見つめる日々

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2004年01月20日(火) 
 高く澄んだ空。果てのないその高みへ手を伸ばしてみる。もちろん欠片にさえ触れることは叶わないのだけれど、伸びた背筋が妙に気持ちいい。
 ベランダの薔薇の樹。ひっそりと風に揺れている。枝の狭間にはいつのまにか、赤い新芽が顔をのぞかせている。私が振り返るのを忘れている間も、彼らはここでこうして、黙って命を紡いでいる。小さな小さな葉を早々とひろげだしている者もあれば、まだまだ固く閉じている者もある。けれど、そのどれもが、しっかりと呼吸を孕んでいるのだと思うと、命というものの営みの重さが、それを見つめる私の眼からじわじわと私の体内にしみこんでくる。
 視界の端でちろちろと揺れる者、もうすっかり擦りきれて色褪せた一枚の葉。もう枯れたと言って摘んでしまった方がいいのかもしれない。私は枝の間に手を伸ばす。その瞬間、風に煽られた黄味がかったその葉の全身が光を翻し。私の眼に、彼の全身が捉えられる。細部にまで行き渡った葉脈、それはまるで、命と命とを繋ぐ緒のようで。私は伸ばした手を引っ込める。もうしばらくこのままで、いい。
 自分が世界の一部と感じられる時、心はせせこましい柵を容易に越えて、何処までも広がってゆく。耳の内奥で聴こえないはずの音が聴こえてくる。どくん、どくん、どくん。世界の鼓動と自分の鼓動とがやがて重なり合い、私はこの体という厄介な輪郭を越えて、世界へと溶け出す。世界も私へと流れ込む。お互いが溶け合ってやがてひとつになる。
 どくん、どくん、どくん。
 昨日憎んだことも、一昨日恨んだことも、怒りも悲しみも喜びも、全てが溶け合って、やがて海になる。愛しているという海に。何もかもを呑みこんで、溶け合わせて、それらが全体として、愛してるになってゆく。
 そんな瞬間が、私は好きだ。世界と溶け合って、自分の中のありとあらゆる要素が愛してるに繋がる時が。個々に見たならばバラバラで、溶け合えるはずのなかったものたちが、一つになって、全体になる時。あぁ、今生きているのだ、と思える。至福の瞬間。
 明日また不安に苛まれるかもしれない、怒りに身を焦がすかもしれない。でも。
 それらすべてが溶け合って融合して私を造っている。そのことを知る時。
 私は「生きている」というそのことを、感じる。それが私を、明日へと繋げてゆく。


遠藤みちる HOMEMAIL

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