2005年08月25日(木) |
寝床からなかなか起き上がれない日が続く。そうしている間にあっという間に日が過ぎる。私は何処か上の空でいる自分を、少し持て余している。 曜日と日付の感覚がすっかり失われ、カレンダーを見てもそれが暦だと認識できず、ただ、数字が羅列する何者かという感覚が私を覆う。仕方がないからコンピューターを立ち上げて、日にちを確認する。今日は何日で何曜日、今は何時。自分に言い聞かすように二度ほど繰り返し声に出す。私は曜日を頼りに、手仕事を始める。 そんな私が住む街にも、台風はやって来て、それとともに娘もやってくる。「みうがどれだけあなたの健康を気にしているか、ほんとに切ないくらいよ」「今日も、台風が来るからママお迎え大丈夫かなってずっと言ってたのよ」。実家の母から電話が入る。「子供にあんなに心配される親、あなたぐらいよ」。まさしく母の言う通り。心の中でそう思いながら、私は電話の声にしばし耳を傾ける。 起き上がれないのは、体調のせいだけでなく、薬のせいのような気もしないではない。先日処方された薬は私には少し強すぎて、それを飲むと、身体を起こしていることがほとんどできなくなる。先生は、このパニック状態をやり過ごすために必要な薬だとして私に処方してくれる。でも、それを飲むと私は起き上がれなくなる。つまりは仕事もままならなくなる。だからといって飲まないでいると、そのツケが数日のうちに私に襲い掛かる。飲むしか仕方ないのだろうか。そう思い口にする薬は苦くて、私の喉を焼く。
写真を焼くこともなかなかままならない。このままじゃぁ焦点が合わないままの世界で日々を過ごさなければならなくなるような不安が私の中に生じ始める。でも。必ず焦点が合う時が来るはずだ。きっと、きっと。そう言い聞かせる自分が、実は一番頼りない。
台風が近づいてくる。そんな街はすっかり濃灰色の雲に覆われ、アスファルトで飛沫を上げる雨粒がどしゃどしゃと落ちてくる。私はその雨の中、傘をさし、娘を迎えにゆく。保育園で名前を告げると、やがて娘が転がるように走り出てくる。このまっすぐな眼差し。私はいつもこの眼差しに助けられる。頬が自然に綻んで、さぁ帰ろう、と娘に言う。娘はこれでもかという勢いで私の身体にぶつかってきて、私の腕に絡みつく。彼女の手はあったかくて、私はそこに、命の塊を感じる。 樹々が揺れる、葉々が揺れる、ぱしゃぱしゃばしゃばしゃと雨の音が響く。傘と傘、結んだ手と手。結んだ手と手が濡れてゆくのも構わずに、私たちは手を握り、雨の中を歩く。傘に打ちかかる雨の音が、こんなときは何故か、楽しげに響く歌のように聞こえる。 ねぇママ、みうがいないとき元気だった? ねぇママ、みうはねぇ今日この歌覚えたの。ねぇママ、昨日ね、じぃじがこんなこと言ったから、みう、じぃじのことやっつけておいたよ。ねぇママ、ねぇママ。 途切れなく続く彼女の話を、私はずっと、うんうんと言いながら聞いている。ひとりきりの部屋ではあり得ない、誰かの声が響く部屋。外は台風。風の唸りが遠くに聞こえる。 ママ、お写真撮った? あ、撮りに行けなかったの。なーんだ、じゃぁママ、つまんなかったね。うーん、そうねぇ、残念だったな。じゃぁママ、お写真焼いた? まだ焼いてない。だめじゃないの、ママ、お写真がママを待ってるよ。え、あ、はい、うん、そうだね、またやらなくちゃ。そうだよ、ママ、お写真やらなきゃ。じゃ、今度みうがモデルになって。えー、みうがー、やだー。なんでやなの? ママはみうの写真撮りたいなー。えー、でも、恥ずかしいじゃーん。え、みう、恥ずかしいの? だって、他のみんなはママみたいなお写真作らないよ。あぁ、なるほど、そうだね、確かに。でも、いいよ、ママが撮りたいならつきあってあげる。ははははは、うん、そうして。ママはみうとお写真とどっちが好き? みうに決まってるじゃん。みうもママが一番好き! 五歳児というのは、こういうものなんだろうか。人を気遣い、人を思い。私が五歳の頃はどうだったんだろう。こんなにも誰かを思いやりながら暮らしていたんだろうか。そんな記憶は、正直、あまり、ない。だから、娘を見つめていると、いつも不思議になる。人間って不思議、命って不思議。生きてるって、不思議。 娘からふと目を逸らす。窓の外では雨が降り続いている。この雨に閉じ込められて、ぼんやり過ごすのも、そう悪いわけじゃぁない。ぼんやりと。輪郭の薄い毎日だけれど。
|
|