2006年02月09日(木) |
目覚まし時計の音が鳴っているなと思ったら、止まった。あれ、と思い目を開けると、娘がびっくりした顔でこっちを見た。そして、目を覚ました私に気づいてべそをかく。「どうしたの?」「…せっかくママを起こさないように目覚まし時計止めようと思ったのに」「えー、どうして?!」「だってママ、いつも遅くまでお仕事してるから、もうちょっと眠った方がいいと思ったから」「…みうぅぅぅ、ありがとねぇ、でも、朝はちゃんと起きないと。ほら、一緒に起きよう!」「…うんっ」。最近時々、彼女はこんな気遣いを見せる。それに接するたび、ずいぶんオトナになっちゃったものだなぁとつくづく思い知らされる。娘の成長の速度に、私は追いついていっているだろうか。かなり負けこんでるんじゃなかろうか。悔しいからカーテンを思い切り開けてみる。外は眩しいほどの晴れ。「みう、どっちが先に着替え終わるか競争!」「よーい、どんっ!」。二人して次々脱いでは着替えてゆく。それだけのことなのだけれども、競争しているということが楽しいらしく、娘は釦を急いでかけながら、「今日はみうが勝つもんね!」と言っている。本当はもう、私の方が先に着替え終わりそうなんだけれども、その一言にどきっとして、ちょっとのろのろと、娘が先に終わるまで待ってみたりする。もちろん娘にはばれないように。 娘を送り出し、自宅に戻って仕事を始めると、鳴り出す電話。今日は一体何という日なんだろう、立て続けに悪い知らせが入る。ひととおり電話が鳴り終わった後、私は口をあんぐり開けて、さてどうしようと途方に暮れる。でも、途方に暮れても何にもならないことは分かっている。動くしかない、次に進むしかない。萎えそうな気持ちに喝を入れようと、私は掃除機を引っ張り出して、部屋中に掃除機をかけまくる。どうだ、きれいになっただろ、次だ次、次に行こう! 私はいつもの椅子に座り、とりあえず作業を始めてみる。 しかし、気分というのはつい引きずるもので。気づいたら何もやる気がなくなっており。これはだめだなといったん諦め、家事を為す。洗濯物も全部畳み、洗物も植木への水遣りも風呂掃除も為し。もう今日はこれで終わりだと自分に言ってみる。今日は多分私の仏滅なんだ、と思うことにする。実際どうなのかなんてカレンダーで確かめてはいないけれども。 ふと思い出す。もうだいぶ前になってしまうけれども、本屋でトラウマ関連の本を見かけた。手にとって目次を見る。性犯罪によって引きおこったPTSDについて触れている章があったのでそこを開く。立ち読みだからもちろん、しっかり読み込んだりなんてしなかったけれども、読んでいて、少なからず違和感を感じた。それは多分、書き手は何処までいっても他人であって、被害者ではないからだろう。どんな優れた心理学者であろうと医者であろうと、当の本人たちとの隔たりは埋めようがない。どんなに優れた論文が発表されようと、それは多分、変わらない。章の終わりの方で、著者が、被害者からの声をもっと集めなければというようなことを書いていた。私はぱたんと本を閉じ、元の場所に戻す。被害者からの声。被害者の声。一体どれだけ集まるだろう。 私はこうやって、すでにこんな場所で表明してしまっているように、自分が性犯罪被害者でPTSDを抱えていることを、必要とあらば示してしまう。でもそれは、あくまで私がであって、私以外の被害者たちが同じことをするかといったら、殆どが否だろう。同じ被害を受けた友人たちも、表立っては口を噤んでいる人が殆どだ。親にさえ何年も何年も隠し続けている人たちもいる。それがどれだけしんどいことか、私は想像するしかできない。 ふと思う。私にできることは、ないのだろうか。こんな私だからこそできることは、ないんだろうか。 答えは、出ない。いや、それを見る勇気がないだけかもしれないけれども。
娘を寝かしつけた後、ミサンガを編む。誕生日を迎えた友に贈るため。編みながら、あちらこちらに思いを馳せる。そういえば今日母から手紙が届いた。母から手紙をもらうなんていうのは一体何年ぶりだろうか。孫にではなく私に宛てて書かれた手紙。そこには、年老いてゆく母の、長く意思疎通をとることができなかった娘への思いがつらつらと書かれていた。 本当は、数日おきにでも娘を連れて実家の年老いた父母の顔を見にゆきたいと思う。他愛ない世間話をし、孫の話をし、そんな、ごくごく当たり前な時間を、積み重ねてゆけたらいいと思う。が、現実は。私は生活の為の金を稼ぐことに必死になり、殆どの時間をそれと病院通いとに費やし、年老いた父母に割く時間など殆ど作ることができないでいる。いや、違う、作ろうと思えば作れるのかもしれないけれども、交わろうとすればするほどすれ違う父母に、これ以上私は近づくのが怖いのだ。娘を間に置いて向こうとこちらでお互いをちらちら心配する、そのくらいの距離がないと、ぶつかり合うばかりの私達。日々年老いてゆく父母相手に、そんなぶつかりあいを、もうこれ以上したくないと。私はそう思ってしまう。だから、近寄れない。下手に近寄れない。それが多分、本音だ。 でも、母よ、数日のうちには返事を書くから。直接会ってあれこれ為すことはまだ私にはできないけれど、手紙なら書ける。だから先日そうしたように、また貴女に宛てて、手紙を書くよ。今はそれで、精一杯なちっぽけな娘ゆえ、どうか許して欲しい。
夜はあっという間に更けてゆく。そしてやがて朝になる。今日が終わり、明日だった日が新しく今日になる。私は新しい今日を、必死に生きる。 |
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