2006年02月07日(火) |
カーテンを開け通りを見やると、濡れたアスファルトが東から伸びる陽光をいっぱいに浴びている。濡れた通りを次々に走り去る車道の脇で、よろよろと自転車を漕ぐ老人の背中が見えた。娘を後ろに乗せて坂道をのぼるときの私の背中も、あんなふうなのかしら、とちょっと思う。 連日朝一番に病院へ。昨日は診察だったが、今日は或る手続きを進めるために。その手続きには山ほどの書類があって、そこに、ひとつひとつ、私に起きた出来事についてやこれまでの病状について、自ら記さなければならない。物静かなケースワーカーが何度も私を励ましたり休ませたりしながら、その作業を進めてゆく。気づけば書類に記す自分の字がぶるぶると震え、自分でも読みづらいような形状を示していたりする。それでも、これから先の生活のことを思えば、この書類をしっかり仕上げ、公的機関に受理してもらわねばならない。今日の分を何とかし終えて病院を出た頃には、もう太陽は、西に傾き始めていた。 草臥れたその足を引きずるようにして、私は何とか二件目の病院へ自分を運ぶ。治療を受けて処方箋を受け取り、これでようやく一息つける。そう思った時、私はちょうど、川を渡るところだった。 橋の袂から西に伸びる川面を見やる。光景全体がけぶっていて、私は思わず目を細める。光の粒がそこらじゅうで弾けているかのような眩しさ。見つめ続けるには眩しすぎて、私はふっと橋の下に視線を逸らす。そこには、点々と、身体を丸めて浮かぶ鴎の姿。今年生まれた者もいるのだろう、小さな身体で大人たちの仕草を真似て、ぷかぷか浮かぶ姿も見える。 もう一度私は西に伸びゆく川を見やる。光の粒は相変わらず跳ね回っており、私は目を細めずにはいられない。けれど、何故だろう、それはとても美しい光景に見えた。時間も雑音も何もかもが遠ざかった向こうにあるような光景に。 駅前に止めていた自転車にまたがり、そのまま帰宅しようとしたが、ふと気が変わる。私は、さっきまであれほど草臥れてもう地面に倒れ臥したいと思っていたくせに、自転車の方向を、通いなれた商店街に向けた。 午後の淡黄色の陽光に溢れた通りには、人もまた溢れており、私は思わず臆する。でも、せっかくここまで来たのだからと、自転車を降りて引っ張りながら、人ごみの中をゆっくりゆっくり歩いてみる。 あぁあの店も潰れたのか、あそこは改装したのだな、ここにこんなベンチあったかしら、新しくできた喫茶店の窓がかわいいな、前を歩くおじさんよろよろしてて危ないんだけど。私は、つらつらと、とりとめもなく歩いた。そしてそのどれもが、西に傾く日差しを受けて、きらきらと眩しかった。 ふと、通りの角で立ち止まる。そして私は空を見上げる。高く澄んだ青空。鳶が二羽、交叉するように飛んでいる。雲があまりに早く東に流れてゆくので、私はしばらく雲の様から目が離せず、ただじっと、それを見ていた。そう、これだけ草臥れても草臥れても、私の上に空はあるし、太陽はあるし、この星もまた間違いなく回り続けている。明日が今日になり今日が昨日になりそしてやがて過去になり。いや、過去になれない出来事たちもたくさんあるけれども、それでも時間は過ぎてゆく。
娘を寝かしつけた後、いつものようにいつもの椅子に座り、細めに窓を開けて煙草に火をつける。身体はこんなにも草臥れているのに、神経はまるで逆立った猫の毛のよう。今にも火がつきそうなほど擦れ合い突きあい、私は今夜もなかなか横になれない。 私はふと、台所を見やる。今日は夕飯も作れなかった。作れそうにないと思って、帰りがけ、蕎麦屋に寄った。中身寂しいお財布でも間に合う寂れた蕎麦屋で、私と娘はたぬきそばを食べた。私がなかなか食べれずもてあましている横で、娘はあっという間にぺろりと平らげた。あまりに見事に平らげるので、ママのもいる?と尋ねると、うん!と元気な返事。思わず笑い出した私は、彼女の器と自分のとを置き換える。娘はあっという間に食べつくす。 そんな育ち盛りの娘を育てている立場だというのに、家事がなかなか思うようにできない最近の自分。我ながらいやになる。何とかしなくちゃ、ちゃんとしなくちゃ、そう思うのに、毎日毎日擦り切れてゆく自分の何かを、どうしようもできないでいる。 明日こそおいしい夕飯を作ってやろう。明日こそお風呂でいっぱい遊んでやろう。明日こそ本をいっぱい読み聞かせてやろう。思うことはこんなにいっぱいあるのに、したいことはこんなにいっぱいあるのに、結局今日もまた、何もできずに終わってゆく。そういう自分に腹が立つ。同時に、もう、諦めさえ感じてしまう。 でも。 どうにかするんだ、と、自分で自分を励まさなければ、多分私はあっという間に潰れる。だから、無理矢理でも嘘でも何でも、自分で自分を励ます。明日こそは、と。
横たわる夜のベランダ。ぷっくり膨らんだ水仙の蕾が、今、風に揺れる。 |
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