あららのつぶやき
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2004年07月19日(月) 13回忌の法要

 MIHO女の13回忌の法要が営まれた。
亡くなったのは、12年前の8月13日。
享年58歳。

終戦後に彼女は知り合った男性との結婚を
両親からは反対された。
理由は「予科練くずれ」
今は、こんな言葉を知らない人もいるワ。
私も実態は知らない。

彼女自身は子供の頃は賢い子だったらしいが
病気による高熱で、少々頭が弱くなった(トカ)らしい。

それもあって両親としては、心配をしたに違いない
昔かたぎで頑固な両親ゆえ、
反対を押し切って結婚した彼女を許すことなく
家への出入りは禁じたままであったの。

その後、子供が1人授かったが、
その彼とは離婚して、四国へ行ったらしい。
さすがに母親には時々住所の連絡をしていたのだろう。
が、はっきりと住まいの確認をしに行ったわけではなかった。

13年前彼女の父親が亡くなった。
「MIHOさんに連絡はしなくて良いの?」って
話も出たけれど、

母親は「まじめに暮らしている男兄弟・
会社でそれ相当の役職ももらっている兄弟(息子達)に
迷惑がかかるといけないから」って。

翌年8月は、その亡父の新盆。
初盆飾りをして供養している中へ
「徳島の警察から・・」って連絡が入った。

徳島の某地で、急死したらしい。
心臓麻痺らしいが、なにしろ急だったので
一緒に居た人が疑われたみたい。

それで一応警察の検査があり、住所を探し当てて
「本人の確認を・・・」って言って来た。

母親・兄弟がそろって駆けつけると
警察はかえってびっくりしたって話。
「2人来れば良いところ」と思っていたのが、
7人で行ったのだからネ。それで信用されて身元確認もサクサクと。

妹婿は初めて見るその人を
「えッ?HI(自分の妻)かと思った」
って言うくらいそっくり(そりゃ〜姉妹ならね)だったトカ。
(徳島は阿波踊りの真っ最中で、宿を苦労して探したって余談あり)

結局ネ
「不肖の子供ほど可愛い」ってよく言うけど、
父親は頑固サゆえ、又、他の子供の手前もあるのか
最後まで彼女を許してはいなかったけど、

「ツミにしていたんだネ〜。後々災いが残らないよう
MIHO女を連れて行ったん(黄泉の世界へ)や」



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