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しもさんの「気になる一言」
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2018年01月26日(金)
いろいろな言語で「マイウェイ」

先日、参加した「国際交流イベント」でのメモ。
会場内にたった一人しかいなかった日本人の私を無視した(笑)
スペイン語の司会や踊り、日本語全くなしのイベントが、
なぜかとっても居心地が良かった話を、以前に書いた。
その会場でメモしたフレーズを整理したら、
「マイウェイ」(スペイン語・タガルグ語・英語・日本語)
と残されていた。
実は、コンサートの後半、「マイ・ウェイ」が演奏され、
シンガーは「(たぶん)スペイン語」で歌っていたのだが、
会場内にいた多国籍の人々が、自分の国の言葉で、
「マイ・ウェイ」を歌っていることに気付いた。
(もちろん、私も日本語と英語を駆使して、口ずさんだ・・)
もしかしたら「マイ・ウェイ」って「万国共通曲?」と
勘違いするほど、多言語が耳から入ってきた。
これは、国際交流の大きなヒントかもしれない。
今度、カラオケBOXで確認してみようかな。



2018年01月25日(木)
標語「575」から、俳句「575」へ

柿田川の写真・映像を、facebookで発信はじめて、約3年半。
毎日となると、撮影場所、撮影時間を明記するのが面倒くさく、
2年ほど前から写真にあった表現を「575」で表わすことが、
とても楽だと気付いて、標語に近いキャプションを添えている。
しかし、ほとんど自然の風景なので、俳句と勘違いする人も多く、
「季語が重なってますよ」「字余りになってませんか?」など、
指摘されることもあり、その関心の高さに驚いている。
確かにこの川の四季折々を歳時記として「俳句」で表現できたら、
私の拙い写真や映像も、作品になるかな、と思い始めた。
ただ、毎日の投稿が基本なので、躊躇しているのも事実。
そんな簡単に写真にあった「俳句」が浮かぶとは思えないし、
基本的なルールを学ばなければ、いけないだろうから。
それでも、いつの日か、いや近い将来、必ず、
「俳句」の世界に飛び込みたいと思っている。
わが町出身の女優・冨士眞奈美さんから戴いた本を読み直すと、
(書籍「身ひとつの今が倖せ」(知恵の森文庫刊・229頁))
サブタイトル「俳句のある人生」が示すとおり、
(俳句は)「手帳と筆記用具と歳時記があれば、
いつどこでもひとりで楽しむことができる」と、
その魅力を紹介し、私の背中を押してくれている。
定年退職まで、あと1年数ヶ月に迫った今だからこそ、
少しずつ「俳句」の勉強を始めてみようかな。



2018年01月24日(水)
戦略とは組織論。戦術は方法論。

書籍「野村の金言」(野村克也著・セブン&アイ出版刊・189頁)から。
タイトルを書き出すだけでも、メモで溢れた。
しばらく、この「金言」からの一言が増える予感がするが、
まずはじめに選んだのは「戦略とは組織論。戦術は方法論」
戦い・競争が生じると必ず「戦略」「戦術」という単語が飛び交うが、
果たして私たちは、しっかり理解しているだろうか?と感じていたので、
この説明がわかりやすかった。
「戦略とは、長期的視野をもってチームをどう編成し、
強化していくのかという組織論である。
一方の戦術は、場面ごとにどのような作戦を用い、
どう戦うのかといった方法論。」
全く違う単語を、私たちは「戦略・戦術」と一括りにして使い、
あたかも「戦略・戦術のプロ」みたいな評価をするが、
それは、大きな間違いだと気付いた。
戦国時代、名参謀と呼ばれていた「竹中半兵衛」「黒田官兵衛」
「島左近」らは、「組織論、方法論」、両方に長けていたことなのか、
もう一度、歴史を振り返りながら、再評価してみたい。
戦略(組織論)のプロ、戦術(方法論)のプロを抱えながら、
その業界で戦って行くことが必要だとも言える。
さすが、野村監督だなぁ。



2018年01月23日(火)
「外来種駆除」「柿田川ビジターセンター」「水みくじ」

先日、同日に、新聞・ラジオなど、マスコミを通じて、
「柿田川(公園)」に関する記事が、3件も同時に採り上げられた。
「外来種駆除」「柿田川ビジターセンター」「水みくじ」
いろいろな角度から「柿田川」という河川に関心が集まっているのは、
単なる「自然」ではなく「文化・教育・観光」などの要素があるから。
富士山の「世界遺産」が「自然遺産」ではなく「文化遺産」として
登録されたのと同様に、その富士山の恵みを受けている「柿田川」も、
「文化遺産」として、その価値を磨いていきたい、と思う。
ほぼ毎日、柿田川公園を中心に、柿田川の様子を撮影しているが、
不思議なことに、飽きることはない。
四季折々、天候、時間帯によっても、私に見せてくれる景色が違うし、
広角・ズームなど、カメラのレンズによっても、雰囲気が変わる川。
植物、生物などの知識はほとんどないから、風景写真のみだけど、
それでも、毎日ワクワクする風景が撮れる川。
その場所へ毎日歩いて行ける私は「幸せ者」、心からそう思う。
「柿田川」は「ただの川」ではなく「ただならぬ川」、
昨年より感じていたことを、再認識できた出来事であったな。



2018年01月22日(月)
シフトダウンして生きる

書籍「孤独のすすめ」(人生後半の生き方)
(五木寛之著・中公新書ラクレ刊・181頁)から。
ある講演会で、講師から紹介されたものは、
出来る限り、手に取って読んでみることにしている。
今回は「静岡ガス・前会長・岩崎 清悟氏」の紹介。
予想どおり、今の私にピツタリの内容であり、
以前読んだ「下山の思想」((五木寛之著)の姉妹篇とも言えそうだ。
これまた、紹介したいフレーズが溢れていたので、
何回かに分けて、気になる一言に採り上げていこうと思う。
「歳を重ねれば重ねるほど、人間は孤独だからこそ、
豊かに生きられると実感する気持ちがつよくなってきました」と語り、
もうすぐ還暦を迎える私の心に引っかかったのは、
「シフトダウンして生きる」ということ。
車を運転しない人には分かりにくいかもしれないが、
この「シフトダウン」という運転操作は、
ブレーキを踏んで減速するのとは、ちょっと訳が違う。
「スピードは落としても、トルクは落とさない。
加齢とともに、社会生活や身体的行動は減速しても、
むしろ心のトルクは高まっていく。回転を上げつつ、減速して生きる」
言い換えれば、夢中になれるものに見つけて、
それに集中できる時間がたっぷり使い、心豊かに人生を楽しむ。
そんな生き方はどうですか?、と著者からのメッセージである。
歳を重ねてきた人たちへのアドバイスとして、心に刻みたい。



2018年01月21日(日)
恥を知りなさい、声援も送れないの?

映画「マダム・フローレンス! 夢見るふたり」
(スティーブン・フリアーズ監督)から。
主人公は、実在の人物でストーリーも実話だというから、
さすが、アメリカ・・と拍手をしたくなる物語。
「音痴のソプラノ歌手、フローレンス・ジェンキンスが
カーネギーホールでコンサートを開催した」という事実を知り、
日本だったらどうだったろうか?と考えてしまった。
作品中(たぶんこれは脚色だと思うが・・)
アメリカ兵士をこのコンサートに招待し、
彼らを励ますつもりで歌い出したにも関わらず、
あまりの音痴に、笑い出す人あり、ざわつきはじめた時、
コンサートには不釣合いな服装で席についた若い女性が、
観客に向かってこう叫ぶ。
「静かに!、力の限り歌ってるのよ」
それでも「やめろ」「警察を呼べ」「引っ込め」等の
野次が止まらず、さらにもっと大きな声で、彼女はこう叫んだ。
「恥を知りなさい、声援も送れないの?」
これには、大騒ぎのアメリカ兵士も反省したのか、
会場は大きな拍車に包まれる、このシーンが一番好きだ。
上手い下手に関わらず、一所懸命の人を応援すること、
それが大人の対応なんだと知らされた。
作品の最後、フローレンス・ジェンキンスがこう呟く。
「ひどい悪声だと非難されても、歌った事実は消せないわ」と。
彼女は自分の音痴を知っていたのかな?



2018年01月20日(土)
誰もやったことがないことをやり遂げたい

MLBのロサンゼルス・エンゼルスに入団した大谷翔平選手。
目指すは、御存知、投手と野手の二刀流。
本当に達成できるのだろうか?という私の心配を察してか
先輩大リーガーの石井投手が、あるテレビ番組を通じて、
彼の、熱い想いを教えてくれた。
それが「誰もやったことがないことをやり遂げたい」
単に、小さい頃からの夢だった大リーグに挑戦したい、
そんな想いではなく、もっともっと大きな夢。
いや「夢」というより「目標」に近い気がするのは、
出来ることなら・・というレベルの想いではなく、
必ずやり遂げるという決意に似たものを感じるからだ。
野茂投手が、当時難しかった大リーグでのプレーに挑戦し、
パイオニアとしてやり遂げたのに似ている。
あの時も、けっこうバッシングの嵐だったのに、
成功したら、掌を返したように、称賛する関係者たち。
まちづくりでも同じ様なシステムが存在し、
中央・世界で成功してから「実は、わがまち出身です」と
いうケースを何度もみてきた。(汗)
結果的にうまくいくかどうか、ではなく、無名の時から
こういう若者の心意気、応援してやらなくちゃなぁ。



2018年01月19日(金)
愚かさに、ハッと気付いてあげましょう。

書籍「しない生活」(煩悩を静める108のお稽古・
小池龍之介著・玄冬舎刊・241頁)から。
最近、心がざわついていたからか、背表紙のタイトルを目にして、
何気なく手に取り読み始めたら、夢中になってしまった。(汗)
特に、仕事柄「クレーマー」と称される方々とも、
接しなくてはならず、その対応に声を荒げることも、しばしば。
相手を興奮させることに長けている、クレーマーの誘いに乗らず、
こう考えたらいかが?というアドバイスともとれる。
「相手を屈服させて自分の価値を実感するという愚かしさ」
学校や企業へのクレームは、される側は失うものが多いため、
ほんのちょっとした過ちでも『すみません、不手際でした』と
屈服せざるを得ないですからね。
必ず勝てるのがきまった、つまらない戦いなのです。
そんなひきょうな戦いを挑みたくなるほど心が惨めになる前に、
自分の価値をつりあげたくてしょうがない愚かさに、
ハッと気付いてあげましょう」という表現を見つけて、
なるほどなぁ、とメモをした。
クレーマーと同じ土俵で戦うのではなく、こちらが逆らわない、
という前提でクレームをつけてくる相手に対して、
その愚かさに気付いてあげるやさしさで接したいものである。



2018年01月18日(木)
やりたいことをやりたいやつが提案し、言い出しっぺが実行する

書籍「稼ぐまちが地方を変える。誰も言わなかった10の鉄則」
(木下斉著・NHK出版新書・201頁)から。
縮小時代にまちづくりを推進する私たちにとって、
「バイブル」と言っても過言ではない内容に、メモは増えた。
まずは著者が「今でも私の基本となっている考え方です」と、
1番最初に紹介しているフレーズが、
「小さく始めて大きく育てる」であった。
著者が、学生の頃から、試行錯誤して得られた、
まちづくりのノウハウは、示唆に富んだ指摘が多い。
イベントにしても、組織にしても、行政の補助金を当てにして
大々的に打ち上げ花火をあげて失敗してきた例を、
何ども目にしているからだろうか、最初から同感であった。
つまり「やりたいことをやりたいやつが提案し、
言い出しっぺが実行する」程度の規模感で始める。
そうすれば、仮にうまく機能しなかったり、失敗しても、
やりたいと思った、言い出しっぺが責任をとれる範囲だろうし、
損害も最小限に留められる。
逆にうまくいったら、少しずつ拡大していく楽しさがある。
右肩上がりの時代と同じ感覚で、風呂敷を拡げ過ぎ、
にっちもさっちもいかなくなることは避けたい。
それは消極的考え方ではなく、時代の潮流を読んだ考え方として、
私も「基本のき」として、心に留めておきたいと思う。



2018年01月17日(水)
それって、チロリン村に失礼だよ

夕食に鍋を囲みながら、私の仕事の話をしている時だったかな。
「どうして、こんなことが出来ないの?」とか、
「えっ、それって他のまちではやってるよ」とか言われ、
ムッとしながらも、うまく言い返せなくて、ついつい
「どうせ、チロリン村だから」と口にしたら、またまた突っ込まれた。
「それって、チロリン村に失礼だよ」
そう言えば、私たち地方の行政職員って、仕事がうまく進まなかったり、
問題解決に広い視点で考えられなかった時など、自分のまちを卑下して
「どうせ、チロリン村だから」と言うことがある。
(この例えも、私だけだったら、すみません(汗))
よく考えると、その「チロリン村」について、私たちは何も知らない。
調べてみると「チロリン村」は、1956年から1964年まで、
NHKで放送されていた「チロリン村とくるみの木」の人形劇だった。
お馴染みの「ひよっこりひょうたん島」や「プリンプリン物語」の原型、
そう評価してもいいほどの名作は、黒柳徹子さんら多くのキャストで構成され、
どうして「チロリン村」という単語だけが一人歩きしているのか、
正直、私にも分からない。
「ピーナッツのピー子」「タマネギのトン平」「クルミのクル子」などの
果物や野菜を擬人化したキャラクターと「もぐらのモグモグ」
「ねずみのタコチュー」などの小動物が暮らしているチロリン村、
そこで起こる珍騒動の数々が「チロリン村」のイメージを膨らませて
大きな都市では起こりえない騒動が起きることの例えとして
「チロリン村」と呼んでいるのかもしれない。
そう考えたら確かに「チロリン村に失礼」だよなぁ。

P.S.
まさか・・サイコロ賭博の「チンチロリン」から派生して
「チロリン村」じゃないよね。(汗)