見つめる日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2005年07月27日(水) 
 台風の通り過ぎた後の今日、日差しはまるで燃え盛るかのようだった。あまりの日差しにぐったりとなった薔薇の樹や朝顔の葉々、そして街路樹の枝々が、一日中ゆらりくわりと風に嬲られていた。ベランダから見下ろすと、アスファルトから立ち上る熱気で、視界がくらりと歪んだ。これが、夏、だ。
 そして今、窓の外に広がる空には、切れ切れの雲。そしてちらちらと光る星が幾つか。風はまだ時折強く吹いて、街路樹の葉が裏返る。街路樹はいつものように、そこに在る。
 この十年あまり、薬を飲み続けてきたけれども、副作用に悩まされたことは、さほどなかった。確かに、仕事の最中に眠くなってこっくりこっくりし社長に怒鳴られっぱなしの毎日を過ごした時期もあったが、薬がもとで吐き気を催したりといったことは殆ど経験がない。しかし、ここに来て、いきなり副作用に見舞われた。その薬を服用して間もなく、食事をしていなくても勝手に体重が増えてゆく。これには驚いた。その増加の速度はあまりに速く、私は恐怖さえ覚えた。予想もしなかったことにうろたえて、電話をくれた友人に一度当り散らしてしまったほどだった。
 薬のことを改めて調べ、主治医に相談し別の薬に変えてもらったものの、パニックの気配を感じるとつい手が伸びてしまう。なぜならその、私に副作用を与えた薬がとても即効性のある代物だったからだ。今のうちにこれを飲めばパニックを回避できるかもしれない。そう思うと手が伸びる。でもそこで我慢する。もうこの薬は飲まないんだと自分に言い聞かせる。その間中、体がぶるぶる震える。これ以上副作用に悩まされるのは嫌だと自分に何度も言い聞かせる。そして私は急いで袋から錠剤を出し、水で流し込む。悪寒が指先からさぁっと背筋へ走る。耳鳴りがする。視界が揺らぐ。でももうあの薬は飲みたくない。飲みたくないけれど飲みたい。飲みたいけれど飲みたくない。右と左を私は振り子になってぶんぶん揺れる。
 ようやくパニックを過ぎて呼吸が落ち着いてきてから、ぽろりと涙がこぼれる。一体なんで、どうしてこんなことを毎度毎度やってるんだろう。自分に嫌気がさす。でもここで自分を放り出したらそれで終わりだ。こういう自分にとことんつきあってゆけるのは自分自身しかいないのだから。
 橙色の街灯の明かりの輪。その明かりの輪の中で揺れる街路樹。目で捉えることの叶わぬ風が吹き続けている。傷跡ですっかり埋まった左腕を私は夜へとそっと伸ばしてみる。この夜の中なら、私のこの傷跡も闇色の中で息を潜める。あまりに切り過ぎて、腕の内側の皮膚は黒く変色している。でもこの闇の色の中なら、そんな黒ずんだ皮膚も溶けてゆく。
 つい先日、体格のいい男性に胸元をこれでもかというほど抑えつけられた。それはほんの一分か二分くらいのことだったはずなのだが、あまりの力に私の気道は締め付けられ、呼吸が止められてしまった。あぁこのまま呼吸ができなくなって死ぬのかもしれないと遠のいていく意識の中で思ったとき、猛烈な勢いで恐怖が私を襲った。いやだ、今のままで死にたくなんかない。でも、身動きひとつ叶わない。あぁこれが、男と女の差なんだ、男の力と女の力の差なんだ、と、ぼんやり思った。しばらくして男性の腕が私の体から離れた後、私は崩れ落ち、ずいぶん長いこと咳き込んだ。咳き込んでいる間中、私は自分が死ぬことを考えていた。結構あっけなく人間なんて死んでしまうものなのかもしれない、とも。さっき浮かんだ恐怖があっけなく萎んでしまうほど、私は呆然と、ただそのことを思った。
 そして、痛感した。こんな弱い腕であっても、相手の体を押しのける力のひとつも持たぬ腕であっても、私はこの自分の腕で自分を生かし、そして、愛する娘を守っていかなくちゃならない。そのことを。それがどんなに頼りなくても。
 いつの間にか窓の外浮かんでいた雲たちは姿を消し、星だけが変わらず、そこで瞬いている。世界はただ静かにじっと、ここに在る。


遠藤みちる HOMEMAIL

My追加