2004年04月27日(火) |
窓際に座っていると、これでもかというほどの強い風が、窓を街路樹を電線を嬲りつけてゆく音がはっきりと聞えてくる。ようやく開いてきた白い大輪の薔薇が、ちぎれそうに首を歪めているので、急いで部屋の中に取り込む。でも気付くのがちょっと遅過ぎた。開き始めた外側の花びらが、もうすっかり傾いでしまっている。可哀想に。 誰が泣いているのだろう。誰が悲痛に暮れているのだろう。誰が必死に壊れそうな心を抱いているのだろう。そんなことをつい思い巡らしてしまいたくなるほどに、風は、雨は、街中を嬲りつけてゆく。 ここのところほとんど毎日、真夜中に目を覚ます。その行為自体はいつものことと言えば確かにそうなのだが、いつものそれとは大きく違っている。何が? 何かが。たとえば私は大好きな夜闇の中にいながら、落ち着いて椅子に座ることもできず、狭い部屋の中をあっちうろうろ、こっちうろうろ、歩き回ったりしてしまう。こんなんなら、さっさと再び横になってしまえと思うのに、それができない。時間だけがチッチッと過ぎる。その音がひどく大きく聞えて余計に私は焦る。もういい加減横になろう、もういい加減眠ろう、そう思うのに、体がいうとおりにならない。私の意志とは正反対に、体が何とかして起きていようとしてしまう。誰かに手紙を書こうという余裕なんて、情けないことにそんなときはどうしても心の何処を探しても沸いてこない。 ふと誘惑にかられる。久しぶりに腕をざっくり切り刻んでしまおうか。 いや、そんなことはいけない。絶対にいけない。 じゃぁ食べられるもの全部食べて、思いきり食べて、そして思いきり吐いてしまおうか。 いや、そんなことして何になる。何にもならないじゃないか。それにそもそも、いきなり娘が目を覚ましたらどうする。娘に何と言い訳をする。 ぐるぐると回る私の頭の中。あんまりにぐるぐる巡るから、もう訳が分からなくなって、私はただいらいらする。 とりあえず珈琲を飲もう。少量のお湯を沸かし、インスタントコーヒーを入れる。牛乳を少し足して、一口啜ってみる。味がまったく分からない。分からないまま、それでも私は飲んでみる。いつか分かるかもしれないと意味のない期待をひとかけらだけ抱きながら。 先日病院に行った折、先生に私の夜の状態を改めて話してみる。夜中に目を覚ましたら、腕を切ったりバカ食いして吐いたりする代わりに、この薬を一錠飲んで、とりあえず横になってみて。でも先生、私、横になるのができないんです、恐いとも少し違う、もう強迫観念と言っても過言じゃないくらいに、横になることを私の体が拒絶するんです。こんな状態じゃそれも無理ないわよ、解離症状も極度の緊張状態も常に続いている状態で、それは自然なことよ。そんなんだから私、電車の中でとか眠ってしまって電車をしょっちゅう乗り越してしまう、今日もそうでした。だから、儀式と思ってやってみたらどうかしら。目を覚まして起きあがってしまって、そしたら必ずこの薬を飲む、という儀式。…はい。 地上からふわふわ浮いたような状態のまま、私は家路を辿る。もうすぐ家だと思って安堵した瞬間、私は愕然とする。薬がない。今日処方された薬の袋全部がない。一体何処に、何処に忘れてきたのだろう。そもそも私はどうして今ここにいるのだろう。私はあっという間に混乱の坩堝に陥り、もう為す術もなくなる。私は、もう、自分でたったの一歩も身動きできない状態に陥る。 どうしようもなくなって助けを求めた人が、代わりに受け取りに行ってくれることになった。病院に許可をとり、私はその場でひたすら座り込む。その間に友人が病院まで行ってくれ、結局再度処方箋を出してもらい、実費で薬を得ることになる。そして私は再び愕然とする。その金額に。二万円以上。再度処方された場合、保険は一切きかない。 ニ万円以上の薬を、私は毎度毎度飲んでいたのか、と、今更だけれども驚愕する。そして今度こそなくさないようにと、友人から受け取った大きな薬袋を両腕でぎゅっと抱きかかえて、家路を急ぐ。 そういえば、しばらく前に先生とこんな話をした。 先生、あれは監禁だったんでしょうか、それとも軟禁とか、或いは、あれは私の被害妄想であって監禁でも軟禁でもなかったんでしょうか。 私は、監禁だと思いますよ。 でも親ですよ。両親ですよ。それをしたのは。それでもやっぱり監禁になるんでしょうか。 なりますよ。 そう、私は、両親に監禁されていた時期があった。それは時間的にはたったの三ヶ月だったけれども、いつ思い返しても、あの時間は止まっている。 高校一年生の一月、突然私は退学せざるを得なくなった。それは、我が家にはあってはならない出来事だった。家族の恥だと罵られた。私の理由を真実を聞いてほしい、分かってほしいと私は最初は訴えたけれども、そんなものは無駄だった。理由なんて関係なかった、事実のみが父母には大事だった。高校を途中で辞めた娘なんてものは、彼らの中に存在してはならなかった。その日から、私は、家から一歩も出ることを許されない、また、私がここに隠れているということを誰にも知られないために物音一つ立ててはいけないという生活を、始めることになった。 そう、普通の高校生ならば学校に行っているはずの時間、私が家に居ることを近所の誰にも知られてはならないから、物音一つ立ててはいけなかった。音楽を聴くのはもちろんピアノを弾くことももってのほかだった。足音さえ忍ばせて歩かなければならなかった。だから私はほとんど、毎日を自分の部屋に閉じこもり、じっと膝を抱えて過ごした。そして、食事も一人きりだった。弟とも喋ってはいけないと命じられた。父母とはもちろんほとんど会話などなかった。要するに、私は、あの頃、誰と話をすることも許されていなかった。家から外に出ることはもちろん許されていなかったし、そんな中、私にできることは、私の頭の中で、声を一切出さず、私自身と話をすることだけだった。 そういう三ヶ月間を、私は過ごした。 時々、あの時のことを思い出す。思い出して、途方に暮れる。何をどう考えていいのか分からないからだ。何をどう受けとめていいのか、分からないからだ。 昔一度だけ、電話で父に訴えたことがあった。泣いて訴えたことが。どうしてお父さんお母さんはあんなことしたの? 何言ってるんだ、今更。おまえはそうやって過去のことをいちいち引っ張り出して、周囲を混乱させてることが分からないのか。そんなこと言ったって、私の中ではあのことはとても大きな傷として残ってるんだよ。だから理由がしりたいの、どうして。俺はおまえに感謝されこそすれ、こんなふうに言われる覚えはない。おまえを世間から守るためにしたことだ。それを何故俺が謝らなければいけないんだ。何も謝ることなんてこれっぽっちもない。でも私は、あのことをずっと引きずってるんだよ。痛いんだよ。それはおまえの勝手だ、情けない、いいか、これ以上こんな話をする気はない、今後も一切答えるつもりはない。 電話はそうしてがちゃりと切れた。切れた電話を握り締めながら、私はぼろぼろと泣いた。一体どうしたらこの人たちと分かり合えるのだろう。一体どうしたら私は、この人たちに愛されていると感じることができるのだろう。 先生は最後にこんなことを言った。 でもね、それだけじゃない様々な酷い出来事を過ごして来て、それでも尚、こうして踏ん張ってるあなたを、私はよく知ってる。
薬を私の代わりに受け取りに行ってくれた友人がこんなことを言った。 今加害者に会ったらどうする? うーん…もし私が知ってる場所に今も住んでいるなら、行って、そうしてその人に言ってみたいことがある。 何? …あなたはあれから、どうやって生きてきましたか。私はこんな日々を過ごしてきました。そのこと、あなたに分かりますか、って。いや、違うかな、よく分からない。何も言わないのかもしれない。ただその人の顔じっと見て、何も言わないかもしれない。 自分だったら、ドア開いた途端に殺しちゃうな。 ははは。まぁそれもありかもしれないけど… でも、だめだ。 うん、だめだ。 今はもう、おまえには娘がいる。その娘には何の罪もない。 そう。罪人の、殺人者の娘、なんて烙印、絶対に背負わせたくない。 だから、殺せない。 うん、殺せない。 だからここから生きるしかない。 そういうことだ。リストカットしたいなとか思うときも、娘の顔思い出すんだ。だめだ、娘を泣かせるようなこと、絶対にしちゃだめだ、って思う。一生懸命それを思って、リストカットへの衝動を押さえ込む。電車がホームに入ってくる瞬間、あぁ飛びたいなと誘惑にかられるときも、必死に彼女の顔を思い出す。だめだ、だめだ、って。 うん。 私は生きなくちゃ。 そう。 そう、生きなくちゃ。 ほれ、薬、飲まなくていいの? あ、飲まなくちゃ。今日はありがとう。 気をつけて帰りなよ。 うん。じゃ、また。
私は、そう、生きなくちゃ。娘の為じゃない、私が生きていたいから。 ここまで生き延びてきたっていうのに、今更死にたくなんかない。 だから、 生きなくちゃ。そう、私は、生きなくちゃ。 |
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