2005年06月03日(金) |
朝目覚める。私は即座に部屋中の隅を見まわす。いない。もういない。それが分かって私は深く安堵する。上半身だけ起き上がり、もう一度確かめる。いない。もういなくなった。大丈夫だ。そして私は顔を洗いに洗面所に立つ。 昨夜、久しぶりに幻覚に襲われていた。部屋の隅々の暗がりに、虫がいるのだ。虫。それは、アメンボウか蚊を巨大化させたような代物で、それも私の頭より一回り大きいんじゃないかと思えるような姿をしている。私はそれが幻覚だと分かっている。そんなもの、この世には存在しないと、私はちゃんと知っている。知っているけれども恐ろしい。虫が足をくいと僅かに動かしただけで体が硬直する。お願い、早く去って、早く消えて、私はあなたたちのことなんか呼んじゃいない、お願いだから早くどこかにいって。私は恐ろしいながらも心の中でそう繰り返した。繰り返しても繰り返しても、虫は去らない。じきに私は疲れ果て、気づいたら手首を切っていた。あぁまたか。悔しくて唇を噛む。床に垂れた血の溜まりを濡れ雑巾で拭いていく。本当ならこれは、あんたたち虫がやるべきことよ、なんて、なかばやつあたりの憤りを僅かながら心に抱きながら。 眠剤を規定量飲んで横になったものの、なかなか寝つかれず、しまいにはあまりに目が冴えるので再び起き出してみたり。あぁ早く眠りたい。眠ってしまいたい。虫のいる部屋でこれ以上起きているのなんて耐えられない。そう思いながら私はじっと縮こまる。今もし誰かが私のそばにいたなら、私はきっと尋ねるだろう。あれが見えますか、と。あなたにも見えるんだろうか。私には見えるけど、あなたには見えないのだろうか。見えない方がいい。その方が心が楽だ。見える私の目を抉り出して、そういうものが見えてしまう仕組みをごっそり抜き取りたい気持ちになる。 顔を洗い、出かける準備をする。仕事をしなきゃ食ってはいかれない。住む場所も持ち得ない。だから働く。鍵を閉める前に私はもう一度部屋を振り返る。虫はもういない。大丈夫、家に戻ってきて虫と遭遇するなんてこと、きっと、ない。そうやって自分に何度も言い聞かせる。そして私は扉を閉める。
仕事場から戻ってきて一番に電話をする。娘の背中に水疣ができたから、今日保育園前に医者に行くと言っていた。母に様子を尋ねる。湿疹だと信じていたものの周囲にも実は小さな小さな水疣ができていて、それも合わせてきれいにとろうね、と言われたらしい。早く治るといいのだけれども。 それよりも、これからはみうに、「ママは具合が悪いのよ」ということをもっとはっきり示してやった方がいいと思うわよと母が言う。私はしょっちゅうそう言っているつもりだったが、やっぱり年頃の娘、どうして自分はママと会えないのと時々言うらしい。だからこれからは「いつだってママと会えるよ。でもね、今ママはみうにご飯作ったりお洗濯物したりすることはできないからね」というような言い方を母はしたいと言う。これだけ長く時間が経ってくると、娘にだって様々な思いが交差するだろう。私は了解した旨を伝える。 私は電話を置いた後、ふっと横を見る。この間父が持って来てくれたお絵描き。娘の描いたものはどれも人魚姫で、かわいい丸顔をしている。髪の毛を結んでいる人魚、長くたらしている人魚、虹色のうろこをもつ人魚。娘はその中でも黒い髪の毛の長い人魚が好きなのだそうだ。そしてそこにはこう書いてある。みうのだいすきなママへ。見るたびに心の中で呟く、みう、まってて、もう少しだから、もう少し待ってて、ママ、元気になるから。 確かに、状態は一進一退なんだと思う。でも、多少なりとも調子の良い時間がでてきたのだから、これは前進しているのだと思いたい。 そして、今私が何よりも何よりもありがたいと思うことは。 友人が、私の不安定な時間帯になるとメールをくれたり電話をくれたり、私の気持ちが刃に向かってしまわないよう、気を使ってくれることだ。それは、大丈夫かー、の一言だったり、こんなもの見つけたよ、という写真付のメールだったり、悪戯っぽいもしもしという声だったり。私がざくざくと切り刻まなくて済むようになってゆくその過程には、たくさんの友人が存在してくれている。なんてありがたいことだろう。本当に、いくら感謝しても足りない。元気になったら。元気というものがどういうものかまだ良く分からないけれども、少なくとも虫やら何やら滅茶苦茶なものが見えなくなったら、彼女たちにこの気持ちをいっぱいいっぱいお返ししたい。別に彼女らはそれがほしくて私に今声をかけてくれているんじゃないことは充分に知っている。でも。 一緒に泣いたり笑ったりしてくれる友人が存在している、生きて存在している、そのことが、どれほど今の私を支えていてくれることか。もうそんなこと、言葉じゃぁ表しきれない。 だから踏ん張る。だから頑張る。踏ん張れるし頑張れるはずだ。彼女たちのエールをちゃんと受け止めて、私はここから這い上がっていくんだ。 私の今の左腕は、もう見られる代物じゃぁなくなっている。茶褐色に爛れた皮膚、所々に残っている血の溜まり。太く深く刻んだ傷痕の、まだ落ち窪んだままの線。自分でもそれは呆れるほど。もし私の友人がこんな腕をしていたら。私はきっと彼女らと同じことをするんだろう。だから信じられる。私はまだ生きてるし、これからだって生きていたいのだ、ということを。そして彼女らは決して、私を取り残して自ら命を断ったりしない、と。 そういえば。この週末、誕生日だ。三十五回目の誕生日。私はどんな三十五歳を過ごすのだろう。 窓から流れ込んで来る風は少し肌寒く、でも同時に涼やかで気持ちがいい。でも空は雲にすっかり覆われて、何処にも見えない。雲だけ。 でも、そこに在るんでしょう? 隠れているだけでしょう? いつかまた、顔を見せて。青く澄んだその色に、私は会いたい。 |
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