
|
 |
2025年05月11日(日) ■ |
 |
感謝とか幸せって、努力して思うことではないんだよ。 |
 |
書籍「i」(アイ)」 (西加奈子著・ポプラ社刊・298頁)から。 文中に何度も何度もででくる 「この世界にアイは存在しません。」 いろいろな意味を持ち、気になる一言になるべきだけど、 その意味をうまく表現できないので、 違うフレーズを選んでみた。(汗) 「私は自分の環境に感謝すべきだし、 幸せなことを幸せに思うべきなんだよね」 と言う主人公「アイ」が言う。 それに対して、親友「ミナ」がこう言い返す。 「べき、ではないよ。感謝とか幸せって、 努力して思うことではないんだよ。 自然にそう思うことなんだから、 アイがそう思えないのなら、無理に思うことはない」と。 なるほど・・とメモをした。 私たちは、ついつい「感謝すべき」「思うべき」などと、 会話でも使ってしまうけれど、それは違うと・・。 「感謝」「幸せ」の気持ちは、心から思えば、 自然と出てくる単語なんだと知らされた。 メジャーリーガーの大谷選手がよく口にする「感謝」、 自然と出てくる言葉だったんだよな、きっと。
|
2025年05月10日(土) ■ |
 |
努力をしてこなかった結果が、今の私 |
 |
最近、自転車やバイクに乗れなくなっている。 これは、予想以上に体幹が弱くなったから。 言い換えれば、体幹を取り戻すストレッチを 時々しか、やってこなかった。 最近、音痴になった。 これは、他人と話す機会が極端に減ったため、 滑舌が悪くなったから。 言い換えれば、滑舌を良くするトレーニングを 時々しか、やってこなかった。 最近、10分も落ち着いていられなくなってしまった。 これも、他人と話す機会が減ったから。 言い換えれば、社会参加を時々しか、してこなかった。 最近、ちょっと太ってきた。 これは、甘いものを我慢できなかったから。 言い換えれば、運動不足なのに、ストレッチとか 軽運動を時々しか、してこなかった。 最近、できないことが増えた。 これは、やらなければならないことをサボったから。 言い換えれば、時々しか、努力してこなかったという訳だ。 そう、努力をしてこなかった結果が、今の私。 誰のせいでもない、自分の甘さにある。
|
2025年05月09日(金) ■ |
 |
どんな時でも続ける、ルーティン・トレーニング |
 |
毎日、体幹トレーニング、滑舌トレーニングを 日課として出来るだけやっているが、飽きてきてしまう。 こんなことしていても、効果あるのかな?と思ってしまう。 出来るだけでなく、どんな時でも・・やる必要があると感じた。 メジャーリーグの大谷選手が凄いのは、 試合中のプレーでなく、目立たないところで続けている、 影のルーティン・トレーニングだ、とチームの同僚は言う。 どんな時でも、そのルーティン・トレーニングを こなしている彼の姿を見て、誰もが驚き尊敬してしまうらしい。 だから、ホームランを打っても、驚かない。 あれだけのトレーニングをしているから当然だ、と思うようだ。 あのバッテイングは、偶然でもなんでもない。 トレーナーを信じて、黙々と続けている大谷選手、 トレーニングに裏付けされた自信が、あのバッティングである。 私も「出来るだけ」と言わず「どんな時」でも続けたい。 すぐに結果を求めずに・・。(汗)
|
2025年05月07日(水) ■ |
 |
電気も電波もない宿に・・ |
 |
知人に誕生日のお祝いをメッセージで送ったが、 なかなか「既読」の印がつかないので、気になった。 いつもなら、ずくに「既読」になるのに・・。 例えば、病院に入院してしまったとか、 何かあったのかな?と心配してしまった。(汗) そんな彼女から一日遅れで、メッセージが届いた。 「なんと昨日から、電気も電波もない、 岐阜のランプの宿にお泊まりでしたWW」 なんと「スマホから離れた生活」を楽しんだようだ。 自宅にいたら、体験できないこと。 どうしても、1日に1回以上は、確認してしまう癖が ついてしまっているから。 私も、疑似体験として、電波の届かない生活してみたい。 スマホを手の届かない場所にしまい、 (一時的に、電波の届かない環境を作り)、 次の日まで、手にしないことを自分との約束にして。 果たして、我慢できるだろうか? スマホ三昧の私にとって、ちょっびり自信がないな。 スマホ生活からの脱却、やってみる価値がある気がする。 さすがに、電気のない生活は無理だけど・・。
|
2025年05月05日(月) ■ |
 |
レモンちゃんの話、わかりやすい |
 |
最近、書籍「積極的その日暮らし」 (落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)からの引用が続いている。 私のアンテナに引っかかってくるフレーズが多いということ。 私たちの世代、落合惠子さんを「レモンちゃん」と呼んでいた。 その彼女が「高齢」というのを前向きに受け止めて、 女友達と楽しく過ごしている彼女の行動や気持ちが、 手に取るようにわかるから読みやすい。羨ましいくらいに。 母の長い介護と、母を見送った悲しみなど 辛いことも多かったようだけど、それにもめげず、 季節の花を育てながら、毎日を楽しんでいる。 なぜ、そんな彼女のメッセージに惹かれるかというと、 彼女の話が等身大の話であり、わかりやすいからだろう。 何も気取らず、今思ったことを文字にすること。 これって、私が何十年も、やってきたことと変わりがない。 もしかしたら、私の文章って、わかりにくかったかな。 楽しい本と出会った時の喜びを久しぶりに味わった。 これからも、この本からの引用が続く。お楽しみに。
|
2025年05月03日(土) ■ |
 |
待つことが苦痛になっている自分がいる。 |
 |
書籍「積極的その日暮らし」 (落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)から。 朝日新聞に連載されたショートエッセイの中から抜粋。 (タイトルは「そういうこと」) 「待つことが苦痛になっている自分がいる。 我慢が利かなくなったのかなあ。 たぶん、これも年齢のせいだろうね」 内容は女性のトイレの話だったけれど(笑) 高齢者になって気づいたことが 歳を重ねるにつれ「待つこと」が苦手、になっている。 テレビで特集している「行列ができる○○店」などは たぶん、待ってまで・・と敬遠してしまう私。 これって、年齢にせいだったのか、と納得。 最近、特にひどい、待てなくなってきた。
|
2025年05月01日(木) ■ |
 |
加齢からの厳粛なる贈り物だもの。 |
 |
書籍「積極的その日暮らし」 (落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)から。 朝日新聞に連載されたショートエッセイの中から抜粋。 (タイトルは「写真うつり」) 「写真なら差し替えはできるが、鏡うつりとなると・・・ そのまま丸ごと受け入れる。 いいじゃないか、加齢からの厳粛なる贈り物だもの。 受け取り拒否はしない。」 今の写真は、編集でどうにでもなるから、 若返りなんてお手のものだろう。 素敵な高齢者にでもなれるらしい。 しかし、鏡に写った顔は、編集できない。 現実を受け入れるしかないのが、鏡に写った姿である。 その現実を「加齢からの厳粛なる贈り物だもの。」と 言い切れる彼女の生き方が見えてきた。 昔は・・・と振りかえるよりいいな。 男だって、同じことが言えそうだ。
|
2025年04月29日(火) ■ |
 |
どれだけ少ないものでやっていくか |
 |
書籍「積極的その日暮らし」 (落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)から。 朝日新聞に連載されたショートエッセイの中から抜粋。 (タイトルは「たどりついたら、いつも雨ふり」) 「『どれだけ多くのもので、ではなく、 どれだけ少ないものでやっていくか』と。 五十代を迎えてから、わたしもそう心がけてきた。」 そうなんだよな・・とメモをした。 「終活」って、そういうことなんだと思う。 同じものが、幾つもある我が家にとっては、 耳の痛いフレーズであるが・・(汗) お気に入りのものだけに囲まれて生活できたなら、 どんなに気が楽になるだろう。 先日「引っ越すつもりで、荷物整理を」と書いた。 それを、言い換えると、こうなる。 「どれだけ少ないものでやっていくか」を楽しみとして 荷物整理を始めたい。
|
2025年04月27日(日) ■ |
 |
苦手は苦手のままで、も、いっか |
 |
書籍「積極的その日暮らし」 (落合恵子著・朝日新聞刊・310頁)から。 朝日新聞に連載されたショートエッセイの中から抜粋。 (タイトルは「開かずの間」) 「『苦手は苦手のままで、も、いっか』という声も、 心の奥に聞く年代でもある。 これぞ、加齢の醍醐味のひとつである」 歳を重ねるってそういうことのような気がする。 苦手なことをなんとかしなくては、というのではなく、 開き直って、苦手なものは苦手・・で済ませてしまう、 それが許される年齢になったということ。 これは、大きな気付きになった。 「無理をしない」とはちょっと違う感覚である。 諦めではなく、前向きに考えての選択。 苦手なことは得意な人に任せる、くらいのスタンス。 それこそが、長生きのコツのような気がする。
|
2025年04月25日(金) ■ |
 |
京都の修学旅行が激減 |
 |
外国人の観光客が増えている関係で、 日本の子供たちに影響が出ている、という話を耳にした。 それが、京都の修学旅行の激減。 中学校の修学旅行の定番は、京都に違いなのだけれど、 インバウンドの多さから、修学旅行に異変が起きている。 日本の子供たちに見てほしいと思う名所が 外国人で溢れている。 オーバーツーリズムとしか言えないが、 子供たちが体験してほしい日本文化や、 京都しか味わえない食べ物やお土産も高くなったり、 今の京都は修学旅行に適していない。 そう判断する学校が増えていることだ。 一番、感受性が強い時期の日本の子供たちが、 日本文化を体験できないなんて、 本末転倒ではないだろうか。 観光客が多いのは、いいことばかりではない。
|
|