 そこで起こる珍騒動の数々が「チロリン村」のイメージを膨らませて 大きな都市では起こりえない騒動が起きることの例えとして 「チロリン村」と呼んでいるのかもしれない。 そう考えたら確かに「チロリン村に失礼」だよなぁ。
P.S. まさか・・サイコロ賭博の「チンチロリン」から派生して 「チロリン村」じゃないよね。(汗)
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2018年01月16日(火) ■ |
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「日本に住んでいる外国人50人」と「外国に住んでいる外国人50人」 |
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昨日紹介した「外国人の外国人による外国人のためのイベント」、 あれからず〜っと考えているが、分からないことだらけ。 特に「99.9パーセント外国人の中で、たった一人で座っていても、 ドキドキするような、不安を一切感じなかった」こと。 これが「異国の地でのイベントで、たった一人だったら、 不安を通り越して、落ち着いて座って居られなかった」に違いない。 このあたりに、国際交流の楽しみ方のヒントが隠されている、 そんな気になって仕方がなかった。 それが「ホーム」と「アウェイ」の違いなのか、 一度も「日本語」を耳にしなかったにもかかわらず、 自分でも信じられないくらい、異文化を楽しむことが出来た。 正直、今でもなにが違うのか、はっきりした答えは見つからないけれど、 「日本に住んでいる外国人50人」と「外国に住んでいる外国人50人」、 そんな彼らが醸しだす、独特の雰囲気みたいなものなのかも知れない。 日本に住んでいる外国人50人に囲まれても、不安はないけれど、 異国の地に住んでいる外国人50人に囲まれたら、 きっと、不安だらけで落ち着かないんだろうなぁ。
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2018年01月15日(月) ■ |
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外国人の外国人による外国人のためのイベント |
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昨年予定していた、国際交流イベントが、 台風の接近で中止になったのは、たしか衆議院選挙の日。 それでも、どうしてもやりたいと言いだしたのは、外国人の人達。 今までは、日本人の私たち(行政と国際交流協会)が企画運営し、 在住の外国人の人たちに参加してもらう形の「国際交流フェスタ」、 それをまるっきり視点を変えて、企画運営も近隣市町の在住外国人、 ターゲットも近隣市町の在住外国人で、文字どおりの 「外国人の外国人による外国人のためのイベント」を開催したら、 私の予想よりはるかに多くの外国人が集まり、まさに異国ムード。 それも、私の耳に入って来る言葉は「英語」ではなく、 「スペイン語」だったり「タガルグ語」が溢れかえった。 屋外では「多国籍の料理ブース」が所狭しと並び、 屋内のステージでは、これまた「多国籍のミュージック」が流れ、 さらに「多国籍のダンス」が披露された。 私以外、すべてが外国人の時間帯もあったけれど、 時には、輪になって一緒に踊り、楽しい時間を過ごすことが出来た。 何にも分からない言葉だと、理解しようとか、聴き取ろうなんて、 そんな気も起きず、ただただ、その場の雰囲気を味わったにすぎない。 だけど、今までとは違う何かを感じて、帰路についた。 その理由は分からないけれど、とにかく楽しかったなぁ。
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