見つめる日々

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2004年10月19日(火) 
 プランターに水をやる。先が綻び始めた黄色い蕾に、しゃわしゃわと如雨露からの雨を降らすと、ぷるりんと丸い水玉ができる。水玉をのぞきこめば、そこにはもう一つの、小さな小さな空が在る。すっかり秋の雲に覆われたこの頭上の空が、こんなにも小さくこの水玉にも移り住む。それが楽しくて、葉の上にできた幾つもの水玉もひとつひとつのぞいてみる。どの水玉にも一つ一つ空があって、その空は多分、無限に広いのだった。大き過ぎる私には入れないけれども、そこに、もう一つの世界が在る。そんな気がする。
 初めて会った人にたいがい言われる私という像は、人見知りなんてとてもしそうにない、がははと笑う豪快な人。文章や作品から受け取られるとてつもなく細くちりちりと神経質な人影はそこには皆無で、だから私が、今も一週間に一度の診察を要して病院通いを続けているなんて信じられることはない。そのあまりのギャップを笑って欲しいから、私はさらに元気に快活になる。その人の前でどれだけ豪快な私を晒すことができるのかに懸命になったりする。
 豪快な私も私。人見知りなんてとてもしそうにないと誰かに思わせるほど勢いよく元気な私も私。機関銃のようにぺらぺらと喋りながら大きく口を開けて笑い転げているのも私。間違いなくそれらは私であって、だから、誰かにそう受け止められるという私の像は、決して間違ってはいない。でも、不快感を覚えるほどに神経質なのだろう姿も実は私。病院をいまだに必要としている生活を送っているという私も、間違いなく私の中の私。
 どちらかが本当でどちらかが嘘、そんな単純なものじゃぁない。まるで正反対に、ばらばらに見える像であっても、実はそれらは、私の中心で繋がっている。
 だから私は時々、自分でもパンクしそうになる。
 笑って欲しい、笑い飛ばして欲しい、昔あんなことがあったなんて信じられないと誰も彼もに笑い飛ばして欲しい。だから私はどんどん豪快になる。誰かの前で、どんどんどんどんあっけらかんと自らを笑い飛ばす。
 もしかしたら、もしかしたら、そうやっているうちに過去にあった出来事なんてぜーんぶ嘘だったと誰かが言ってくれるんじゃないかと。あり得ないことをほんの一握りだけれども心の中に持って。こうやって笑っていれば、過去は全部嘘になる、いや、嘘にならないまでも、せめて「それっぽっちの」ことになる。そんな気がするから。
 でも、ならないのだ。嘘にもそれっぽっちのことにも。なってはくれないのだ。だから、ひとりきりになったとき、どさっと音を立てて頭上に落ちて来る。一体自分は何をやってるんだろうという思いが。笑い飛ばして逃げようとしている自分を、過去が捕らえにやってくる。そして誰かの声がするのだ、無理だよ、所詮一時の夢だよ、あり得ない話だよ、ほら、君が背負う荷物はここにどっさり在るのだから、と。
 私は充分に知っている。私は私のこの荷物を引き受けて歩いてゆくしか術はないのだということを。だから唇を噛む。軽薄なふりを何処までも装おうとした自分を呪うように。

 「先生、加害者たちがみんな笑ってる夢を見るんです。繰り返し。それを斜め上から俯瞰している私はもう死んでいて、でも、加害者たちはみんな笑って生きてるんです」
「…」
「強姦したといったんは認めた人たちが掌を翻すようにしてそんなことはなかったと言った、そんな人たちがのうのうと生きていて、私はもう死んでいる」
「…のうのうと生きているかどうかは分からないわよ」
「ええ、それも承知してるんですが、でも、夢の中ではそう見えるんです。だから思うんです、こんなのやられ損じゃぁないかって」
「…」
「彼らはみな、かつてあったあのことを忘れ去っていて、私だけが覚えている。覚えてへたってるのは私ばかりで、彼らは全然そんなことはない」
「…」
「だから思うんです、だったら私も忘れてやる、そうしたら全部なかったことになるんじゃないかって」
「…」
「分かってます、そんなことあり得ないってこと。忘れることなんてできないんだから引き受けて歩いてゆくしかないってことも、それも充分に分かってるんです。分かってるんだけど」
「…」
「納得がいかない」
「…」
「どうして彼らはのうのうと生きていて、笑っていて、私はこんな地べたを這いつくばるようにして必死こいてるのか、納得がいかない。納得いかないから、だったらせめて、すべてをなかったことにしてしまいたい。そうするには知らないふり、何もなかったふりを私もすればいいんじゃないかって、そう思いたい自分がいる」
「…のうのうと生きているかどうかは分からないでしょう?」
「いや、だから、分かってるんです、あくまでこれは夢で、現実じゃぁないって。でも、まるで生々しい現実のように夢が繰り返されるんです」
「…」
「気づくと、いろんな場面でからからと笑ってる自分がいる。平気さ、何もなかった、すべては夢だった、私の人生はこんなにも笑い飛ばせる軽い代物だった、って、そんなふうに思いたい、思おうとしている自分が明らかにそこにいる」
「…」
「そうして、気づけば、どんどん自分が離れていくんです。笑い飛ばす自分と、苦汁を飲んで喘ぐ自分と、そして、そうした自分たちを斜め上から俯瞰する私とが。三角形を作るような位置で、どんどんそれぞれが離れていく。私が裂けてゆく、そんな気がする」
「…」
「…」
「夢に引きずられないようにしないと」
「夢に引きずられてますか」
「ええ、そう見えるわね」
「…」
「それから、できるだけ緊張する場に自分を持っていかないようにしてみて。人に会うという場面も含めて」
「…そうですか」
「そうね。まずは、夢に引きずられないように。自分の現実を生きないと」
「…はい」

 私は私の夢の中で、自分が裂けてゆく様子をじっと見つめている。目を逸らすことを禁じられたハムスターのように、小刻みに震えながら、ぶるぶると震えながら、でもじっと、じっと見つめている。夢は、もうあと半歩後ろにそれぞれが下がったなら二度と繋がることはできない、そんな位置に私と私と私が離れゆく、そんな場面で終わる。
 そんな夢の繰り返し。
 夢に現実は蝕まれるのだろうか。それとも、これも夢か。じゃぁ一体どれが現実なのか。

 ああ、現実をありのままに受け止めることの、なんと難しいことか。
 そして。こんなことを言いながら同時に思うのだ、もし自分がもう一度生まれ変わることがあるのなら。多分同じ人生を選ぶだろうとまっすぐに思うのも、これも本当の私だと。

 こういうときは、単純作業がいい。ただひたすら同じことを小さな同じ動作を黙々と続けるのが。だから私は、作りかけのポストカード集を梱包し続ける。一枚、二枚、三枚、十二枚の絵柄を一枚ずつ手に取り、袋に詰めてシールでとめる。百の袋は気づけば空っぽになり、私の手元には残骸だけが散らばっている。
 余計なことを考えるのはやめよう。いや、やめようとしたってやめられないのだから、せめて意識的に、自分の生活の方へ目を向けよう。
 たとえば夕飯。何にしようか。たとえばお風呂、今日は何色の入浴剤を入れようか。たとえばシーツ。今日はタオル地にしようかそれとも。
 生活をこうやって一つ一つ組み立てて、私は。
 迷子にだけはなるまいと片方の拳を握り締めた幼女のように、ぐしゃぐしゃになった地図を広げる。大丈夫、ぐちゃぐちゃになってはいるけど、まだ地図は読み取れる。私は次の角を曲がって、そのまま歩いていけばいい。だから。

 開け放した窓の向こうには、今日も夜闇が広がっている。オレンジ色の街燈に照らされて、街路樹も鈍色に染まって。大丈夫、まだ大丈夫。私はここに在て、街路樹も街燈だってちゃんとここに在る。そして今私が生きているのはこの場所なのだと言うことを、彼らが黙ってそこに在て教えてくれる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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