2004年03月04日(木) |
あぁ今日はなんて気持ちの良い陽気だろう、と、仕事に取り掛かる前に布団も洗濯物もすっかり外に出したのだが。ふと気付くと、外は恐いくらいに暗くなっており。私は慌てて布団や洗濯物を部屋に取り込む。そうして空を恐る恐る見上げてみる。泣き出そうか、泣き出すまいか、唇をうむむと一文字に結んでいる子鬼の顔がそこに浮かぶ。子鬼さん、泣き出すのはもう少し、後にしてもらえませんか。私はそっと、口の中で呟いてみる。 私が鏡を覗き込んで、そこに母の顔を初めて見出したのは、数年前のことである。或る朝、夜通し泣く娘を抱いて過ごし、すっかり疲れ果てた私は、顔を洗おうと思って覗いた鏡の中に母を見た。私は一瞬目を疑い、自分の思考回路が凍りついたのを今でもよく覚えている。 鏡から目を逸らす。そうすると、母の顔は視界から消える。実際には、あんなにもやつれ疲れ果てた母の顔など、私は見たことがなかった。しかし、私の記憶の中にある幾つもの母の顔の点と点とが結ばれて、鏡の中で母の顔となった。私の顔であり、母の顔。母の顔であり、それは決して母の顔ではなく、私の顔。 多分、このとき初めて、私は、母の過去を知りたいと思ったのだった。私の記憶の中にある母の顔たちが結ばれて描き出してしまった虚の母の顔を見た時、それを培ってきたのだろう彼女の歴史を知りたいと。そこには一体何が積まれているのだろう。そこには一体何が詰まっているのだろう。 私は、父母と親しくなかった。親子の間に自然にあるだろう葛藤以上のものを、私は彼女たちに抱き、それは私と父母を長いこと苦しめていた。いつか和解したい、いつか分かり合いたい、そう思いながら、そのきっかけさえ掴めずに、私は長い時間を過ごしていた。それはきっと、父母も同じだったのではないかと思う。 それが、私が子を授かったことで、少しずつ変容していった。父母は孫を溺愛し、私はそれを、そっと外側から見守る。そんな構図が生まれた。私と彼らとの間に、適当な距離が生まれた、それまで父母と娘という関係ではお互いに棘を刺し合うしかできなかったのが、適当な距離が生まれたことで私たちは、その棘を、己の内にそっと隠して、お互いを見ることができるようになった。しかし、それだけじゃ、私と父母との間にできた溝は埋まるものではなかった。私たち自身が自ら埋めようと思わなければ、他からの影響からだけでは決して埋まらない溝。深い深い、亀裂。 あのときもし、私が、母の顔を形作ってきたのだろう母の歴史を知りたいと思わなければ、今私たちはどうなっていたのだろう。 私は、母に少しずつ尋ねていった。お母さんは、おばあちゃんのことをどう思っていたの? お母さんは子供の頃何が好きだったの? お母さんは四人兄弟の中でたった一人女の子でおじいちゃんは猫かわいがりしたって聞いたけどそれは本当?…。それは、どうでもいいようなことたちだったと思う。でも、私は、聞いた。聞きたいと思った。母がこれまで、どんな人生を歩んできたのか。何を好きで、何が嫌いで、どんなことを求めて歩いてきたのか。そして今母は、この人生に満足しているのか。私といがみ合ったあの時間を、あなたはどう思っているのか。そして今ふたりこう在ることを、どんなふうに思っているのか。 母は、あえて私と目を合わせるでもなく、淡々と、私が聞くことに答えてくれた。時にはぐらかし、時にもう覚えていないと笑う顔を、私はただじっと、見つめていた。 あぁ、ここに、こんな歴史があったのか、と、私はそうして初めて知ったのだ。あぁだから母は、あのとき、あんな不器用な仕草を私にぶつけたのか、と。あぁだから母はあのとき、あんな言葉を吐いたのか、と。 そして私は知った。私たちがあのとき分かり合えなかったのは、こうやってみれば、ごくごく自然なことだったのだ、と。分かり合えなくてよかったのだ。分かり合えないということを経たからこそ、お互いに、今、ここにそれぞれ在ることができる。 私は今、歳を重ね、母が私を産んだ歳を越え、じきに、私の記憶の中にある幾つもの母と同じ年齢になってゆく。きっと私は歳を重ねるたびに、鏡の中に母を見出すであろう。そしてそれはきっと、私にいろんなことを教えるだろう。こんな考え方もあるのよ、と。あなたはこう言うだろうけれども、それだけじゃない、こんなことだって言えるのよ、と。事あるごとに教えるだろう、私に。母はそうやって、私の中に、血の繋がった者として、同時にとても親しい他人として、存在してゆくに違いない。 それはまた、母だけではない。血の繋がっている者としては母や父、弟しか私にはいないけれども、それだけじゃない。私の中には、SもMも、FもKもTも、Yもいる。鏡の中の自分を覗きこんだとき、重なる彼らの顔。それは、彼らの中にある自分との共通点、或いは相違点を、私に教える。そして、私の心がどうしても偏ってしまっているとき、彼らの顔はそっと語りかけてくる。ねぇ、それだけじゃないでしょ、こうも考えられるでしょ、と。また、私の心が逃げの構えをしているとき、彼らの顔が教えてくれる。ほら、本音はここにあるじゃない、本当はどうしたいの、本当はどう言いたいの、言ってごらん、いくら逃げたって、あなたはあなたの本音からは逃げられないよ、と。やさしく諭してくれる。 だから私は何処までも強くなれる。本当はこれっぽっちでちっぽけで弱っちくて、どうしようもない私だけれども、私が私の心の中に棲む愛する人たちを思い出すとき、私は強くなれる。さぁこれが私の一歩よ、と、胸を張って踏み出せる。 そうやって考えると、人の顔や手の皺、その姿勢というのは不思議だ。何よりも克明に人の歴史を語る。今日私はどんな顔をしているだろう。どんな手をしているだろう。背筋は伸びているだろうか。昨日よりやさしい目をしているだろうか。昨日より冷たい口をしているだろうか。そうして私は鏡の中を覗きこむ。 そこには、確かに私がいる。私の顔が。けれどその私の顔は私をずっと越えて、広がってゆく。私を培っている幾つもの時間や経験や人の顔が、そこには在る。私の内奥をその有り様をそうやって、私の顔が手が、これでもかというほど現している。そして私は知る。あぁこれが私だ、と。醜かろうと何だろうと、これが私が背負っていく私自身なのだ、と。
とうとう子鬼は泣き出した。これでもかというくらいに冷たく勢い良く。吹きつける風に次々雨粒を散らす。泣けるうちは泣いた方がいい。そう言ったのは誰だったか。泣けるときは思いきり泣けばいい。泣くことさえできないときが人にはあるのだから。 そして明日はまた笑うんだ。こぼれんばかりの笑顔で。 |
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