見つめる日々

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2004年09月24日(金) 
 もう体重二十キロ近い娘を自転車の後ろに乗せ、私は今日もえっちらおっちら長い坂をのぼる。この坂をのぼりきったところにある交叉点で、私たちは今日も立ち止まる。ほらママ、今日も向こうの空が燃えてるよ。ほんとだねぇ、今日は昨日よりピンクっぽいかな。ううん、まだオレンジ色だよ。そんなふうに信号の前でひとしきり西の空を眺めてから、私たちは今度は一気に下り坂を走り降りる。髪や腕や、私たちの体中にぶつかってくる風は、もうすっかり秋の匂い。涼やかな、何処か懐かしい匂い。
 家に着くと、娘はベランダに直行する。そしてベランダから、右手に広がる西の空の色を確かめる。もうその頃にはたいてい太陽は沈んでいて、だから空も、燃えるような橙から、不思議な紫紅色に変化している。この色がまたなんとも美しく、娘は必ず私に言う。ママ、ほら、きれいだよ、見てごらんよ、すごいねぇ空って。娘に相槌をうちながら、私は夕食の仕度に取り掛かる。
 この頃、私たちは、葡萄の種とりに夢中だ。食後必ず食べる凍らせた巨峰の実。この実の中にある種をとるのだ。今夜は、一つ、二つ…二人分で十二個とれた。そしてこれを、薔薇の樹が植えてある幾つものプランターに適当にまいてゆく。ママ、芽出るかな。どうかなぁ。今のところ、たった一つだけ芽が出てきた。まあるい双葉の間から出てきた本葉の形は、農園で見る葡萄の葉そのもので、こんな小さな芽なのによくもまぁ見事な形を描いているものだと、私たちは飽かずに眺める。無事に育ってくれるといい。
 この頃私は夜が待ち遠しい。娘を寝かしつけている最中は確かに私も眠くなって、朝までぐぅっと熟睡したいなぁという欲求にかられはする。が、現実は、毎晩毎晩約二時間ごとに目が覚めるというような眠りしか私は得たことがなく。でもこの、目が覚めるということが、この頃実はちょっと待ち遠しかったりする。
 昨夜も小刻みに目が覚める。そのたび私は起きあがる。隣の娘を起こさないように布団を掛け直しそっと寝床から出て、そして私が何をするのかといえば。窓を開けるのだ。
 窓を開ける。開ければそこには、涼やかな涼やかな夜が待っている。この時期の夜はなんてやさしげなのだろう。冬の凍てついた寒さももちろん私は大好きだけれども、それとはまた別に、この時期の、涼やかな夜というのも、とても好きだ。
 窓を開け、ベランダに出る。マンションの前には大通りがあるのだけれども、真夜中のそこは、あまり車の姿もなく、しんしんと佇んでいる。そして風が吹く。私の体を滑るようにやさしく吹く夜風は、もう夏の匂いなどすっかり消えて、何処までも何処までも透明だ。その風を大きく胸に吸い込みながら、私はただ、そこにいる。
 街燈で暗橙色に染まる街路樹。灼熱に晒された夏の日々の名残で葉々はすっかりすり切れている。すり切れながら、それでもしっかり枝につかまり、季節の中で色づくのを待っている。街路樹の向こうには、幾重にも重なる屋根、屋根、屋根。土地の人の方がずっと多いこの辺りは、あの屋根と屋根との間に、人が一人通れるか通れないかくらいの細い路地がくねくねと通っている。それは昔祖母の家の近くで遊んだ路地と少し似ていて、ちょっと間違うと行き止まりになってしまっていたり、どちらかの家の敷地なんじゃなかろうかというような私道しかなくなってしまったり。でも、そんな細いくねくねした道をたたたっと走るのは、実はとてもどきどきして嬉しいのだ。まるで誰にも知られない胸の中の小箱に秘密を抱え込んだときのような。夜明け近くになって空の色が徐々に変わり始めると、まず私の視界に現れるのは、近所のおじいさんの姿だ。あちこちの街路樹の根元に植物を植え、それに水をやるためにおじいさんは毎朝ポリタンクに水を入れてやってくる。そのおじいさんが三本、四本、そのくらいの街路樹の根元に水をやり終える頃、今度は新聞配達のバイクの音。あと一時間もすれば、始発のバスが、この通りを走るはず。
 足すものも引くものもないこの平々凡々な風景。それは何処にも特別なものなどない。特別なものなどないけれども、この風景がここに在るというそのことが、私を安心させる。私の心の中がどんなに荒れ狂おうと、そんなことに揺るぐことなく、しんしんとここにこの風景が在るということ。在り続けるということ。それが、本当はどれほど、大切なことなのか。
 じきに朝が来る。私はようやく窓を閉め、部屋の中へ入る。娘の隣にこっそり潜り込んで、彼女の体をそっと抱き込む。あったかい塊。眠ったままの娘は、眠りながらうーんと伸びをして、私の体を蹴りつけることもあれば、くるりと反転し、私が横になるはずのスペースを取り上げてしまうこともある。が、このあったかい塊。これは、私の何よりも何よりも大切なもの。
 さて、今日はどんな一日になるのだろう。どんな一日を私は描くのだろう。短い眠りを貪りながら、私はとつとつと思う。どんな一日であっても構わない、ただその一日を、ちゃんと呼吸して生きられるのであれば。
 もうじき朝が、やって来る。


遠藤みちる HOMEMAIL

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