見つめる日々

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2005年11月27日(日) 
 明るく澄んだ陽光が、街に、ベランダに、降り注ぐ。開け放した窓からは、微かな風がしゅるりと滑り込み、時折カーテンと戯れている。
 病院と部屋とを往復する毎日が続いている。それでも、少しずつ少しずつ、身体が動くようになっている気はする。そしてはたと気づく。たとえば、それまで当たり前に乗っていた自転車を漕ぐ力が、まるっきりなくなっているということ。たとえば、それまで何の躊躇いもなく駆け上がっていた四階分の階段が、一階分さえ歩いて昇れなくなっているということ。それほどに私の体力は、この短い間に落ちたということか。それを省みると、まず私が今しなくてはならないことは、体力を取り戻すことらしい。さて、何から始めようか。こんな、部屋中に掃除機をかけるだけではぁはぁ息を切らしてしまうような具合では、娘の相手はとてもじゃないが務まらない。早く何とかしなければ。
 ベランダのプランターの中では、球根が順調に育っている。彼らの様子を見ていると、どの世界にも、弱肉強食といった構図が在るのだなということを知らされる。強い球根はぐいぐいとその芽をその葉を押し広げ、陽光を全身に浴びようと手を広げる。その影で、芽を出し遅れた者が、ちんまりと芽を出し、ぷるぷると震えている。強者の陰になって、陽光を浴びることは殆ど叶わず、だから日に日に、強者と彼との差は広がるばかり。プランターの向きを変えて凍える彼に陽光を浴びせてやりたいと試みるも、強者は容赦がない。向きを変えられれば変えられたで、自ら葉の向きを変え、陽光を奪いにかかる。この強弱のピラミッドを、ひっくり返すことは容易ではないらしい。人間の世界でも植物の世界でも、そうやって弱者はやがて淘汰されてゆくのだろう。私は、プランターというこの限られた小さな世界を見つめるほどに、そのことを痛感させられる。それでも。それでも、どんな弱者であっても、このプランターの世界の中で彼らは決して諦めることはしない。どんなに陰になって、どんなに縮こまることになったとしても、彼らは懸命に芽を出し葉を広げ、自分なりの生を全うしようと全身で努める。弱者は何処までいっても弱者、強者もまた何処までいっても強者、なのかもしれない。が、それでも、弱者は弱者として、全身で生き、全身で花を咲かせるのだ。私はそんな彼らの歌声にいつも、遠くから支えられている。
 表面的なことは別にして、底まで打ち明けるのはたいてい、主治医にだけだ。それだって、結構時間がかかる。その事が起きて、私がそれを言語化できるようにならなければ、伝えることは出来ない。
 実際にそれが始まったのは、もう二週間くらい前になる。ようやくそのことを言葉に還元できるようになって、私はぼそぼそと主治医に伝える。外出先で意識が突然ぷっつりと途切れること、そして気づくと、公衆トイレなどといった他人が入り込みようのない場所で刃を片手に座り込んでいること、そして左腕には幾つもの傷が、どうしようもなく横たわっていること。先生、外出先でまでそんな具合になってしまうのってまずいですよね。そうね、まずいわね、下手すると警察に捕まっちゃうわよ。えぇっ、そうなんですか? そうよ、銃刀法違反で捕まっちゃう可能性があるわねぇ。うーん、警察に関わるのはいやです、いやな思い出しかない。じゃぁどうにか避けるしかないわよねぇ、しばらく頓服を何種類か多めに出しておくから、それで何とかしのいでくれる? そうできるように頑張ります、はい。…ねぇ、さをりさん。はい。よくここまで生き延びてきたよね。…。覚えてる? 毎日のように病院に来てた頃、腕を切り刻むこと以外何もできなかった頃、人がそこにいるだけでパニックを起こしてた頃。そういう時期がありましたねぇ、ほんと。そうでしょう? あの時期をあなたは、必死に生き延びてきたのよね。そうなんでしょうか。すごいことだと思うわ。はぁ…。他の誰がどう言うかは知らない、でも、私は、すごいことだと思う、すごいなっていつも思ってるのよ。…。今またしんどい時期がきてしまっているけど、でも、あなたならきっと乗り越えられる。…。ここまでの道のり、あなたはちゃんと自分の足で立って自分の足で歩いて、そうして生き延びてきたのよ。間違いなくあなたはひとりで立って、ひとりで歩いてここまで来たの。そんな自分を、信じてね。…。
 病院からの帰り道、これまで私が歩んできた様々な場面がフラッシュバックする。電車の中、私は目を閉じ、窓に寄りかかり、その様を眺めている。良かったとか悪かったとか、悲惨だったとか辛かったとか、そういったものはもうなくて、ただ現実にあったことだけが早送りのフィルムのように私の網膜を流れてゆく。淡々と、淡々と。
 多分、私は、先生が言うように、これから先も生き延びるだろう。どういうことがあれ、生き延びてゆくだろう。私は多分、そういう人間だ。

 週半ば、遠く西の街に住む友人がやってくる。私の展覧会を見るためだけに、松葉杖をつきながらやってくる。挨拶代わりにやぁと上げてくれた彼女の片手が、なんだかやけに明るく光って見えて、私は少し照れてしまう。
 酒好きな彼女は、くいくいとグラスを開けながら、からからと笑う。一年前、彼女はとんでもなく堕ちていた。グラスを持つ指先はぶるぶると震え、震えながらも酒をかっくらい、呂律の回らなくなった口でひっきりなしに苦悩を吐き出していた。でも今、彼女は、同じように酒を飲みながらもからからと笑い、そしてその目は、しっかりと焦点が合っており。私は、そんな彼女の様子を、とても嬉しい心持で眺める。ここに辿り着くまでに、彼女の道のりにはきっといろんなことがあっただろう。それでも今彼女の目はちゃんと前を向き、自分から逃げようとせずちゃんと自分と向き合い、そして、他者と向き合おうとしている。もしかしたら、たとえば一ヵ月後、彼女はまた奈落の底に突き落とされるかもしれない。でも、彼女はきっとまた、這い上がる。這い上がってくる。私は、おいしそうに酒を飲む彼女の横顔に、心の中話しかける。大丈夫、あんたに何かあったら、私も未海も飛んでいくよ、いや、それ以前に、あなたはきっと自分の足で立ち上がる、私たちはそれをいつだって信じてる、立ち上がるために必要な手だったら、いつだって差し出すよ、そう、もし私が同じ状況に陥ったら、あなたも同じ事を私にしてくれるに違いない、だから、私はいつも耳を澄ましてるよ、君の鼓動に。
 そうして瞬く間に、夜は更けてゆく。
 いろんな人からの励ましを受け、展覧会後期の展示替えも何とか無事に済む。書簡集の壁に並んだ後期の作品をゆっくりぐるりと眺め、私はほっとする。どうにかここまで辿り着いた。あとは終了するその日まで駆け抜ければいい。
 夜、実家にいる娘に電話をかける。「マーマ」「みーう」「ママ、今日は何してたの?」「ママはね…。みうは?」「みう、今日もちゃんとママからもらった日記帳に日記書いたよ」「うわぁ、すごいじゃない、ママ、見るの楽しみだなぁ」「もうね、六枚も書いたの」「ほんと? えらいねぇ、みう」「あとはね、明日の朝、時計に、何時に寝たかを書くだけだよ」「そっかあ。じゃ、明日もまた日記買いてね」「うんっ。だからね、ママ」「何?」「みう、えらいでしょ、がんばってるでしょ?」「うん、えらい」「だからね、おうち帰ったら、プレゼントちょうだいね」「は?」「だってね、みうはママと離れて、じじばばのおうちで我慢して頑張ってるんだよ、だからね、プレゼントちょうだい」「…ははははは。わかった、そうか、みうはがまんしてるんだよね」「そうだよ、みうはママと一緒にいたいのに、ママがご病気だからがまんしてじじばばのところにいるんだよ」「そうだよね、じゃぁ、わかった、プレゼント用意しとく」「うんっ!」。

 乗った電車の中、私の中の何かが破裂し、それを合図に私はまた自分を傷つける。私の中の一体誰がそんなことを為しているのか私には分からないけれども、それでも、私が私に戻った時、私は目の前に、傷だらけの腕を見せつけられる。だから私は、もうこれまでも何度もそうしているように、消毒をし、ガーゼを巻き、できるだけ強めに包帯を巻く。この包帯がもう、私の知らないところで解かれたりしませんように、そう願いながら。
 最近よく、不安定な私に付き添ってくれる幼友達が、ぱたんと倒れ眠り込んだ私の腕の、血に染まった包帯を見つけ、黙って換えてくれる。友は何も言わない。私が問うた時だけ、アドバイスをくれる。私はそのアドバイスに耳を澄まし、できるなら事態を繰り返さないで済むよう、あれこれと考える。

 まだ多分、足掻くしかない時期が、続くのだろう。それでも今日は終わってゆくし、今日を越えれば明日がやって来る。だから私は、一日一日を全うし、越えてゆき、次の一日に手を伸ばす。いつかこうした時期も、そんなことがあったねと笑って思い出せる時が来ると信じて。
 窓の外、気づいたらもう日が傾き始めている。洗濯物は乾いただろうか。日が堕ちる前に、植物たちに水をやらないと。でもその前に、一杯くらいお茶を飲もうか。そうして私は椅子から立ち上がり、薬缶を火にかける。


遠藤みちる HOMEMAIL

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