見つめる日々

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2005年07月07日(木) 
 或る雨の日、階段から滑り落ちた。あまりの痛さに声も出ず、私は打ったお尻をさする。右手に握っていた買ったばかりの傘の柄には、無残な擦り傷。一体何段落ちしたんだろう。数えてみると九つ近い段を滑り落ちたらしい。咄嗟にあたりを見回す元気も萎え、落ちたままの格好でしばらくぼんやりする。すると何故だか、自然に笑えてきてしまう。まったくいい歳をして私は何をやっているんだか。翌日、真っ白けっけのお尻に大きな痣がでーんと居座っていたことはもう、言うまでも無い。
 或る晴れた日、桜の樹と梅の樹が所狭しと植わった公園に出掛ける。水色のシートを敷いて転寝。こんな日は、カメラを持つ気があまりしない。念のためにとカメラは持ってきたものの、一度もシャッターを切らずに私の枕になる。朝の風が辺りで漂い遊んでいる。私はその風の声を聞きながら、風に混じる鳥の声に耳を澄ます。
 或る曇りの夕方、ふと見ると腕から血が滴り落ちている。慌ててタオルを巻き、行きつけの医院へ。多分よほど途方に暮れた顔をしていたのだろう、診察を終えて帰ろうとしていた先生が私を見つけ、その腕に目をやり、おいで、と手招きしてくれる。診察時間も終わった、他には誰もいないしんと静まり返った診察室で、先生が処置を施してくれる。
 そして或る風の日、一度途切れた筈の縁が細々と私の手元に戻ってくる。私はそれをそっと握り返す。大丈夫、ここにいるよ、私はここに在る、いつだってここに在るから、思う存分世界を泳いできていいんだよ、と声をかける。その縁はしゅるしゅると私の手に絡みつき、そして、来た道とは反対の、はるかに明日へと続く道へと泳ぎ出してゆく。

 世界は回る。そして私たちは、地球という地べたにしっかりと根付いて、世界がいくら西に転がろうと東に転がろうと、凛と背筋を伸ばして世界とともに在り続ける。

 私は目を閉じ、心の内奥に語りかける。ねぇ今は何処にいる? すると声だけが微かに戻ってくる。ここに在るよ。私の中の幼子がそう答える声がする。ねぇいい天気だと思わない? この頃の風はなんて心地いいんだろうね、そう思わない? 幼子は何も返事をしない。そうか、まだこの風が感じられるところまで君は辿り着いていないんだね、と、そのことに気づく。だから私は空を見上げながら、思うまま話しかける。風が何色をしているか、どんな匂いがするか、どんなやさしい手を持っているか、樹をどんなふうに撫でてゆくのか。そして私は子守唄を歌う。他の人には聞こえないような小さな声で、そっと、彼女の為だけに私はしばし歌を歌う。
 ベランダで今、一輪のねじり花が咲いている。一体何処から種が飛んできたのだろう。さっぱり見当がつかない。けれど、そんなことにおかまいなしに、ねじり花はピンク色の花弁を螺旋状に開かせ、吹く風に身を任せ、鉢の真ん中にひょこんと立っている。いらっしゃいませ。私は試しに声をかけてみる。ねじり花は何も答えない。代わりに、風に揺れながら音を奏でる。螺旋状の鍵盤が、鈴の音のような音を私の耳に届けてくれる。何処までも何処までも澄み切ったその音を。

 耳を澄ませば、目を済ませば、いつだって世界は鼓動に満ちている。それは、ここで誰かが生きているという証のひとつ。花の鼓動、風の鼓動、今行き交った人たちの鼓動、私の内奥から湧き出る鼓動。さまざまな鼓動が絡み合い、空へ空へとのぼってゆく。あぁ彼らは何処へ行くのだろう。昇って昇って昇って、空の天辺で何を見るのだろう。私は目を閉じながら顔を空に向け、光をいっぱいに浴びてみる。賛美歌のように声を合わせているときもあれば、思い思いに音色を奏でたり、くすくすと笑ったりしながら、鼓動は天へと昇ってゆく。多分あの中に、私の鼓動も混じってる。
 そして私はまた、一歩を踏み出す。この道が何処へと続いているのか、そんなことは何も知らないけれど。私は歩いてゆく。いつだってここに在て、私はここで生きている。


遠藤みちる HOMEMAIL

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