2005年02月27日(日) |
娘と二人、ほぼ同じ時刻に目が覚める。でも正直、起き上がりたくない気分。布団の中でもぞもぞしていると、娘の大きな声が。「ママ! 外明るいよ!」。あまりのその大きな声にずるずると布団から這い出し、カーテンを開ける。「あらほんと、とっても明るい」「ね? 言ったでしょ?」「今日は晴れだね」「ようやっと天気予報も当たったね」。雪が降ったり止んだりしていた昨日の天気は、もう地平線の彼方へ飛び去っていったのかもしれない。見上げる空に雲はほとんどなく、澄み切った水色がすかんと広がっている。 洗濯物や軽い掃除を終え、娘と手を繋いで玄関を開ける。ママ、今日は何処行く? まだみうは鼻水垂れ子だからちゃっちゃと撮って終わりにしないと。だからほら、あの広場に行こうよ。うーん、どの広場? あの広場。 それはお寺の隣にある。滑り台ひとつとブランコ、鉄棒、小さな砂場、それだけの空間。二階屋のようになっていて、二階の空間には背の低いバスケットゴールがひとつ、ぽつねんと在るだけ。あたたかい季節には、この空間がゲートボール場になったりする。 常緑樹が何本かベンチの周りに植わっている。この寒い季節にもずっと枝にくっついたままの葉々たちは、もうずいぶんくたびれて、指で触れると跡がつくほど。分厚い葉は指で挟むとぷりんとしている。 ねぇママ、遊んで来てもいい? いいよ。私の返事が届く間も惜しむように、彼女は走り出す。私はカメラにフィルムを入れる。 娘の写真をモノクロで撮る時、私は彼女を自分の娘と思っていない。そこにいる子供の一人、くらいにしか考えていない。おかしな言い方かもしれないが、娘を娘と思って撮るならば、デジタルカメラやカラーフィルムの方が合っている気がする。だから実際、普段彼女のスナップを撮る時、私はデジタルカメラで撮る。でも今日は、彼女のスナップを撮ろうと思っているわけではない。私の写真を作るために、彼女につきあってもらっている。 ブランコに乗ったり砂場で山を作ってみたり。彼女は好き勝手、自由自在に一人遊びを楽しんでいる。二つのカメラにフィルムを入れ終えた私は、さぁ撮るか、という気持ちになる。彼女から少し離れた場所から適当にカメラを構えてみる。とりあえず一枚。シャッターの音が小さく響く。後はもう、なるようになれ、というところ。 娘がいきなり走り出した。上の空間に行くつもりらしい。私も小走りで彼女の後を追う。彼女は私なんて存在はまったく無視して、歌を歌いながら走って行く。 明るい日差し。昨日の寒さが嘘のようだ。じっとしていてもこの日差しの中にいるとずいぶん暖かい。そう思って後方を振り返ると、娘はさっさと上着を脱いでいる。上着を脱いで、次は何をするんだろう。眺めていると、彼女は足元の砂をかき集め始めた。私は私で、動き回る彼女に関係なく、好き勝手にシャッターを切る。時々、これじゃ逆光だよなと思うこともあるものの、まぁそれはそれだと割り切って撮り続ける。 娘は一心に砂の山を作っている。その奥では少年が二人ボールを投げ合っている。風に乗って時折彼らの声が届くものの、何を喋っているのかまでは聞き取れない。まだ声変わりする前の澄んだ声。 餌をねだりに来たのかもしれない鳩が私の足元に舞い降りる。私は素っ気無く彼らに背中を向け、シャッターを切る。しばらくクウクウ足元を歩き回っていた鳩も諦めたらしく、しばらくするとまた何処かへ飛んでゆく。あの方向だと、多分米屋さんに行くんだろうな。思いながら見送る。 「できたっ!」。娘が声を上げ、私を振り返る。私は目だけ彼女に向ける。「ママ、これはね、パパのお墓なんだよ」。えっ?! あまりの言葉に私は呆然とし、彼女のそばにゆく。「お墓?」「うん、お墓。みうのパパのお墓」「…そうなんだぁ」「うん。きれいにできたでしょ?」「うん…」。娘はそれだけ言うとさっさと走ってゆく。今度は何をするんだろうと思っていると、枯枝を拾い集め、それでお墓を飾ってゆく。私はちょっと心がざわめくのを感じながら、それを奥にしまい込んでまたシャッターを切る。 娘は確かに私の娘だけれども、今の私は、母と娘の関係を自分の写真として作りたいわけではない。いつかそういう日も来るのかもしれないが、今のところはそうではない。たとえばこれが近所のK子ちゃんであってもR子ちゃんであっても、多分いいのかもしれないとさえ思う。ただ、K子ちゃんやR子ちゃんの写真を撮っていちいちこれは公開してもいいですかと了解を求めるのが面倒だし、そもそも今の荒れ果てたご時世、他人の子供をばしゃばしゃ写真に撮ることは躊躇われる。その点、自分の娘ならば私と娘の判断でどうにでもなる。かなりご都合主義かもしれないが、できるだけ余計な面倒を写真に持ち込みたくはない。そういったものが入れば入るほど、写真は私から遠のいてゆく、そんな気がする。私の心象風景の中に何かしら人のカタチが必要なとき、ちょうどよくそこに娘が入り込んでくれれば。私はでき得る限りそういった位置でシャッターを切る。 「うわぁ、お日様が眩しいよぉ!」。私が一心にシャッターを切っていると、向こうから娘の声。空に手を伸ばす娘。最後の一枚、シャッターを切る。娘が振り返る。「ママ、何してんの?」「あ、すみません、下から写真撮ってました」「そんなところに寝っ転がってたらお洋服が汚れるじゃないの」「すみません、汚れました。背中、払ってくれる?」「もう、ママはしょうがないんだから」「はいはい」。写真を撮り終えた私たちは、あっという間に普段の母娘に戻ってゆく。 自転車で線路沿いを走る。壁に描かれたどぎつい色彩の絵というか模様が、視界の半分を占める。娘と二人、もうちょっときれいな色を使ってくれればいいのにねぇと言いながら走り続ける。モミジフウのある場所へ自転車を止め、二人で手を繋いで樹を見上げる。なんか真っ黒クロスケみたいだねぇ、と娘が言う。確かにそんな感じかもしれない。モミジフウの実はすっかり黒褐色になり、時々海からの強い風にぶらんぶらんと揺れる。 季節になれば赤ん坊の手のような葉々がいっせいに揺れる銀杏並木も、今はみんな裸ん坊。天に向かって伸びた枝々は一身に太陽の光を浴びている。枝から枝へ飛び回る小鳥を、娘があっちこっちと追いかける。休日にしては、いつもよりも人影が少ない埋立地。私たちはぐんぐん自転車で走り回る。飛行機がまっすぐ空に線を描く。その傍らにまるで綿菓子のような雲が浮かんでいる。傾いた日の光は少しずつ、色づいてゆく。
そろそろ帰ろうか、寒くなる前に。うん。 |
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