2004年12月28日(火) |
朝晩と、ようやく冬ならではの寒さが感じられるようになる。それは、ぷるぷると空気が震えるような凍えるようなそんな音となって、私の肌に染み込んでくる。開け放した窓、そこから吹き込む冷気に、私はだから、そのままに体を預ける。じきに太腿もつま先も肩も腕も、みなしんと冷たくなって、けれど冷たくなったその奥底で、私の中の何かが燃えているのを私はありありと感じる。他の季節では決して味わえない感覚。私はこの感覚ゆえに、多分冬という季節を何よりも愛するのだと思う。 部屋の裏手の小学校、その敷地の中に幾つかの大樹が立っているのだが、その一つの銀杏の樹が、まだ黄色く色づいた葉をこんもりとつけている。周囲の樹がみな葉を落としてしまっている中、その黄金色は日差しを受けるたびに美しく燃え、風にその身を委ねている。私はその前を通るたび、立ち止まり、しばしその樹と向き合う。何を語り合うわけでもない、樹は言葉を持っているわけではないから。けれど、私は彼と向き合っている時、言葉には現れ出ない会話を交わしているような錯覚を覚える。私は彼の過去も何も知らないし、どうやってここに来たのかも、何も知らない。あるのは、今私と彼がここで向き合っているというそのことだけである。けれど、向き合えば向き合うほど、彼の中に堆積しているやさしい時間が私の中に流れ込んでくるような。それは決して言葉に還元できるものではなく。そして時折彼は、その黄金色の美しい葉を落とすのだ。一枚の葉が風にひらりと乗って、くるくると舞い降りて来る。描かれる螺旋の美しさ。私はただ、その美しさに見惚れている。 私の部屋が立つ場所と向き合う街中をひとりぽつぽつと歩く。私はこの街に住むようになってまだ数年だけれども、その間に、幾つもの店が閉店していった。最初は豆腐屋。豆腐屋を継ぐ者がいなくて、もうずいぶんお歳を召した老夫婦がちんまりと営んでいた。毎朝そこを通ると、豆の匂いが通りにまで漂ってきて、私はつい深呼吸をしたものだった。或る日青いカーテンで閉じられた店の入り口には、ただ一言、閉店します、とだけ書いてあった。その豆腐屋の斜め向かいには和菓子屋があった。明治時代から続く和菓子屋だと聞いた。けれどそこも、今はすっかり取り壊され、つい最近、マンションが建つという看板がその空き地に立てられた。そこからまたしばらく歩くと、鰹節屋と看板を掲げた店が現れる。けれどそこももう、商いを為してはいず。店の入り口として使われていたところは締めきられたまま。ひっそりと町並みに溶けこんでいる。 私の知らないところでこうして幾つもの店が現れては消え、消えてはまた現れるのだろう。私が知っていることなど、これっぽっちに過ぎない。いずれ私も忘れるのだろうか。この街の景色のように、周囲にすっかり溶け込んで、かつて傷痕だった痛みも薄れゆき、忘れるのだろうか。忘れるなら、それはそれでいいのかもしれない。忘れるという術は多分、人が生きていく為に身につけた術だと思うから。 郵便ポストに入っていた地域新聞を手に階段を上がる。部屋に入る直前、その新聞のとあるページの大きな見出しに足が止まる。 「阪神淡路大震災から10年がたちました」。そこにはそう書いてあった。そう、10年が経つのだ、もうじき。あの地震から10年が。私のあの事件から10年が。経つのだ。 この数ヶ月、私はふいに訪れる離人感に苛まれている。それは時として数日続いてしまうこともあり。はっと気づいた時には、どうして私は今ここにいたのか、一体今日が何日なのか、何も分からなかったりする。表立った原因は見当たらない酷い疲労感と離人感とで、私はくたくたになる。けれど、毎日は続いてゆくのだ、そんな最中であっても。 誰かの後姿が現れる。その後姿だけでもう私は分かるのだ、あれはあの加害者だと。目を逸らすこともなく私はその後姿をじっと見詰めている。やがて周囲に現れる人影、そのひとつひとつに私は見覚えがある。嘘の証言をしたあの人、途中で証言を翻したあの人、最後まで知らぬ存ぜぬを通したあの人、みんなみんな、あの事件に関わりのある人たちばかりがそこには在る。私は目を逸らすことができない。だからただじっと見つめる。やがて、後姿がゆっくりとこちらを向く。ああっと思った瞬間、全員が全員こちらを振り向く。けれど。その顔はみな、のっぺらぼうなのだ。 私の夢は繰り返され、そのたびに目が覚める。でも、夢が夢であるうちはいい。私がそれを夢だと認識できているうちは大丈夫だ。そう自分に言い聞かせ、私はもう一度娘の隣に横になる。 そう、そんな状態に私があっても、あれから10年が経つのだ。10年という月日が。 来月になれば、もっと私は耳に、目にするだろう、あれから10年がたちました、という言葉を。新聞を通して、あるいはテレビのニュースを通して。 そのたびに私は思い知らされる。あれからもう10年が過ぎるのだと。
「離人感が酷いわね、きっかけになったこと思い出せる?」 「思い出せません。何か明確なきっかけがあったと、そのようなこと、思い当たらないんです」 「そう」 「はい」 「でも大丈夫よ、これも必ず終わりがくるから。それだけは信じてね」 「はい」 「今年もよく生き延びたわ。ね?」 「そう、なんですかね」 「ええ、私はそう思うわ」 「…」
人の寿命は、どうしてこんなにも長いのだろう。時々そう思う。残酷だなと思う。でももう一方で。 長いからこそ、何度でもやりなおすことができるのかもしれないとも思う。もう一度、もう一度、と、そのたび自分でスタートラインを決めて、仕切り直して、歩き出すことができるのかもしれない、とも。 そうだ。諦めるのはまだ早い。諦めたら何もかも終わりだ。なら、私は諦めたくはない。生きることを、諦めたくは、ない。どんな荷物でも背負って、或いは引きずって、必要なら全てを捨て去って。それでも多分私は生きたい。だから、生きる。
ふと見ると、娘が布団を思いきり蹴飛ばしている。私は忍び足で近づき、そっと掛け直す。この命の塊、このぬくもりの塊。 大丈夫、私は生きたい。だから、生きる。 |
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