見つめる日々

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2005年08月27日(土) 
 暑い一日。暑さが苦手な私は、朝から息絶え絶えで、娘に笑われる。だめじゃない、ママは、もう!と、彼女がしょっちゅう繰り返す。その言葉を浴びるたび、はいごめんなしゃいねぇと返事をしつつ、私は洗濯物やら何やらを繰り返す。
 薔薇の樹のプランターにおそらく去年のうちにこぼれていたのだろう朝顔が、ぐんぐん育ち、薔薇の樹はすっかり朝顔に包み込まれ、今、青と紫の間のような色の花を毎朝開かせる。夕暮れ時にはあっけなく萎み、そうやって、やわらかい花びらが垂れてゆくまで開くと萎むを繰り返す。朝顔に思考があるはずはないけれど、私は見つめながら、気になって気になって仕方がなくなる。そんなにも正直に自分を曝け出して、それでもこの世界で生きていけるものなのでしょうか。もちろん、誰もその私の問いに答えてはくれないけれども。

 台風の後、街のあっちこっちで落ちてひっくり返っている蝉の姿に出会う。短い命を全うし、そうして転がっているのだろうか。それとも、まだ寿命が尽きる前に、台風にやられてひっくり返ってしまったのだろうか。どちらなのか私には知る由もないけれど、せめて彼らがそれぞれに寿命を全うしてひっくり返っているのだと思いたい。土の中で過ごした数年間、地上に出てきてからの数日。彼は何を思い、何を歌っていたのだろう。
 ママ、ここにも蝉が落ちてるよ、死んでるよ。娘が走り寄る。あるお宅の玄関先で、見事にひっくり返っている蝉。私はそおっと手を伸ばし、触れてみる。すると、ジジジジとの返事が。ママ、まだ生きてる!この蝉さん、まだ生きてるんだよ、樹にくっつけてあげなくちゃ! 娘の言葉を受けて、私はその蝉をそおっと指で挟む。抵抗するのもしんどいのか、蝉は私の指の間で、ジジジ、ジジジと啼くだけだ。街路樹のひとつに適当な枝を見つけ、私たちはそこに蝉を乗せる。すると、えっちらおっちら、といった具合に身体を枝に這わせて、適当な位置を探し始める蝉。そしてやがて、他の蝉たちと共に、弱々しげながらも啼き始める。

 九月に入ったら、娘がこの家に戻ってくる。楽しみと同時に、正直、不安でもある。私は大丈夫なんだろうか、この子が寝てる隙に腕をざくざく切ったりなんてこと、もうしなくても済むだろうか。考え始めると、不安は次々増えてゆく。増えて増えて、私を窒息させる。だから私は頭をぶんぶんと横に振り、考え自体を見えないところにうっちゃっておく。
 いくら不安になってみたってどうしようもない。なるようになるさ。自分にそう言ってみる。そう、なんとかなるさ、なんとかするさの精神で、日々を越えてゆくのがせめてもの術。
 夜、プールのような水温のお風呂から娘の声が響く。ママ、ママ来て! なぁに? ほら、見て、今アイスクリーム屋さんやってるの。ママは何がいい? ママはねぇ、そうですねぇ、じゃぁ抹茶宇治金時ください。それは売ってません。え?売ってないの? はい、そうなんです。じゃぁ何があるんですか? いちごとみかんとりんごとぶどうとチョコレートです。なるほどぉ、じゃぁりんごをください。はい、ちょっとお待ちください。はい、どうぞ、出来上がりました。350円です。あ、はい、じゃぁ350円、どうぞ。ありがとうございました。お風呂場と炊事場を私はそうして何度も往復する。
 ぬるいぬるいお風呂からようやく上がってきた娘は、パンツ一丁で踊っている。鏡の前でしなを作って、どうやったら色っぽく見えるのか、いろいろ研究しているらしい。三十五にもなる私なんかより、彼女はずっとおしゃれに敏感だ。少しこの怠け者の母にもその感覚を分けて欲しい。
 そうやってきっと、あっという間に毎日はすぎてゆく。自分がどうだったとかこうだったとか、そんなことお構いなしに世界は回り続ける。だからせめて、自分は今何処に立っているのか、そのことだけでも、見失わずにいたい。
 娘がまた私を呼んでいる。ママ、ママ、お星様見えるよ! 私は洗物の手を拭いて、彼女のところへ。
 星、見えるね。二つだけだけどね。あれきっと、ママと未海だよ。そうだね、きっと。


遠藤みちる HOMEMAIL

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