見つめる日々

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2005年05月01日(日) 
 あぁもう夜明けだ、と安心した途端、張っていた糸がぷつんと切れた。それはあまりにあっけなく切れたので、自分では最初切れたことに気づかずにいた。
 夜明けを迎えながらぼんやり考えていたのだ。加害者のこと、会社ぐるみで真実を隠蔽した人たちのこと、その他諸々の、普段自分の奥底にできるだけ抑え込んでいるものたちのことを。そうしたら、言葉では表現不可能な何かが破裂し、一気に噴出した。
 気づいたら腕は隙間なく切り刻まれ、もう切る場所がないだろうと思うのに私はその行為を止められず。でも頭の隅で思っているのだ、だめだ、だめだ、止めなくてはだめだ、と。それが止められない。自分じゃもうどうしようもない。そう悟ったとき、遠い西の街にいる友人にメールをした。もう眠っているはずの時間。それが彼女の元に届くまでにはきっと、それなりの時間が要される。でも、今、私には待つ余裕がない。切り刻むことが止まらない右手から無理矢理刃を離し、代わりに携帯電話を握る。迷惑なことは分かってる。だってまだ午前四時やら午前五時というとんでもない時間なのだ。でももう、賭けてみるしかなかった、僅かな可能性に。
 誰の電話もみな留守番電話で、あぁやっぱり自分でどうにかするしかないんだと諦めかけた時、ベルがなった。驚いて電話を握る。私がついさっき電話をかけてみた友人の一人からだった。迷惑を承知で事情を話す。彼女の住まいと私の住まいとは一時間以上も離れた場所にある。それでも彼女は、私の電話を受け、今から行くからと言ってくれた。
 その間に私は、必死の思いで救急医療センターに電話をかけ、事情を話して近場の病院を紹介してもらう。しかし。事故ではない、自傷だと告げたとたんに態度が豹変する。うちには外科しかありませんから来てもらっても治療できません、と断られる。それでもとお願いすると、他の病院に電話してくれと言われる。一体幾つの病院に電話をかけたんだろう。覚えていない。
 はっと気づいて、娘が起きて来る前にと、切り刻んだ左腕にタオルを巻きつける。そして私は、病院に電話をかけ、繰り返し繰り返し事情を話す。
 そうしているうちに友人がやって来てくれた。こちらの事情など一切尋ねず、さて、どうしようか、と現実問題をまず解決しようと始めてくれる。
 あちこち電話して、ようやくひとつの病院に辿り着く。ぱっくり割れたままの傷痕を縫うか縫わないかという話もでたが、私が頷かないでいると、じゃぁこのテープで傷口と傷口をくっつけてみよう、と先生が言い出す。看護婦さんも先生も、余計なことは何も言わない。最後に一言、近くの病院でいいから、明日は必ず消毒に行くこと、それから抗生物質や痛み止めをきちんと決められたとおりに飲むこと、と約束させられる。
 診察室を出ると、そこには友人が待っていてくれる。友人の姿を見たときのあの心強さは、たとえようがない。心底ほっとした。
 家に戻り、隣のお宅に預かってもらっていた娘を迎えにゆく。普段からちょくちょくおつきあいしておいてよかったとつくづく思う。でなきゃこんなとき、預けることなんてできない。もちろん隣人にはリストカットしたなんてことは告げていないので、ドジして腕を怪我しちゃったんですぅ、なんて言いながら頭をぺこぺこ下げる。娘は珍しく、心配げな顔を私に向ける。
 いいわよ、今日は保母さんが一人いるんだから、まずは横になったら? 彼女の言葉に甘え、私は横になる。それが、不思議なほど眠れるのだ。彼女がここにいる、彼女がここにいるということは未海のことも任せて大丈夫なんだ、私はただ、今は休めばいいんだ、その思いが、私の眠りに拍車をかける。時々目を覚ましはしたけれども、私は多分、ずいぶん眠りを貪った。こんなに横になっていたのは、一体どのくらいぶりだったろうと思うくらいに。それだけ体が疲れていたということなのだろうか。我ながら呆れてしまう。
 途中、二人がちょっと外を散歩してくるというので見送ると、しばらくして、花束を持って帰って来た。一体どうしたのかと思ったら、まだ私の誕生日は先の先なのに、娘が、お誕生日おめでとーと言いながら花束を渡してくれる。なんだか嬉しくて、涙が出そうになる。花瓶に生けるふりをしながら、目尻にたまる涙をごしごしこする。

 きっかけは多分、些細なことだった。と書いてはみるけれども、実は覚えていないというのが正直なところ。気づいた時には切り刻んでいた。ぼたぼたと床に落ちる血の音でようやく私は正気に戻ったのだった。なんてことだ、とんでもないことをしてしまったと、私は慌てた。慌てながら、私の奥底からどくどくと、膿が煮立って沸きあがって来るのをこれでもかというほど感じた。両極に引き裂かれてゆく音を聞きながら、それでも、だめだ、とめなくては、と、その思いは消えなかった。
 そうでなければきっと、友人たちにSOSなんて出せなかっただろう。

 つくづく思う。私はなんて友人に恵まれているのだろう、と。SOSを出したら、それをしっかり受け止めてくれる友人たちがちゃんと周りにいるのだ。
 昔は、自らSOSを出すことができなかった。一体誰を信じたらいいのか分からなかったし、生きている価値もない私なんかがリストカットしようが薬のバカのみをしようが、そんなもんどうってことないという程度にしか考えてなかった。
 でも。今は違う。
 私はいろんな人によって生かされてる。私を支えてくれる人が、いっぱいいる。その人たちに背を向けるなんて、今の私にはできない。迷惑をかけてしまったならごめんよと言い、この次何かの機会に思いきりお返しすればいいんだ、と、しかもそれは、本人に返せばいいというのだけではなく、本人に返せなかったとしても他の誰かに伝えてゆけば、それでいいんだ、と、そう思えるようになったから。そう思うことができるようになるまで、ずいぶん長い時間がかかったなぁ。
 今日も、彼女が「横になってた方がいいよ」と言ってくれる言葉に、抗おうとする自分がまだまだ私の中に残っていた。でも、同時に、そんな彼女に感謝して素直に横になろうとする自分も、間違いなく存在していた。
 横になってうとうとしながら、いろんな場面が走馬灯のように私の心の中を回っていた。

 ごめんねとありがとうを繰り返す私に、いいのいいの、そんなの気にしないの、それよりまた何かあったらいつでもSOS出してね、と、笑顔でそう言ってくれる友人。彼女を見送った後、ひとりになって、思う。もし彼女に何かがあったら、私は絶対に飛んでいく。
 いつのまにか外はすっかり闇に包まれ。昨日より少し肌寒い風が、細く開けた窓から滑り込んで来る。いつのまにか雨が降り出している。彼女は大丈夫だろうか。私は街灯の明かりの下、斜めに細かく降る雨をじっと見つめる。


遠藤みちる HOMEMAIL

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