2004年09月06日(月) |
叩きつけるような雨。かと思えば高く青い空。揺れ動く天気に、私は少し疲れを覚える。眠れないまま迎える朝、今日の天気は、と空を見上げる時、自分の足元が、何となく不安定な、ぬかるんだ土道に裸足で降り立ったときのような、そんな感触が私の内奥に立ち現れ、私はそのまま、視線を地に落とす。そしてふと通りを見やると、度重なる強風ですっかりすりきれた街路樹の葉々が、さやさやと音をたて、私の目の中で揺れる。
この数週間、何の偶然か、それぞれは全く繋がりを持たないそれぞれの友人から、似通ったことを言われる。「もう(荷物は)手放しなよ」「忘れて生きることが大切だよ」「この宇宙を司る大きなエネルギーを信じて過去を手放すべきだよ」。そのたび私は、うふふと笑って、そうだよね、私もそう思うよと答えた。でもそれは挨拶代わりのような言葉であって、私の本音ではない。では本音はどうなのか。 手放せるものなら、もうとっくに自ら手放しているだろう。忘れられることならば、他人に言われるまでもなく自ら忘れているだろう。個々を越えたエネルギーに過去を放ることができるのなら、当然の如く私はそれをすでにしているだろう。それが多分、私の本音だ。でも同時に、そうできたら、どれだけいいだろう、という思いだって、心の中をかすめていることを、私は否めない。 今日ようやく、そのことを主治医に話してみる。先生、どうなんでしょう。 「ずいぶん無謀なことを言われたんだね。私は違うと思うよ」 「何が違うんでしょう? 私は、友人たちから言われて、そうできたらどんなにいいだろうとも心の中で思った。そうすべきだろうとも思った。そして、そうできない自分を見出して、そのたび罪悪感に陥りました」 「あのね、心についた傷だけならば、時間が風化させてくれたり、自ら忘れてゆくことができたりしますよ。でもね、心の傷だけじゃぁないんですよ。脳細胞、或いは脳神経に直接刻まれてしまった傷を、一体どうやって忘れたり放ったりできますか? できないでしょう?」 「心じゃなくて脳細胞とか脳神経に傷が刻まれるんですか? そういうものだったんですか?」 「ええ、そうですよ。誤解する人が多いけれど、そういうものなの」 「私、友人たちから言われたようにできない自分が情けなくて、ずいぶん罪悪感や自己嫌悪に陥ってました。そんなふうに陥る必要はなかったのかな」 「ええ、ないわね」 「私、思うのは、私にできることは、思い出しても平気になることなんじゃないかって思っているんですけれど」 「ええ、そうよ。どんどんどんどん傷が深いところへ沈んでいって、そうして、思い出しても平気なくらいになる、それがいつかは分からないけれど、そういうものよ」 「傷は心にあるだけじゃなくて、脳の中に直接刻まれてしまってるんだ…。知らなかった」 「そうね、周囲の人はそういうことを知らなくて、忘れてしまえとか放ってしまえって言うだろうけれども、そんなことできないし、しようとする必要もないの」 「そうなんだ…」 「ええ、そうよ」 「でも、他人は、必ずといっていいほど言いますよね、忘れてしまえとか、なんで忘れられないんだ、とか、もっと前向きになれ、とか」 「そうね」 「私、事件以降の自分を振り返って、これでもずいぶん前向きになったし、平気になってきたと思うんです」 「ええ、私もそう思うわ。よくここまで辿りついたものだと思う」 「でも、そういう元気になった私を周囲が見ると、さらに望まれるような気がします。もうそれだけ元気になったんだから、もっとここまで来れるでしょ、みたいな」 「そうね。でもそれは、勝手な言い分だと私は思うわよ」 「そんなもんでしょうか。そんなふうにせっかくの他人のアドバイスを受け取っていいんでしょうか」 「それは、相手はアドバイスのつもりでも、あなたにとってはアドバイスじゃぁないと思うんだけど」 「ああ、そういうものなんだ、確かにそう言われるとそんな気はするんですが。私、言われると、どんどんひしゃげていっちゃうんです、自分が」 「そうね、そういうところがあるわね」 「これだけ頑張ってやってるのに、どうしてさらにまた望まれなくちゃいけないんだろう。私は私なりに精一杯やって、笑って生きてるのに、さらにそれで忘れろって、もういい加減にしてよって。あはは。多分それが私の本音ですね」 「いいのよ、それで。結局自分を生きるのは自分なのよ。好き勝手にアドバイスしているつもりの他人があなたの代わりにあなたを生きてくれるわけじゃない」 「心だけじゃなくて、脳細胞や脳神経に直接刻まれた傷…」 「そう、だから、忘れようと思ったり放らなくちゃと思ったりする必要は、これっぽっちもないの。できることは、思い出しても平気になること。それだけよ」 「そうですね。なんか、ほっとしました」 「じゃ、来週またね」 「はい」 診察室を出、薬をもらいに足を外へ踏み出す。その足が、ここへ来たときよりほんのちょっとかもしれないけれども、軽くなっているような感じを覚える。実際には、足の重さが変わるわけはなく。それは私の気持ちの上だけの話なのだと、分かってはいるけれど。
家への道筋、自転車を漕ぎながら、私の目は多分何処も見ていなかった。私の目は私の心の内側にぐぅぅっと向き、私は私の心の中を、ただじっと、見つめてた。 私の傷は、脳細胞の、脳神経の、一体どの辺りに刻まれているのだろう。私には分からない。でも、その傷のおかげで、私はずいぶん、重たい楔を引きずっているように思う。けれど、あの頃に比べたらずっと軽くなっているし、また、それを引きずって歩くときに一体どうやったら少しでも楽になれるかという術も、私なりに身につけたように思う。 多分これからだって、私は周囲から言われ続けるだろう。忘れてしまいなさい、まだ忘れてないの、しっかり前向きに生きなくちゃだめよ、等々。そのたびに、私は少し、傷つくだろう。でも。 多分私のこの道は、間違ってない。私は私の道を往けばいい。改めて今、そう思う。
昨晩、いつも「私一人で寝るの、ママは仕事してて!」と、寝床から私を追いやる娘が、珍しく「ママと一緒に寝たいの」と言った。だから、私は彼女に寄り添って、彼女がいやいやと笑いながら体をくねらせるほどくっついて、彼女が眠りにつくまで子守唄を歌った。その最中、彼女がふっと、私の左腕をとってこんなことを言った。 「ママ、いっぱい怪我したのね」 「ああ、うん、そうね」 「こっちはちょっとで、こっちはいっぱい。でこぼこしてるよ」 「うん、そうね、みんな違うね」 「でももう痛くない?」 「痛くないよ」 「あのね、ママのこの手、好き」 「えー! 好きなの?」 「うん、好き」 「そうなんだぁ、こっちのすべすべの手じゃなくて?」 「うん、こっちがいい。だってね、触ってすぐ分かるもん、ママって」 「…なるほどぉ。そういうことか」 「ママもすぐ分かるでしょ? これはママの手だって。迷子にならないね」 「確かに、そうだね、うふふ」 「ね?」 考えたこともなかった。この傷だらけの、まさに傷で埋め尽くされた左腕が、彼女にとっては、ママの印、私がママだという証拠になっているとは。彼女が眠った後、私は自分でも左腕を埋め尽す傷痕を触ってみる。もう昔ほどには凹凸の少なくなった腕。それでも、消えることなく残っている傷痕。 でもこれが、娘にとって私の印であるのなら。 この傷痕も、捨てたもんじゃない。
そうだ、迷子になりそうになったら。私は私のこの腕を見ればいい。私が足を踏み出す方向に迷ったら、私はこの腕を見ればいい。 それだけで多分、私は教えられる。どちらへ歩いてゆけばいいのかを。 隣では娘が、小さな寝息を立てている。私は枕もとの灯りを、一つ、消す。おやすみ、娘よ。目が覚めたら明日だ。また一日、二人で重ねていこう。 |
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