見つめる日々

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2004年04月19日(月) 
 ここのところ目を覚ますとすぐに、私は窓を開ける。窓を開けて、全開にして、思い切り深呼吸する。そうしてしばらくベランダに立ち、日差しと温度と風を感じた後、部屋に戻り洋服ダンスを開けてみる。そこで私は毎日首を傾げる。さて一体何を着たらいいのかしら。
 というのも、私の洋服ダンスには春の服や夏の服がとても少ない。はっきり言ってしまえば、セーターなどといった冬物の服が殆どだ。つい数年前まで、私は夏の暑さを感じ取れなかった。また、人から傷だらけの腕をじろじろ見られるのが鬱陶しくて、面倒だからといつでも長袖を着ていた。それ故に、今、私は困っている。一体何を着たらいいのかしら。今はもう暑さは暑さとして私なりに感じ、同時に、腕の傷なんてどうってことないと開き直った私にとって、今のこの私の洋服ダンスは、扱いに困る代物と化している。服を買わなくちゃいけないなぁと思う。そう思って、時間を見つけて洋服店を覗いてみたりするのだが、どうも気恥ずかしくていけない。最近の「お洋服」には、どうも今の私はついていけないようだ。これを着るくらいなら暑いのを我慢した方がいいかしら、と思うことしばしば。春物、夏物の洋服を購入せねばと思ってから今日までに実際に購入した数、片手の指の数に十分入る程度。だから私は今日も、洋服ダンスの前で首を傾げる。今日は一体何を着たらいいかしらん。
 ベランダでは、黄色い薔薇の蕾がとうとう綻び始めた。娘を呼んで二人で眺める。すごいねぇ、えらいねぇ、これからいっぱい咲くんだよ。二人してそんなことを花に向かって話しかける。
 昨日は主治医からこんなことを言われる。「だいぶ顔が解れたように見えるわよ」「そうですか?」「ええ。先週はねぇ、もうどうしようかって顔だった」。そう言い合って二人で思わず笑ってしまう。先週処方された薬は私にはちょっと強いと思うのだけれどと話すと、今日の顔色を見る限り、もうしばらくこの薬でいった方がいいと思うわと言われ、結局そのままにする。まぁいざとなれば、自分で包丁で半分に切り分ければいいのだから、そんなこと、どうってことはない。
 ここのところ夜中になるとぱっちりと目が覚める。私は起き上がり、隣で安らかに眠っている娘のおでこをそっと撫でる。彼女の額を撫でるのが私は好きだ。もちろんほっぺたを撫でるのも好きだけれど、彼女が眠っているときにこうやって額を撫でる、この感触、あたたかさ、滑らかさが、何より私にはいとおしい。私がどういう状態に陥っても、こうやって変わらずにここに在るもの。その存在が、私に力をくれる。彼女に触れると、私は元気になれる。
 そして私は、布団から抜け出し、しばしひとりの時間に埋もれる。自分の為だけにカフェオレをいれ、自分の為だけに煙草を吸い、窓を開ける。白い煙が夜闇へと流れ、じきに窓の外へと流れてゆく。そして気づけば、闇に溶けてそこにはもう、何もない。
 あの味や臭いは、まだ私の中にある。時々吐き気が襲ってきてトイレに駆け込むこともある。でも、もうショックからはずいぶん立ち直ったように思う。これも私の荷物のひとつ、と思ったのはいつだったか。そう思うことができるようになってから、私はすっと楽になった。そう、これも自分の荷物のひとつ。そう思えば、背負いようもあるというもの。
 そして私の夜は少しずつ過ぎてゆく。できるだけ何もしない。手元にあるのはいつものノートと書きなれたボールペンと万年筆と、あとはマグカップと煙草。こういうときの電気の灯りというのは強烈なだけなので、私はたいてい蝋燭を燈す。そして最後にヒノキの香りのお香に火をつける。
 ただそうやって、ぼおっとしていると、おのずから浮かんでくるものたちがある。それはたとえば人であったり、それはたとえばいつか刻まれた光景であったり、もう名前も顔も覚えていないのに私の中に残っているぬくみであったり。昼間だったらそれをあれやこれやと秩序立てて組み立ててしまうのがおちだけれども、夜中の私はそれをしない。組み立ても切り取りもせず、ただそれが在るがまま、浮かぶまま、そうさせておく。そして時々、その中に私も入り込んでみたり、その流れの中を泳いでみたりする。もちろん、対岸からただ眺めていることもある。
 そうしていると、私は手紙を書きたくなる。それはもうこの世にはいない誰かへであったり、この世にはまだいるけれどももう二度と交叉することの許されない誰かへであったり。その夜私の中に浮かんだ誰かへ、だから私は手紙を書いてみる。
 お元気ですか。今この街はまさに萌黄色です。どの樹にもどの樹にも、赤子の手のひらのような小さな葉が夥しいほどに芽吹き、風にちらちらと揺れています。うちの近くの通りには、誰が種を撒いたのか分からないけれどもアネモネの花が、今日も日の光を求めてまっすぐに咲いています。何処もかしこもが、浮き足立っているかのような季節です。
 あれからどうしていますか。何に傷つき、何に笑い、何に項垂れていますか。君がよく言っていた、自分の夢というのはどうなりましたか。
 私は、相変わらずです。でも多分、君と交叉した頃より、ずっとずっとタフになりました。それから何よりも、娘がいます。私が母親ですよ、信じられますか? 自分でももうびっくりです。二人の生活は結構大変だけれども、でもその分、とてもとても楽しいです。何よりも、自分がここに在るのだと常に感じることができる、それを感じさせてくれる誰かの存在は、かけがえのないものだと常々思います。
 君は今、誰かを愛していますか。それとも、ひとりを満喫している最中でしょうか。どちらにしても、君の毎日が充実していますように。
 いつでもまっすぐ過ぎるほどの君を、今、ありありと私は思い出します。まっすぐであるが故に喜び、まっすぐであるが故に深く傷つき、それでも必死にその二本の足で立っている君の姿を。
 私も多分今なら、言えます。自分の足でこの場所に立つということがどれほど大切なことかということ。
 もうそろそろ夜明けの時間です。私は夜明けに見る、あの一筋の光がとても好きです。まるで真っ暗な中、舞台の緞帳がするすると巻き上がっていく、その一番最初に見る光のように思えて。
 また手紙を書くかもしれません。そのときは、私の心の中で、記憶の中で、また君を思い出すことにします。そのときまで、さようなら。
 今の君を知らない、今の私より。

 そうやって私は夜、あてもなく、誰かへ手紙を書いたりする。そしてその手紙は、私の引き出しの奥深くにしまわれて、永遠の眠りにつく。


遠藤みちる HOMEMAIL

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