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しもさんの「気になる一言」
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2020年10月15日(木)
地元の人に撮影してもらう

先日、放送局の人と話していて、面白いことに気付いた。
日本全国、いたるところに「プロ」とは一線を画した、
「セミプロ」「マニア」「オタク」と呼ばれる人たちがいて、
特に、写真や動画に関しては、その腕はプロ級の人が多い。
カメラだって、ビデオだって、相当高価な機材を所有し、
自分の撮影した作品の発表の場を求めている人も多いと聞く。
片やコロナ禍の中、撮影が思うように進まないと嘆く放送局。
うまくコラボすれば、面白い作品ができるのに・・と思った。
何日、何時間も待ち続けるしか撮れない写真・映像も、
彼らに任せれば、時間をたっぷり使ってその瞬間を待つ。
簡単な研修を受けさせ、撮影のルールとマナーを教え込めば、
今の時代、可能な撮影システムかもしれない。
こんな時代でも、好奇心旺盛の若い人たちの中には、
「映像撮影編集」で起業を考えている人も多い。
これこそ、三密にならない、新しい番組制方法として、
確立するかもしれないな、と思った。
これこそ若い人たちの「新しい仕事」になるかもしれない。
「地元の人に撮影してもらう」いかがだろうか?



2020年10月14日(水)
添い寝の基本姿勢は「腕まくら」

10月13日、オンライン試写会を観させていただいた
映画「クローゼット(2020)」(進藤丈広監督)から。
一言・ワンフレーズで表現すると、
鑑賞した後に「誰かに腕まくら」をしたくなる、そんな作品。
私の場合、誰かに腕まくらをしてもらいたい・・ではなかったが、
たぶん観る人の現在の心の状態によって分かれるだろう。
若い頃、夢中になった「ブルース・リー」主演映画鑑賞の後は、
強くなった気になり、映画館を出ると格闘の真似をしたのに似ている。
素人だった青年が、癒しを求める多くのお客様と接することで、
成長していく展開は、映画「娼年」(三浦大輔監督)と少し被ったが、
一方は「セックス」、もう一方は「添い寝」だったから、
その対比が妙に可笑しかった。
この「よそでは言えない不満を吐き出す場所を提供」するという
添い寝ビジネスは、これからも流行る予感さえするから不思議だ。
「お客様は目が覚めた時にいつでも、よしよし、してもらうために
高いお金払ってるんですよ」という説明に頷く私がいたし、
やや短い作品だったが、メモは驚くほど多かった気がする。
その中から選んだのは、やはり「添い寝屋」として心得、
一番最初に説明を受ける、その仕事の基本中の基本。
「添い寝の基本姿勢は『腕まくら』」
文字にすると「腕枕」でもなければ「うでまくら」でもなく、
「腕まくら」がピッタリ、と思うのは私だけか。(汗)
これがうまく出来ないと「添い寝」どころではない。(笑)
「添い寝ビジネス」の次は「耳掻きビジネス」かもしれないな。
どちらも平和の証だし、1人では心が温かくならない行為。
さらに、されると気持ち良くなってしまうのも共通かも。
私的には、さっそく妻に腕まくらの感触を確かめてもらったくらい、
素敵な作品だった。



2020年10月13日(火)
「シーン」は、手塚治虫さんが作った言葉

今回も、NHKラジオ番組「文化講演会」から。
講師「言語学者・金田一秀穂氏」演題「今どきの日本語」。
今では、物音ひとつ聞こえない静寂を「シーン」という
たった3文字で表現できるけれど、実はこの「シーン」、
漫画家、手塚治虫さんが作った言葉だと教えていただいた。
この「3文字」がない時代、どう表現したのかな、と想像したが、
恥ずかしい話、頭に浮かんんでこなかった。
それだけ「シーン」という表現が、日本国民に浸透された証拠。
流行語大賞には、その年の重大事件、イベントにまつわる言葉が
エントリーされるけれど、実は「シーン」のような言葉に、
スポットを当てて欲しいな、と思う1人である。
以前紹介した「ショート」を「遊撃手」と名付けたのは、正岡子規。
「9つある守備位置の中でもっとも俊敏さと果敢さが求められる」
そんなポジションを「遊撃手」と名付けたのは絶妙であり、
逆に、その言葉以外、浮かばないくらい浸透している言葉は、
命名者とともに、大切に守っていって欲しい、と願う。
私たちは、多くの分野で、ついつい新しい言葉を求めたがるけれど、
なかなかそれらを超える言葉が出てこないのも事実。
「シーン」以上の「静寂」表現、あるだろうか。



2020年10月12日(月)
勘違いするな、誰も本気に思ってねえよ

映画「楽園」(瀬々敬久監督)から。
タイトルの「楽園」は、私のメモからすると、3回発せられる。
「何? 楽園って?」と、鉄道のそばで話した会話。
母親が、多国籍の息子に言った台詞「あそこ(日本)は楽園だ」
そして、ラストシーンで、同級生の男性が主人公の女性に言った
「紡は俺たちのために楽園、作れ」
内容がタイトルと結びつかず、ちょっと困った。
この作品で、一番気になったのは、
限界集落で愛犬と暮らす養蜂家の善次郎さんが、
村おこし事業を巡る話のこじれから村八分にされてしまう場面。
「賛成してくれたんじゃ・・」と善次郎さん。
「勘違いするな、誰も本気に思ってねえよ」と村人。
この会話が、限界集落ならではの人間関係の面倒臭さを感じた。
巷では、過疎をなんとか食い止めようと、
「この村は、人が温かくて、といいところだよ」というが、
実は、物語のように、ネチネチした村八分があったりして、
新しい住民を受け入れよう、というカケラも感じられない。
こんなことを繰り返しているから、当然のように、人口が減る。
限界集落に住むデメリットみたいなものが浮き彫りにされ、
設定された村も、フィクションとわかっていながらも、
「こんなところ、住みたくない」と感じるインパクトが強かった。
本当のところはどうなんだろうか、正直、気になる。(汗)



2020年10月11日(日)
ワンチームは団結力とは違う

三密回避で、リアルな講演会聴講が激減したが、
その分、ネットのラジオ番組でたっぷり一時間、
著名人の講演を何度でも聴ける楽しみを覚えた。
今回は、NHKラジオ番組「文化講演会」から。
講師「言語学者・金田一秀穂氏」演題「今どきの日本語」。
(メモが多過ぎで、1回では紹介しきれないかも・・)
まず引っかかったのは「ワンチーム」という言葉。
流行語大賞の選考委員もしている彼らしい指摘だった。
2019年の流行語大賞は「ワンチーム」(ONE TEAM)
予想をはるかに超えて盛り上がったラグビーW杯の熱い戦いに、
にわかファンまでもが熱狂し「ワンチーム」というフレーズは、
当時、あちこちの社内会議でお偉方がこの言葉を乱用した。
しかし、彼は「ワンチームは団結力とは違う」とズバリ指摘。
今回のラグビーW杯のように、
「目的があって目的が達成されたら解散するのがワンチーム」
それを「団結力」の意味で使っているのは違う、ということ。
なるほど・・・とメモをした。
主催者は、授賞式に「ラグビーW杯出場選手」の登壇を期待したら、
みんな試合で欠席ってオチもあり、とても楽しい話だった。(笑)
「今どきの日本語」ネタ、まだまだ続きます。(汗)



2020年10月10日(土)
単に「評価」が低かったってことじゃないのかな

今、巷では、学術会議の人事問題で揺れている。
論評の多くは、任命しなかった理由を説明すべき、だが、
私はそうは思わない。
政治について書くつもりはないが、そもそも人事とは、
任命権者(首相)の裁量であり、だから大臣等が不適切な発言をした時、
任命責任を追求してきてた野党が、今回ばかりは立場が逆転。(笑)
もし、任命した人が何か不祥事を起こした時、誰が責任を取るのか、
野党をはじめ、今回の件で大騒ぎしている人が責任を取れるのか、
取れないのであれば、口を挟む問題ではないと私は思う。
そもそも、人事の役割の一つに「人事評価制度」がある。
評価制度とは、人事考課あるいは査定ともいい、
会社では、従業員の職務上の成果や勤務上の態度を評価して
等級や報酬を決定することをいう。
だから、今回外された人は、人事評価が低かったから外した、
それだけなんだと思う。
もっと過激に言えば、外された理由は、本人が一番知っているはず。
だから、評価が低かった理由を公表されたら、
恥ずかしい思いをするのは、本人ではないだろうか、と感じた。
評価されなかったら真摯に受け止めて、評価されるよう努力する、
それができないなら、その組織から抜けるしか方法はない。
これが「組織」の人事なんだよなぁ、たぶん。



2020年10月09日(金)
全ての仕事は「お金様」と思うことにしています

貧しい時代を過ごした人のインタビューだったかな。
(すみません、情報源不明です)
最近、やっとお仕事をいただけるようになって・・と呟き、
多くの方のお世話になりながら、ここまできた。
感謝の言葉しかありません、そんな話が続いていたので、
最後に、彼女が口にしたフレーズを聞き間違えた。
「全ての仕事は『お陰様』と思うことにしています」だと、
私の脳は判断したのだが、ここが会話のオチで、
「全ての仕事は『お金様』と思うことにしています」だった。
こう言い終わった後、爆笑だったので、やっと気が付いたが、
なかなか味わい深いフレーズとなった。
民間人となって、この感覚はよくわかるようになった。
もちろん「ありがとう」をはじめとして、
「感謝」「お陰様」の気持ちが大切なのは理解している、
けれど、それだけでは生活はできない、これも事実。
逆に、お金をいただくからこそ、仕事として働き、
無報酬なら、ボランティアとして動くってことなんだよなぁ。



2020年10月08日(木)
女である前にアンカーよ

映画「スキャンダル」(ジェイ・ローチ監督)から。
メモしたワンフレーズごとは面白い言葉があるのに、
作品を貫くようなフレーズが浮かんでこなかった。
実際に起こった女性キャスターへのセクハラ騒動だが、
それを映画作品にした「狙い」がうまく見つからない。
事実に基づいた・・のお決まりの注釈もなかったから、
だいぶ、脚色されているに違いないのかも・・。
そしてやっと見つけたのは、メモを見直し発見した
「女である前にアンカーよ」というフレーズ。
普通なら「アンカーである前に女よ」なのだが、
女だから、とセクハラを問題にするのではなく、
あえて、この現状を訴える立場にいるアンカーとして、
セクハラを受けた女性である前に・・と強調した。
本来は「性被害を受けた女性」を援護し、
加害者を追い詰めて報道する立場のアンカーだからこそ、
こんな発言をしたのだろう。
手垢のついたフレーズではないからこそ、印象に残ったなぁ。



2020年10月07日(水)
公園の中で「優雅」に遊ぶ

公園の楽しみ方は、千差万別でいい。
もちろん経験者として、こんな楽しみ方ありますよ、という
アドバイスはありがたいけれど、それも参考程度にして、
自分はどんな楽しみ方を模索しているのか、考えてみた。
そこでじっくり考えた結果が「公園の中で『優雅』に遊ぶ」。
ただ、遊ぶのではなく「優雅に遊ぶ」。
今こうして書いている自分でさえ、実はイメージができない。
だけど、ふっと頭の中に浮かんだものを言葉にしてみた。
「優雅」と「遊ぶ」がうまく結びつかないのかもしれないが、
だからこそ、余生を楽しむ私としては、面白いテーマだ。
「のんびり」とか「ゆったり」とはちょっと違う感覚。
多分、そう簡単には答えが出ない気がするが、
私のお得意の持続力を生かして、試行錯誤を繰り返すことも、
楽しみの一つとして、何年後かに気づくかもしれない。
あの時感じた「優雅に遊ぶ」という意味は、このことか・・と。
考えるだけでも楽しくなってきたなぁ。



2020年10月06日(火)
今度は、第一展望台で「ひとりラジオ体操」

昨年は、柿田川公園の芝生広場で、ひとりラジオ体操を
気が向いた時にしていたが、今年は場所を変えて、
やはり、気が向いた時に、第一展望台で体を動かしている。
というのも、カメラで動画やタイムラブスを撮影していると、
予想外に時間を持て余してしまうから。
初めは、柿田川の源流となる、いくつかの湧き間を眺め、
さらにはカワセミを探していたが、コロナ禍の影響で、
体重増と運動不足を自覚し、ストレッチをしてみたら、
意外にも、調子が良かったので、続けてみた。
そして、現在の「ひとりラジオ体操」にたどり着いた。
スマホから流れる「ラジオ体操」に合わせ、
目の前に広がる、柿田川の四季折々の景色を眺めながらの
ひとりラジオ体操。
観光客が降りてくる気配がすると、
慌ててボリュームを消し何もなかったように振る舞うが、
それはそれで結構楽しい。(笑)
もちろん、視界の中に「カワセミ」を発見すると、
ラジオ体操は中断し、撮影体制に入るけれど、
まぁ、その時は、ほとんど逃げられてしまう。(汗)
奇跡的な写真は、相性の良い場所で撮れる、と信じて。