見つめる日々

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2005年05月06日(金) 
 家の中でひたすら過ごす。ひとりしかいないというのに、横になることに罪悪感というか嫌悪感を感じてしまい、横になりたいと思うのになかなかそれができない。
 朝一番に病院へ行き消毒等をしてもらう。立続けのことなので、先生が一言、「家で包帯もガーゼもとっちゃだめだよ。とるときっとまた切りたくなっちゃうだろうから」と。言われてみればごもっともという気がして、私も神妙に頷く。
 昨日の真夜中に訪れた折の先生とは違う先生で、抗生物質を出しておくから、あとは近所で病院を探して通ってくださいね、と言われる。
 朝早い時間の中を歩くのはいつだって気持ちがいい。一瞬、中華街にでも寄ってぼんやり歩こうかなと思ったのだが、横断歩道の向こうから大勢の人が中華街に向かって歩いてゆこうとしているのを見て諦めた。
 それにしても。新緑がなんて美しいのだろう。あちこちの街路樹が、やわらかな葉を風に揺らして、それはまるで、唄を歌っているかのようにさえ見える。
 病院の帰り道、すぐ近くにある珈琲屋に立ち寄り、実家に電話する。状況を話し、また、水曜日にならないと私の心療内科の主治医が戻ってこないことも話す。思春期以来、私たちはずっと会話なんてなかった。それが、未海が産まれたことによって、さまざまな会話を交わすようになった。今日の電話でも、父が突然変なことを言う。ともかくその先生と話せるまでは、未海は大丈夫だから、と言う。父がそんなことを言うのは恐らく初めてのことで、私は一瞬受話器を握り締めながら戸惑ってしまう。そこに娘が出てきて、「ママ」と言う。「ママ、大丈夫? お仕事大変?」「うん、でも、がんばってるよ」「ママ、かわいそう」。その言葉を聞いた途端、涙がどっと溢れてしまった。「うん、でも、ママががんばらなきゃね! みう、じじばばのところでいっぱい遊んでもらうんだよ、ママのお仕事が一段落つくまでまっててね」。涙声を一生懸命抑えて喋る。でも、察しのよい娘はすかさず言う。「ママ、泣いてるの? 大丈夫?」「あ、泣いてないよ、あのね、これ、携帯電話だから変な声になっちゃうのよ」そうやて笑うと、彼女も、そっかー、じゃ、ばぁばに代わるね」と言う。病気の時は仕方がないんだから、あなたももっと、そういうときは甘えるようにしなさい。……そうは言われても、と、ひとり苦笑する。それでも、ありがたいことにはかわりはない。
 明日は土曜日。次は日曜日、月曜日、そして火曜日。そこまで乗りきれば、短い時間であっても主治医が戻って来る。そこまでは絶対生き延びてやる。
 昔、遠い昔のことだけれども、裁判の後、私は包丁を持って、加害者の家まで行ったのだった。たまたま留守だったのか何なのか、誰も出なかった。
 もしあの時、加害者本人がそこに在て、扉を開けたならば、私は今頃きっと、殺人犯になっていただろう。
 でも。
 そんな毒は、連鎖させてはいけないんだ。どこかで断ちきらなくちゃいけない。断ち切るという術が不可能なら、私は、私の奥の奥、奥底に、封印してやろう。もちろん、思っても見ないときに、今回のように暴発することだってあり得る。けど、自分が殺人犯になるなんて、これほどバカらしいことはない。

 最初、私にとって写真は、自分にしか見えない世界の再現だった。みんなに見えているいろ鮮やかな町々は、私にとっては一切の色が失われ、しかもそこを歩く人の顔がみな、のっぺらぼうに見えたものだった。でもそんなこと、誰が信じてくれるだろう。耳にする人間の声が、人間の声にはどうしても聞こえず、まるで宇宙人がぺちゃくちゃと喋っているようにしか聞こえなかった。だから耐えられなかった。
 写真は、一般的な現実の風景をネガに刻印する代物だ。見えているはずの風景をそのままに再現すれば、それで充分とも言える。でも、私にとっては、最初から違っていた。私にしか見えない現実世界をここに現すために、写真が必要だった。
 今は、少し違う。
 何が違うのか、うまく言えないけれど、それは多分、祈りに近いと思う。別に万人に受ける必要なんて私の写真には一切要らない。ただ、何処かの誰かが、私の絵を前にして、あぁもう一度生きようと思ってくれることがあるのなら。私は多分今は、それのために画を作り出している。
 とても嬉しいメールを、立て続けにもらった。今夜にでも死のうと思っていた男の子が、たまたまうちのサイトの写真を見、「この写真は、生きたいって叫んでる」と思ったのだという。それを見ていたら、まだ死ぬことはできない、そう思ったんだそうだ。そのことを、彼はメールで私に伝えてくれた。
 そしてまた、年頃の女の子が、手元に100錠以上の薬を用意し、一気に飲んでやると思っていたときに、これもまたたまたま私の写真を見つけ、じぃっと見ていたら、薬を飲んで死んでやるという気持ちが薄れたんです、とメールをくれた。
 これほど嬉しいことがあるだろうか。
 来月の写真も、楽しみにしてます。それを見るために、生き延びます。
 そんな言葉を、まさか自分が受け取ることになるとは、夢にも思っていなかった。そりゃぁ心の中で、祈っていたけれども、それが現実としてあり得て、しかもそれを私にメールで知らせてくれた。
 いくら感謝してもしたりない。
 これから私がどう転がってゆくのか、それは分からないけれども、私の画がどう転がってゆくかだってもちろん分からないけれど。
 そんな人たちがいたんだということは、決して忘れないでいよう。


* * *




「 スクラップスティクバラード 」



ドアを叩いた、
返事がなかった。

ドアを叩いた、
開かなかった。

ドアを叩いた、
窓がはずれた。

ドアを叩いた、
壁が崩れた。

ドアを叩いた、
屋根が墜ちた。

ドアを叩いた、
叩いた、叩いた。

空地のまんなか、
家のないドアが一つ。

ドアのまえに一人の男。
拳のさきに一つのドア。


(長田弘詩集/角川春樹事務所 ハルキ文庫)



遠藤みちる HOMEMAIL

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