2005年05月30日(月) |
しなければならない仕事がある。やらなくてはならない仕事がある。なのに、どれひとつとっても満足に仕上がらない。ついぼおっとしてしまう。 細かい傷が、左腕を覆い、私はまるで、捨てられた操り人形のようにじっとしている。ただそれだけのこと。腕を動かすと、それらの傷が一斉に悲鳴を上げ、血を浮かべる。私はその痛みに心がひりひりする。けれど動かすのを止めることができない。だからじきに、腕は薄く血液に覆われて、そこからはしゃくりあげるような泣き声が細々と響いて来る。私には、どうにもしてやることができない。そんな操り人形は、じきに用無しとしてゴミ箱に捨てられる。 こんなふうになる前に、もっとやりたいことがあったはず。もっとしたいことがあったはず、もっと会いたい人がいたはず。なのに、それらの輪郭はどんどん薄れ、私という沼の底で交じり合い、消えてゆく。 私は次に何をしたらいいのだろう。死んでいった友たちの供養か? それとも、そんなものには目をつぶって自分が生き残ることだけを考えるべきか? 死んだ者にはもう二度と私は手を伸ばすことができない。生と死の境目がそこに横たわっている。容易には決して渡り得ぬ境が。 踏ん張ることに疲れたとき、人は何をしたらいいのだろう。どうやって休めばいいのだろう。どうやって心落ち着けたらいいのだろう。 全ていやになったと、もう何もかもがいやになったと放ってしまったら、どんなに楽だろう。でも、それじゃぁ違うのだ、私は生きたい。生きてまだやりたいことがある。 なのにこんな気持ちに陥るばかりだなんて、私は一体どうすればいいんだろう。 あれやこれや考えることにも、もう疲れた。目を覚ましたらそこに真実の答えが在ると、誰か私に言ってくれ。所詮そんな言葉は嘘だといくら私だって知ってはいても、それでも、その嘘に乗っかってとりあえず呼吸でもしようかと思えるかもしれない。 嘘でも何でもいい、私をどちらかに突き落としてくれるものがほしい。生か死か、どちらの谷底に落ちるか知らないが、こんな状態にはもう疲れた。 誰か私に言ってくれ。あなたがゆくべき道はこっちですよ、と。ほら立て札があるでしょう? ああほんとうだ、ありがとう。それじゃぁ私はあちらに行きます。会釈をして一歩を踏み出す。そこには何が、何が待って在るのだろう。 |
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