見つめる日々

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2004年05月08日(土) 
 窓ガラスにもたれかかると、すぐに背中があたたまる。いや、あたたまるどころか、暑くなる。それでも窓ガラスにもたれかかって、涼やかな風に身を任せていることの心地よさを失いたくなくて、背中の暑さを我慢する。これはもう根競べ。お日様か、私か、どちらが勝つのか。…もちろんそれは、お日様の勝ち。私は仕方なく窓ガラスから身を離し、散らかった部屋の中を少しずつのらりくらりと片付け始める。

 この数週間のつけがいっぺんにやってきた。昨夜、娘に夕飯を食べさせた後、昼間からずきずきと痛んでいた頭がくらくらしてきて、娘にごめんねと言い、布団に横になる。頭痛は酷くなる一方。もうだめだと思い薬を飲む。二回分まとめてぐいっと。
 気がつくと娘をもう寝かしつける時間になっており。何とか起きあがったもののろれつが回らない。そんな状態で、どうにか娘の歯を磨き、トイレに行かせ、ごめんねを繰り返しながら娘と二人で横になる。頭痛は吐き気を伴い、けれど、吐こうにもトイレまで辿り着けない。いけないと思いつつ、もう一回頭痛薬を飲み込む。
 そんなふうに横になったから、夢はもう怒涛のようだった。あまり思い出したくないことはもちろん、死ぬまでもう振り返らないでいようと思っていたことまで、ありとあらゆるものが走馬灯のように、濁流のように私の中を流れ、荒れ狂い。
 でも、何だろう。これでもかというほどの濁流の後、私が辿り着いたところは、私の知らない場所だった。まだ知らない、見たこともない、多分この世には存在しないのだろう場所。
 ふっと目が覚める。そして反省。私は、体と心とどちらが勝つかといえば、心あるいは気持ちの方が常に勝ってしまう、でも、そんなんではこうやって娘に迷惑をかけることになるわけで。体と心の均衡を、きちんと考えて生活しなければいけないな、と。朝一番に私に向かってとびきりの笑顔を見せてくれた娘の姿を眺めながら、なおさらにそう思う。

 部屋を片付けていたら電話が鳴る。「S警察の者ですが」「はい」「えぇっと落し物が届いておりまして」「何ですか?」「薬なんですけれども」。
 過日私が失ったあの薬が。今頃になって見つかったという。一応お礼を伝え、でも、処分してくれるように頼む。今頃見つかっても、どうにもならない。その日中だったなら返品返金してもらえたけれども、もうしようがない。落し物をした私が悪い、それに尽きる。それにしても、何故今頃になって見つかったのだろう。誰が見つけてくれたのだろう、届けてくれたのだろう。ひとりぽつんと、「どうもありがとうございます」と言ってみる。その声は、通りを行き交う車の音に、すっかりかき消される。
 掃除機をかけていたら、いろんな人の顔が私の脳裏をよぎっていく。YI、RN、YA、CM、SY、とめどもなく、姿は次々流れてゆく。思いきり笑顔の顔もあれば、涙がこぼれそうなのを我慢しながらにぃっと笑っている顔、少し首を傾げながら遠い目をしている顔、声もなくただぼろぼろと涙をこぼす顔。
 もうこの世にはいない人もいれば、まだまだこの世に存在してくれている人も。もう二度と会えない人もいれば、こちらが呼べばすぐにでも返事をしてくれる人も。
 掃除機のスイッチを入れたままなのに手が止まる。誰に、ではない。誰かへ、ではない。私の脳裏に浮かんだ彼ら全員へ、私の想いが流れてゆく。そんな錯覚を覚える。私の心の川をいつもせきとめているだろう扉がすぅっと失われて、またたくまに水が想いが、四方八方へ流れてゆく。溢れるように。
 何の敷居もない。何の障壁もない。流れはまるで、この時を待っていたといわんばかりに、勢いよく、のびのびと、歓喜の歌声を聞かせながら、流れてゆく、流れてゆく。
 私の耳にはもう、通りを行き交う車の音も掃除機の音も聞こえない。私の内から勢いよく流れてゆく水の音だけが、私を満たす。

 ありがとう。出会えたこと。
 ありがとう。交叉できたこと。
 今この瞬間もこの緒とこの緒、繋がっている君へ、ありがとう。
 そしてもうこの緒の先にはいなくなった君へ、ありがとう。
 だってもう二度と会えなくても、私たちは大丈夫。
 よう!と掛ける声の隣で、いつも伝えたいことは「ありがとう」だった。
 さよならの代わりに、もう会えない君へ伝えたいことは、いつだって「ありがとう」だった。
 そのことを、今改めて思い出すよ。

 気がつけば日差しが斜めにさしている。はっと見上げた空は夕暮れ始めている。私は慌てて掃除の続きを始める。いい加減もう娘を迎えに行かなければ。また父母が頭に角を立てて怒り狂っているに違いない。だからおまえはどうしようもないんだ、母親失格だ!と。想像しながらつい私は笑ってしまう。
 私ももう大丈夫。疲れもずいぶん溶けていった。多分お日様が吸い取ってくれたんだろう。西の空を眺めながら言ってみる。子供の頃みたいに。
 ありがと、さよなら、また明日。


遠藤みちる HOMEMAIL

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