2005年10月23日(日) |
眠ったのは午前四時近く。夜風に当たりすぎてすっかり冷え切った身体を布団に滑り込ませるものの、なかなか温まらない。が、私の隣には天然湯たんぽが横たわっている。手を少し伸ばすとそこには娘の身体。毛布にぽっくり包まって、それはぽかぽかと眩しいほどの熱を放っている。私は彼女の身体を後ろからくるりんと抱き込む。あっという間に私の身体は温まり、解れてゆく。娘の身体から私の身体を離す。娘は全く身動きひとつせず、深い眠りの中。そんな彼女の横顔に、小さい声であれこれ話しかけてみる。明日何しようか、Sおねえちゃんからメールが来たんだけどね、等々。とりとめもなく話し続け、飽きた頃文庫本を開く。活字を辿るほどの気力はないのでただぼんやりと活字の描く地図を眺めて過ごす。そうしてようやく巡り来る眠り。 目がぱっと覚めて、反射的に枕元の時計を見やる。午前七時半。眠ってからまだ数時間しか経っていないものの、何だか妙にはっきりとした目覚めだ。私の隣では娘がまだ寝息を立てている。 簡単な朝食を作り、彼女を起こし、二人で並んで食す。それは毎日の、当たり前の風景。今日も淡々と繰り返される一場面。もぐもぐと口を動かしていて、ふと、目の端にビニール袋が捉えられる。確かあの袋の中には球根が。そうだ、みう、今日は球根を植えよう! 球根? うん、そう。土を買いに行こう、新しいプランターも買おう! えー、みうはおうちでお留守番してるよ。何で? お花植えないの? お花は植えたいけど、お買い物は面倒くさい。そんなこと言わないでさぁ、一緒に買いにいこうよ、自分で選んだ方が楽しいよ。うーん、しょうがないなぁ、じゃぁ一緒に行くよ。 日曜日もやっている整体に行った後、私たちは埋立地へと自転車を走らせる。途中、お揃いの大小のカバンを引きずって歩く父子とすれ違ったり、ラーメン屋の出前のおにいちゃんとすれ違ったり。そうして線路を渡って、私たちは先を急ぐ。 急に開けた通りは真っ直ぐに海へと続く道で、その左側には銀杏が並んでいる。ついこの間まで青々としていて、紅葉なんて程遠いと思っていたのに、今日目の前に現れた銀杏の葉々は、ほんのり黄色を帯びている。昨日の雨に黄色い絵の具が混じっていたんだろうかと思えるくらい突然の出来事。うわぁと声を上げながら、私は銀杏を見上げる。海風に揺れ、さやさやと右に左に波打つ葉々。一番手前の樹の下に自転車を止め、私はしばし黄緑色の波を見やる。ひとり感嘆のため息を繰り返す私の後ろで、娘は鼻歌を歌っている。この間までの青々とした葉と今日の黄緑色の葉と、その違いにあまり覚えがない彼女には、私のような感動はないらしい。苦笑しながら私はペダルに再び足をかける。日差し降り注ぐ並木道。木漏れ日も踊っている。 カートを引き、安売りの土を投げ入れる。これもまた安売りのプランターを選んでカートに乗せる。そして最後、娘に球根を選ばせる。彼女が選んだのはラナンキュラス。チューリップとかそういった見慣れた花を選ぶのかと思っていたからちょっと意外。家にはアネモネと水仙と、もう何の花だったか忘れた球根が幾つか在る。さて、これで準備は整った。 山盛りの荷物を自転車に載せ、どきどきしながら漕ぎ出す。娘がひゃぁひゃぁと奇声を上げて笑っている。ママ、転んじゃだめだよ、みんなどいてー! 恥ずかしいから止めてよと彼女を制すのだが、止めてくれない。どいてくださーい、荷物がいっぱいで止まれませーん! 彼女は容赦なく声を上げる。道行く人がみな、振り返ってこちらを見、あまりの荷物の山に目を奪われ、そのまま呆れたような顔で今度は私を見る。多分赤面してるだろうなと思える自分の顔を感じながら、私は必死にハンドルを握る。ちょっと気を抜けば絶対転ぶ。もう知るもんか、すれ違う人はきっとみんなこの場限りの人たちよ、そう開き直り、恥ずかしさなどかなぐり捨てて私は家路を急ぐ。 さて。 ベランダに荷物をひろげ、私たちはしゃがみこむ。西に傾きだした午後の日差しが背中に暑いくらいに降り注ぐ。土を入れ、水をやり、そこにひとつずつ、球根を置いてゆく。球根を植えるのは彼女には何回目だったっけ、と、記憶を辿るものの、うまく思い出せない。初めてかもしれないし、二回目かもしれない。とりあえず、彼女に、球根の上下の向きと間隔を教え、後は彼女に任せることにする。「このプランターはみうのだからね、自分でお水をやるんだよ」「みうがいないときはどうするの?」「みうがいないときっていつ?」「みうが保育園行ってるとき」「保育園行く前にお水をあげるのよ」「朝だけ?」「そうね、朝か夕方かどっちか」「ふぅん」「ママがいつもやってるでしょ、そんな感じ」「ふぅん、分かった、じゃ、もしみうが忘れちゃったらどうするの?」「みうが忘れると、お花はお水をもらえないの」「…むむむむむ」「つまり、ご飯がもらえない、ということだ」「じゃ、忘れちゃだめじゃん」「そう、忘れちゃだめなの」「…大変じゃん」「大変だね」。今更、水遣りの大変さに気づいた彼女に、私は思わず笑ってしまう。まぁ、何処まで自分でできるか、やってみればいい。 並べた球根の上に、薄く土をかけてゆく。娘が勢い良く土を叩いて平らにしようとしているので、慌てて制し、やわらかいお布団のつもりで土をかけるんだよと教える。土は球根のお布団なの、と言う私に、土がお布団なんて変だよね、と彼女は納得いかない顔で繰り返す。じゃぁ人間も外で寝るときは土をかければいいの? いや、それはちょっと…、外で寝るのはあんまりしない方がいいよね、人は。だって球根とか種は外で土の布団かけて寝るんでしょ? 人間もそうじゃないの? うーん、いやぁ、何というか、ママは土をかけて外で寝たことはないから何とも言えないんだけど。じゃぁ土がお布団だってどうして分かるの? うーんと、何というか、理屈というか何というか…。理屈って何? 理屈って、理屈っていうのはこう、何というか説明というか…。何? 後で辞書で調べてから説明するよ。説明って何? 説明というのはねぇ…。 はっきりいってしどろもどろである。こうじゃいけない、すんなりと応えてやらねばと思うのだが、娘に理解できる言葉で説明するというそのことに、私はつい躓いてしまう。自分ひとりの頭の中でなら理解できている言語が、いざ娘の前に晒そうとすると、うまく意味を説明しきれない。歯がゆいとはこういうことを言うんだろう。私はあれやこれやと言葉の洗濯物を引っ張り出し、額に汗にじませながら、彼女に説明を試みる。 それにしても、ここ最近の彼女は、細かな言葉にひとつひとつ立ち止まる頻度がやけに増えた。たとえば大好きなドリフターズのDVDを見ている最中でも、彼女は容赦なく私に尋ねてくる。ママ、祟りって何? ママ、ハッパって何? ママ、悟りって何? ママ、次に志村けんがトータルバランスって言うの、ほら、言ったでしょ、トータルバランスって何? …彼女の問いはとどまることを知らない。もう殆ど覚えてしまった台詞のあちこちに、疑問符が浮いているらしい。意味も分からないまま、よく丸覚えできたものだと思うのだけれども、まぁそれは置いておいて、彼女の問いに私もひたすら応えてゆく。彼女に分かる言葉で応えるということが、こんなに難しいとは。今更だが、親というのは大変なものなのだと痛感させられる。世間の親はきっと、いつもこんなふうに子供たちからの問いに晒されて、そのたびあたふたするのだろう。それにしても、相手に理解してもらえる言葉で話すというのは、幾つになっても難しい。死ぬまでその難しさの中を泳いでいくしかないと思うと、ちょっと途方に暮れたくなる。 黙々と私たちが作業をこなしている間に、お茶の時間になっていた。一通り作業を終えた私たちは、暑いということでアイスクリームを食べる。それだけじゃ足りなくて、あともう一口何かが欲しいということで、最後、凍らせた巨峰を一粒ずつ口に放り込み、はぐはぐと食べる。もちろん種を出すことを忘れない。いや、私は普段は種なんて平気で飲み込んでしまうのだけれども、今日は娘を真似て丁寧に種を残す。そしてそれを、一番小さな鉢に落とす。去年、こんなふうに種を撒いて、そこから葡萄の蔓が十センチ位まで伸びたのだった。でも、寒さにやられたのか何にやられたのか、気づいたら倒れており。だから今年も試みる。「ママ、指で押せばいいんでしょ?」「うん、種をこう、ね、ちょっと押して、で、土をぽっとかける」「ぽっとかける、ふんふん」「最後にかるーくお水をあげて…、あとは寝かせてじっと待つ」「寝かせるって何?」「しばらく放っておくってこと」「いつ芽が出るの?」「それは誰にも分からないんだなぁ、神様も多分知らない」「明日?」「明日は無理」「明後日?」「うーん、一週間くらいかな」「一週間くらいっていつ?」「今日は何曜日?」「日曜日」「じゃ、次の日曜日ぐらいかな」「早く芽、出ないかなぁ」。何だか、「となりのトトロ」の中に出てくるメイちゃんみたいな顔である。じぃっと土を凝視する彼女の隣に立ち上がると、私は空を仰ぐ。西の空に白銀の腹を見せて飛んでゆく飛行機がひとつ。向かいの街路樹で、戯れる雀が数羽。静かな午後。 気づけば日曜日もやがて終わる。娘を寝かしつけた後、私はあれやこれやの用事を片付ける。そうしている間に時計の針はくるくる回り、あっという間に真夜中だ。 明日は月曜日。一週間がまた始まる。この一週間の間に、埋立地のあの銀杏はどれだけ葉の色を変えるのだろう。その間に私とみうは、何をどれだけ為すのだろう。そうだ、明日病院の帰り、モミジフウの樹を見に行こう。晴れていたならきっと、ぶらんぶらんと青空を背に枝で揺れるあの実が私を出迎えてくれるはず。
今、夜風がひゅんっと部屋を横切った。見上げる空、月は、見えない。 |
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