2004年04月17日(土) |
朝はいつだってあっという間にやってくる。目覚めた時は闇にすっかり抱きすくめられていた世界に、東からすっと一本の薄淡色がさしこんだかと思うと、その後はもう、瞬く間だ。カーテンの隙間から漏れてくる光を眺めるでもなく眺めながら、私は、今日も一日が始まったことを、知る。 埋立地のだだっぴろい道を自転車で走る。銀杏の樹たちは、今年もまた、赤子の手よりずっと小さい葉を全身にまとっている。やがてあの手のひらも、ぐんぐん大きくなって、黄色く色づいて落ちる頃には、すっかり大人のカタチになるのかと思うと、なんだかどきどきしてきて、口元が緩む。幹に手を触れると、どくんどくんと心臓の音が聞えてきそうな錯覚を覚える。この音は樹の心音なのか、それとも私の心音なのか。浮かんできたそんな問いに、私は思わずくすりと笑う。どっちだっていいじゃないの、どちらであっても、この手のひらで感じるものはあたたかく、そしてやさしい。 折角だからモミジフウの樹たちにも会いにゆく。実際こうやって会いにゆくのは久しぶりだけれど、この木々はいつだって私の心の中にあるから、なんだか久しぶりという感じがしない。ぼんぼりはやっぱり今年も枝々にぶらさがり、海から吹く風にぶらんぶらりんと揺れている。 世界の彼方此方が芽吹く季節。それは、彼方此方が彼方此方でざわざわとざわめいて、何となく落ち着かない気持ちにさせる。地上から3センチくらい浮いてしまっている、ちょっと伸ばせばすぐ地面につま先が届きそうなのに、何故か届かない…そんな不安感と似ている。
昨日だったか、薔薇の樹々に水をやりながら思い出していた。そういえば昔、日記に、世界と自分とは繋がっている、そのことを感じる、なんて、書いていたな、と。それを思い出し、私はちょっと笑った。その時はそれが正直な気持ちだったし、今だってそのことを問われれば、そう感じる、と、私は答えるだろう。 でも、同時に、世界とこれでもかというほど分断されていると感じる私も、やっぱり在るのだ。その二つは相反しているように見えるけれど、でも、どちらかが嘘だとかそういうことじゃぁなく、その両方を併せ持っていること、その両方の間を振り子のようにいったりきたりしているのが、この私なのだ。 先日、あの味と臭いでパニックを起こしている最中、母からの電話が鳴った。しつこく鳴る呼び鈴に気付いて何とか這いずって受話器を取った。そして私はその電話で、母になぞ言うつもりのなかった自分の今の酷い状態についてぼろりと愚痴を零してしまった。それを聞いた時の母の反応は、実に面白かった。「そういうのを治してくれるのが病院でしょ? M先生のところに毎週通ってて、いまだにそういうのが治らないの? 一体あれから何年経ってると思ってるのよ。おかしいじゃないの」。なるほど、そういう考え方が普通なのかもしれない。同時に、あぁなんて母らしい反応、母らしい言葉なのだろうと思えて、ひぃひぃはぁはぁ言っている最中だったにも関わらず、私はつい笑ってしまった。 病院というのは治してくれるところ。パニックだってフラッシュバックだって治してくれるはず。あれだけ大量の薬を毎日処方されて飲んでるんだから、平気なはず。 それが普通の反応なのかもしれない。でも、私は思うのだ。病院は治してくれるところじゃぁない、と。いや、内科や外科などというところは、確かに(目に見える傷を)治してくれるところなのだろう。でも、私が毎週通っているような心療内科というところは、治してくれるところじゃぁない、と。私がそれを乗り越える或いはうまく避けて通る方法を見出す(身につける)ことを手助けしてくれる場所なのだ、と。私はそう思っている。 そりゃぁ通い始めた最初の頃は、「先生、助けてください」「どうして楽にならないんですか」「私は一体何の為のこんな場所に通ってなきゃいけないんですか!」と、先生に詰め寄ったことも何度もあった。あの自分を思い出すと、私は恥ずかしくなってしまう。何も知らなかったのだ、あの頃の私は。とてもじゃないが、今はそんなことこれっぽっちも言うつもりはない。 それにしても、あれからずいぶん落ち着いた。味も臭いも、いまだに私の内に残ってはいるけれど、もう仕方のないことさ、と、諦めることができるようになったせいかもしれない。 そしてふと思った。 被害者というのは、事件後、日常が一変する。ひっくり返る。ひっくり返ってしまった日常を、世界を、生きなければならなくなる。じゃぁ翻って、加害者は? 加害者はどうなのだろう。 彼らはたいてい社会復帰する(もちろん、罪に問われることさえなくのうのうと社会で生きている人たちもいるが)。その時、彼らにとって事件前の日常と事件後の日常とは、一体どう変化するのだろう。そもそも変化するのだろうか、なら、一体どんなふうに? 私は、事件が起きたことよりも、事件後世界がひっくり返ったそのことに、今も生きづらさを感じてしまう。それまでの日常が崩壊し、それまでの世界が崩壊し、だから私は、世界を生活を再構築することから始めなければならなかった。その一方で、加害者は? 加害者たちは、一体どんな日常を世界を、事件の後、歩くのだろう? そのことを、いつか知りたいと思う。たとえば罪を犯したことを誰もが知っていながらその全員が全員、法的に罪に問われることなくその後ものうのうと社会で生きている、活動している、そういった人たちの事件後の心の内は? 刑務所などという建物の中で罪を償ったと認められて社会に出て来る加害者たちの本当の心の内は? その後の生活は? そこまで考えて、私は自分を嘲笑ってしまった。何考えてるんだろう、と。だって。 多分私は望んでいるのだ。その人たちも、私たちと同じように、世界を生活を再構築せざるを得ない状況に陥っていてほしい、と。そのことに気付いたから。私は、自分のあまりの醜さに、嘲笑せざるを得なかった。今の私では、きっと、その人たちがそんなこと露ほども気にせず、記憶にさえ留めず、のうのうと生きていることを知ったなら、きっと凄まじく傷つくのだろう。どうして、何故なの、と。私はきっと、その人たちも私と同じようにずたぼろになっていて欲しいのだ。 あぁ、なんて醜いんだろう。醜くて醜くて醜くて。そして、なんて憐れな人間なんだろう、私は。 もうやめよう、そんなことを考えるのは。 だって、同時に祈っているのだ、私は。私のような世界を生きる人が、一人でもいなくなりますように、と。私や、私が知っている同じ種類の被害者となった友人たちのような人間は、一人でもいなくなりますように、と。 その両極を結ぶものを、私はまだ持っていない。
薔薇の鉢の下から、水がこぽこぽと流れ始める。その水は、自ずと流れる方向を知っており、ベランダの端を伝って排水口へと流れこんでゆく。少しずつ、通りを往き交う車も増え始めた。すっかり明るくなった街が、昨日と変わらずここに在る。 そして私の今日も、ここから始まる。 |
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