見つめる日々

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2005年09月12日(月) 
 暑い暑い、そう言いながら娘が冷凍庫を開ける。その中に入っているのはアイスノンやら大きめの保冷剤。娘はその保冷剤のひとつを取り出して扉を閉めると、さぞや冷たいだろうと思うのにおなかにぺたっとくっつける。気持ちいいぃとうっとりした表情を浮かべる娘。ちょっと心配になって私は試しに言ってみる。
「ねぇみう、おなかごろごろになっちゃうよ」
「なんで?」
「おなかひやすとごろごろになっちゃうんだよ」
「みうは平気だよ。全然ごろごろならない」
「…まぁねぇ、確かにそうだけど」
と私が言いかけたところで、娘はひょいっと私の背中に保冷剤をくっつける。冷たくてひゃあと声を上げそうになったが、不思議なもので、こんな暑い日にはこの冷たさでも大丈夫なんだろうか、結構気持ちいいと思ってしまった。黙っている私に、娘が、つまんなーいと言いながら抱きついてくる。あぁもっと暑くなる、と思いつつ、私の手は無意識に洗い物を続けている。
 日曜日は娘を退屈させないようにするのが一番大変な日。体力が有り余っている娘は、風船で遊ぼうだとか何とかレンジャーごっこをしようだとか、ひっきりなしに私を呼ぶ。昼になる頃には、ネタ切れなんじゃないかと思うほどたくさんのことを相手させられ、私は正直、ぐったりしてくる。
 でも、子供と親との時間というのはうまくできているものだ。実家からこの部屋に戻ってきた娘は、何かにつけ手伝いたい手伝いたいと言うようになった。だから今日は、夕飯用の冷汁作りを手伝って欲しいと彼女に頼んでみる。
 きゅうりとナスをスライスして、塩を振りかけてよく揉んで。小さい彼女には、それをやりとげるだけで結構な時間を要する。その間に私は、だしをとり、味噌をとかし、汁を作る。そして、みょうがとしょうがを細切りにし、小さなお皿に取り分けておく。
 彼女がもっとスライスしたいと言うので、別のボールを用意し、オクラをスライスしてもらうことにする。小さいせいか、ちょっとやりづらそうな手元。私は、彼女が手を動かすたびにカタコトと震えるボールに片手を伸ばし、そっと抑える。
 一通り終わったところで、窓際に立っていた彼女が私を呼ぶ声がする。彼女が指差す北西の空を見上げると、真っ黒な雨雲。「ママ、あっちからね、どんどん黒いのが流れてくるんだよ、ほら!」。確かに、どんどんどんどん、より黒い雲が次々流れ込んでくる。私たちは窓際に座り、膝に頬杖をついて、動き続ける雲と空とをじっと見つめる。「ママ、雷鳴るかな?」「どうかなぁ、でも、雨は今にも降り出しそうだね」「どっちが先に雨を見つけるか競争だよ」。だから私たちは、じっと、ただじっと空を見つめる。
 私と娘、ほとんど同時に雨だよと声を上げる。すると、瞬く間に目の前の街は雨飛沫でけぶり、街路樹にも街灯にもぱしぱしと雨粒が叩きつける音で辺りはいっぱいになる。あまりの雨の速度に私たちは半ば呆然としながら、窓際で立ち尽くす。ママ、雨すごいねぇ。ほんと、すごいねぇ。
 ベランダで揺れる薔薇の樹は、もし自分で動けるのであればきっと、雨の方へ雨の方へと身体を伸ばしただろう。私は立ち上がって、プランターをベランダの柵に一番近いところへ引きずってみる。半身だけ、雨粒が届くようになる。ゆっさゆっさと揺れながら雨に手を伸ばす薔薇の樹の様子は、そこから音楽が聞こえてきそうなほどかわいらしい。娘が私の真似をしてプランターをえっちらおっちら動かしている。そのプランターの中には薔薇に巻きついた朝顔が幾つも花をつけており、雨が当たり始める場所へ来ると、朝顔の花の上、ころころ転がる雨粒がはっきり見えるようになる。私たちはそうして、ひとときの雨の時間を窓際で過ごす。
 やがて雨が上がる。黒い雨雲は南東へ流れてゆき、私たちの部屋の上、空にぽっかりと穴があく。「ママ!見て!」。彼女の指差す向こうに、下弦の月。白く白く、透ける月。

 夜、娘を寝かしつけた後、いつものようにいつもの位置に私は座る。開け放した窓からそよそよと流れ込んでくる夜気は、こちらが目を閉じてしまいたくなるほど肌にやさしい。凝った肩や首を伸ばしながら私は目を閉じる。私の頬を肩を首筋を撫でる風の涼しさ。こうやって秋へ秋へと季節は傾いてゆくのだな。昼間の雨の中、娘がふと言った言葉を思い出す。もう秋なんだよね、秋が過ぎたら冬が来るんだよ、冬になったら鈴虫もみんな眠るんだよね。
 そうだね、冬になったら。みんな眠っちゃうかもしれないね。娘の寝顔を瞼に浮かべながら、私は今更だけれども返事をする。でもママは、冬が大好きなんだ。
 耳を澄ますと、娘の寝言がもにょもにょと聞こえてくる。そして見やる窓の外では、街がしんしんと眠っている。


遠藤みちる HOMEMAIL

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