見つめる日々

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2005年03月16日(水) 
 仕事に呼ばれ出掛けてきたものの、胸の辺りがもやもやしてたまらない。椅子に座っているのが辛くなってきたので、これはもう逃げ出してしまおうと、無理矢理な理由をくっつけて逃走する。川沿いの道、自転車で一目散に走る。走りながら、何となく見上げた桜の樹には提灯が下がっている。もうそんな季節なのだと思った瞬間、目に飛び込んだ薄桃色。思いきりブレーキをかけたせいで、自転車の後輪がびょんっと跳ね上がる。何とか自転車から投げ出されずに済んだ私は、思いきり首を曲げて樹の枝を凝視する。
 あぁ、咲いている。川沿いの桜がぽつりと、まだほんの少しだけれども咲いている。私はいっぺんに嬉しくなる。さっきまで逃走することしか頭になかった私の胸に、花びらの色がすんなりと染みてくる。自転車は柵に立てかけて、私はさらに凝視する。嘘じゃない、錯覚じゃない、確かに咲いているんだ。思わずわぁと声が漏れる。別に私は桜の花を好んでいるわけではない。花の中で何が一番好きかと尋ねられたら、迷わず白百合と応える。でも。こうやって、たった一輪でもそれが季節の標になってくれるものとの出会いは、ただそれだけで心が弾む。新しい季節。とうとうこの街にも舞い降りた。
 不思議なのは、そういった出会いは私の視界をいっぺんに広げ同時に視力まで増させてしまうというところだ。ほんの数輪の桜の花に気づいた私の目は、次々にいろんなものに気づきだす。道端に咲く色とりどりのパンジー、樹の根元に群れて咲く花韮、誰かが玄関先に飾る鉢植えの水仙、まだ青いチューリップの蕾。自転車を漕ぐのも忘れ、私は教会の前に座り込む。そして見上げた空には、内緒話をする雲たちがくすくすと笑いながら浮かんでいる。

 心がバランスを欠いている時はすぐ分かる。たとえば誰かが私の後ろに立つ。ただそれだけで恐い。いや、この感じを恐いという言葉で表現していいのかどうか分からないが、頭が真空になるのだ。まるで時間がぱっくりと割れたかのように、私の全てが止まってしまう。
 共通言語であるはずの言葉が単なる音声になり、やがては弦を無理矢理こするときに漏れる金属音に似た何かになり。私は、言葉が理解できなくなる。向き合った人の口がぱくぱくと動く。音も確かに聞こえる。けれどそれはもはや言語として認識されず、私はまるで、早回しでモノクロ映画を見せられているような状態に陥る。目の前にいる人は人間の形をしていながら異星人の如く、いや、多分周囲から見たら私が異星人になっているのではないかと思うが、要するに、私と世界とが分厚いガラスの層によって遮られるのだ。そのガラスは磨きぬかれた代物で、向こう側になった世界もすっかり見渡せる。見渡せるのだが、手を伸ばしても決してその世界に届くことはなく。私の手は、虚しく宙を彷徨うばかり。後はもう、ただただ呆然と、そこに立ち尽くすばかり。

 教会入り口の階段に座り込んで、どのくらい時間が経ったのだろう。もしかしたらたった四、五分のことだったのかもしれない。もしかしたら一時間、二時間は経過していたかもしれない。少しずつ世界が緩んでゆき、それとともに世界は僅かずつだけれども色を取り戻す。私の視界が徐々に徐々に明るくなる。色とりどりの世界が、再び現れる。そしてそこにはもう、分厚いガラスの塀は、ない。そして突然噎せかえる。どうやら私は長いこと息を止めていたらしい。こんなとき、私はよく呼吸をすることを忘れてしまう。だから、敢えて呼吸をしなければと意識しないと、私は息をすることをすっかり忘れ、突如ばたんと倒れる。倒れてからようやく気づく。私は咄嗟にリュックからお茶を取り出し、体の中に流し込む。そしてようやく、深呼吸を一つ、する。
 多分、もう大丈夫だろう。今私の目に捉えられる世界は、今通り過ぎた見知らぬ誰かが見ている世界と、多分、重なり合ってくれるだろう。そして私は立ち上がる。すっかりお尻が冷えてしまった。道端に止めたままになっていた自転車を起こして、私は再び走り出す。
 家に戻ったらまずプランターを覗こう。アネモネの蕾は今どうしているだろう。プランターに水をやったら、さっさと仕事にかかろう。娘を迎えにゆくまでに全部終わらせて、今夜は娘と遊ぼう。自転車を漕ぐ足に力をこめる。もうじき上り坂。その坂を越えれば、家はすぐそこ。もうちょっとだ。


遠藤みちる HOMEMAIL

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