2004年03月09日(火) |
毎日ベランダの薔薇の樹を見つめる。その姿は、刻一刻、変化する。昨日まで固く閉じていた葉が、今日になれば僅かに先を開き、陽光を受けようとその手を伸ばす。明日になればきっと、この葉はもっと開き、風にさやさやと揺れるようにもなるのだろう。 そしてまた、同じ薔薇という名前でひと括りに呼んでも、一本一本、葉のつき方、その形が異なる。この手前の鉢の、朱赤のミニバラは、葉の色が濃く、いっぱいに開いてもその縁は紅色を残している。その隣の白いミニバラは、まさに若葉色といった葉を広げ、そしてその奥に並ぶ白い大輪の薔薇の樹たちは、ミニバラとはもちろん、葉の大きさも違えば広がり方も何もかもが違う。 今年新しく挿し木した薔薇は、花屋で買ったときは黄色だった。それなら黄色の花が咲くものと思いきや、去年はあっさり裏切られた覚えがある。友人に貰った花束の中の、灰色がかった薔薇を挿し木で増やしたところ、咲いた花は明るい赤だった。さぁこの樹、一体何色の花をつけるだろう。黄色か、それとも全く予想もしない色なのか。 薔薇の樹や葉をこうやって見ていると、つくづく、この世にひとつとして同じものはないのだなと思う。同じ株から増やしたものであってさえ、決して同じ姿はしていない。ひとつひとつが、この世で唯一の形を作ってゆく。 それはきっと、私たちも同じなのだろう。こう言ってしまうことは実に簡単なことだけれど、でも、人は時々、やはり錯覚する。自分の尺度で相手を計り、それに当てはまらないとどうしてかと思ってしまう。 たとえばそれは、母。母の昔話を聞いていて、ふと思った。母は、母とは全く異なる道を歩もうとする幼い私に、ずいぶん戸惑ったという。どうして彼女はそんなものを選ぶのだろう、どうして彼女はそんなことをするのだろう、私の娘なのに、と。 これはきっと、親子というものが存在する限り、何処にでもあり得る風景なのだと今の私ならば思う。けれど、まだ私が幼かった頃は、逆に、どうして母は分かってくれないのだろう、どうして母は私がひとりで歩こうとするとそれを遮るのだろうと不思議に思ったし、不思議どころか腹立たしくさえ思った。 でも、その体験のおかげなのか、私は、娘が生まれた瞬間に、あぁ私とはもう別個の、ひとつの命がここにあるのだということを痛感した。それは、理屈ではない。ただもう、あるがままに、私はそう感じた。 今、娘とふたりで暮らしていて、彼女は私が思ってもみないことをどんどんやってくれる。母によると、私が同じくらいの歳の頃には決してしなかっただろう仕草、決して考え及ばなかっただろう思いつき、次々にやってくれる。母はそれを見ながら「あなたも彼女からおんなじことをされるわよ、私があなたにされたのと同じようにね」と苦笑する。それは、言葉は悪いが、或る意味で、母の期待を裏切り続けてきた私への言葉だ。 だから私も言う。「そうだねぇ、いいよ、いいよ、もう覚悟してるから。私とは全く違うことを、この子もやっていくのよね」。そして母が言う。「あんたって子は、全く頼りない母親ね。娘の母親なら、もっと娘を指導していかなきゃ、とんでもないことになるわよ」。そう言いながら、母は、舐めるように孫を可愛がる。だから私も適当に、はいはい、と返事をして、母と娘とのやりとりを横で眺めている。 そう、分かっている。母が言いたいだろうことは何処かで分かっている。でも、思うのだ。私と母との違いは、私が、生まれた瞬間から彼女のことを、私とはまったく別個の一個の人間だと思っているということ。それが良いのだとは私は思っていない。ただ、私はそう思って、娘を見つめている、ということ。 たとえば食事をする。私はぱっぱと食べる。もぐもぐ食べる。一方娘はというと、とにかくよく喋る。一口食べたら、十くらい、その日に彼女が感じただろうことを隣に座る私に報告する。そんな具合だから、私が食事を終えようとするとき、下手すると彼女は、まだ三分の一も食していなかったりする。こういうとき、私はちょっといらいらする。早く食べなさいよ、と思う。でも、考えてみれば、私の食事のテンポと彼女の食事のテンポは、違っているのだ。彼女にとっての食卓は多分、ママと思いっきりお喋りをする場所で、お喋りをしながら食べるからおいしいのであって、黙ってむしゃむしゃ食べたのでは、きっと食事もおいしくなくなる。その証拠に、私がたまに急かしたりすると、彼女は一気にしょぼくれる。「ママのこと好きなのに。ママといっぱいお話したいと思ってるのに」。そう言って涙ぐむ。それは冗談で言ってるのではない、本気で彼女はそう言って、本気で涙ぐんでいるのだ。だから私は慌てて、彼女を抱きしめて、ごめんね、と言う。彼女の頬はもう、ぽろぽろと涙が零れていて、それでも、ごめんと言った私に、か細い声で、いいよ、と答えてくれる。 そんな、些細なことかもしれないけれども、でも確かに私たちの日常を担っている一場面一場面で、私たちは、親子であるけれども、同時に、一個ずつ、全く異なる人間なのだということを、私は感じる。そして、そう感じさせてくれる彼女に、私はほっとする。 子供にも、きっといろいろあるんだろう。たまたま私の娘が、私にとってこうした存在だったというだけで、たとえば世の中には、紙一重といっていいくらいの親子もいるだろうし、ぴったりくっつきあった親子だっているだろう。それはそれできっと、素敵な親子の形を作っていくに違いない。 だから、私と娘も、私と娘だからこそ作ることのできる関係を作ってゆけばいい。だからあなたは、あなたの思うまま、どんどん私を裏切って、どんどん私を驚かせて、どんどん私を泣かせて、私が知らなかった世界をそうやってどんどん私に教えていって欲しい。一心にクレヨンを操る小さな娘の横顔をちらりちらりと眺めながら、そんなことを思う。 そして、こんなふうに今私が考えることができるのは、思春期に、母や父と長い長い戦争を経てきてからだということを。私はじっと噛み締める。母や父とのあの長い葛藤がなければ、私は今、こんなふうに彼女を見つめることはなかっただろうと。当時は確かに苦しかった。しんどかった。なんで生まれてきてしまったのかと恨みさえした。けれど。 今はあの時間を、いとおしく思う。アダルトチルドレンという言葉が、機能不全家族という言葉が巷に溢れるようになって久しいけれど、そういった言葉に自ら縛られて、私自身足をすくわれた時期もあったけれど。 そういったものを否定するのではなく、受け容れることで、あるがままを受け容れることで、世界はがらりと姿を変える。そのことを、今の私はもう、知っている。
午後の陽射は柔らかく、開け放した窓からとめどなく部屋に流れ込んでくる。しばし街の音に耳を澄ましてみる。車の音、風の音、遠く過ぎる飛行機の音、そして、チチチ、チチチ、と鳴く小さな雀の声。季節はもう春。私にとってそれは三十三回目の春。これもまた、たった一度の、大切な季節。 そろそろ仕事に戻ろう。いや、その前に珈琲を、一杯だけ飲んで。 |
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