見つめる日々

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2005年05月03日(火) 
 真夜中に目を覚ます。届いた手紙を何度も読み返すうちに夜明け近くに。私は何度も自分の心の中を覗きこむ。私の心の中に在る気持ちはどんな言葉で表現すれば伝わるのだろう。目を閉じてじっとしていたら、自然に浮かび上がって来るものたち。でもそれはとても微妙で、言葉に変換することがとても難しくて、私は何度も行ったり来たりする。ようやく手紙を書き終えた頃、夜は明けていた。すがすがしい風が窓から流れ込み、私の髪を撫でてゆく。
 先日手首を切り刻んでしまった折、予想もしなかった事態に出会った。休日に診療している病院を紹介してもらおうと夜明けにかけた電話、何件かの病院を紹介してもらい、私はすぐにそこにかけてみる。でも。
 何処もかしこも治療を断られたのだった。外科はあるけれども精神科を併設していないから診ることができないというのが殆どの答えだった。別に心のケアを求めているのではなく、切った傷を治療してもらいたいだけなんです、と繰り返しても、返事は同じだった。ある病院の看護婦は、その後の責任をもてませんので治療できませんと言い、またある病院の看護婦は、こちらは治りたい人の治療をするので精一杯です、自ら自分を傷つけたその傷を診ることはできませんと言う。病院は治りたい人の為に存在するものであって、治りたいと思っていない人のケアはできませんと言う。
 リストカットをするということは、治りたくないということになってしまうのだろうか。治りたい、今の状態から脱したい、これでもかというほどそう願い日々を過ごしていても、暴発的にその行為を為してしまうことがある、そういう場合でも、リストカットという行為は治りたくない人の行為だと受け止められてしまうのだろうか。
 私は、意識を失っている間にリストカットをしてしまい、意識が戻ってから、これはいけない、病院で治療をしてもらわなくては、と思った。でも、ことごとく病院から跳ね飛ばされる。最後には、もう一度紹介所に電話をかけて別の病院を紹介してもらえと言われる。こっちでは一切治療できません、と。私にとって、友達に、そして病院にSOSを出すことは、今までに殆どないことだった。今は明確に私の中に、生き延びたい、生き残りたいという気持ちが存在している、だからこそ、SOSを出した。でも。
 もちろん、そんな対応をする病院ばかりじゃぁないんだろうと思う。たまたま私が出会ったのがそういう病院ばかりだったというだけで。でも、とても不思議だった。病院って一体何なんだろう。そう思わずにはいられなかった。
 最後の最後、一度断られた病院にもう一度電話を入れ、外科の治療をしていただくだけでいいんです、お願いしますと頼むと、ようやく、じゃぁいらっしゃい、と言ってもらえた。朝一番に駆け付けてくれた友人に付き添ってもらい、病院までタクシーで行く。でももうその頃には、私の頭の中は疲れ果てていて、もし友人が隣にいなければ、私は投げやりになっていたかもしれない。待合室で呼ばれるのを待つ間、友人が隣にいてくれることに、つくづく感謝した。

 娘が実家に泊まっていることをいいことに、私は今日一日、何をするでもなくゆっくりと過ごした。うどんこ病の薔薇の樹のあちこちに手をいれてみたり、心の中で誰かを静かに想ってみたり。
 心の中に、大切な人たちが住んでいる。それは私を、強く支えてくれる。大切な人たちが私に贈ってくれた言葉を想いつくままに反芻してみる。そして一言一言を、私の中にもう一度刻み込む。見失うことのないように。
 正直、もうリストカットなんてしたくない。娘だってもう、察する年頃だ。友人たちだって、私の腕を見れば心配してしまう。年老いた父や母だってそうだ。だから可能なら、二度とリストカットなんてしたくない。この間してしまった時にも、強くそう思った。だから心の中で何度も願ったのだ。もうこんなことしませんように、と。でも、またやってしまった。それが、悔しい。
 最初自分ではどうにも理解できなかった今回の出来事。でも、それにははっきりとした原因があったことにはたと気づく。あまりにも衝撃が強過ぎて、私はそれを隠蔽していた。記憶から削除しようとしていた。削除しようとしていたけれども、容易に削除できるような代物ではなかった。一人になって、その記憶が、出来事が、意識の内に浮かび上がってきたとき、思わず悲鳴を上げそうになった。でも、意識にそうやって浮かび上がってきてくれたおかげで、ようやく私は納得できた。あぁそうか、そうだったか、と。
 電話で父に尋ねる。ねぇ加害者はまだ今もあの場所に住んでいるの? 私の問いに、しばらくの間を置いて父が答えてくれる。ああ、住んでるよ。もうそれで、充分だった。
 電話を切った後、何故か笑えてしまった。あぁもう十年よ、十年も経つのだからこういう事態に慣れてくれたらいいのに。そう自分に言ってみる。これからだってまたあり得るよ、こんな事態は。その時もまた腕を切り刻むの? 私、もうそんなことに、すっかり疲れてしまったよ。もう切り刻むのはおしまいにしようよ。自分にそう語り掛けてみる。
 返事は、ない。
 そう、一歩一歩進むしか術はないのだ。それを諦めたらおしまいだ。諦めることだけは絶対にするもんか。私は生き延びるんだ。
 テーブルの上で、薔薇の花が静かに咲いている。娘と、そして駆けつけてくれた友人とが贈ってくれた薔薇の花。花をじっと見つめる。そして思う。

 私はもっと、強くなりたい。


遠藤みちる HOMEMAIL

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