2006年03月13日(月) |
咲き始めたアネモネは、あっという間に花びらを開げ、そして垂らす。ひらひらと風に揺れる柔らかな一重の花弁は、素直に重力に負けてまさしく「てろん」と。百八十度開いてしまったなと思うともうその次の日には、花びらは空に向かってではなく、地に向かって垂れ下がるのだ。そうやって百八十度以上に開き揺れる花、それでも数日は、夕方になるとまだ若い他の花たちと共に、蕾をちゃんと閉じてみせてくれる。その様を見るたび、なんて健気な花なのだろうとうっとりする。 週末、朝一番に近所の病院へ。この土地で開業してもうかなり長いこの病院の先生、こちらも笑ってしまうほど子供の扱いが巧い。たとえば予防接種で訪れると、「はいこんにちわぁ」とにかっと子供に笑いかけ、椅子に座った子供に話しかける。「ほら、見て、この針、実は予防接種の中でも一番細い針なんだよねぇ、だから今日はちょちょっとやって終わっちゃうよ、はい見ててぇぇ(言うと同時に子供の腕にぷすっと針をさす先生、あっと思っている間にぴゅぴゅっと注射を終わらせてしまう。あまりの早業に、子供はうんともすんとも言わない)、ほおら、もう終わっちゃった、痛くなかったでしょ? じゃぁねぇ、あそこの箱の中のボール二つ持って帰っていいよ」。注射を打たれた直後だというのに、嬉々として箱に飛んでゆく娘、一生懸命二つを選び、先生にへへっと見せる。「いいよー、持って帰って。あ、じゃぁこれもあげよう、ほら」。と、先生が次に出すのはシール。この、スーパーボールとシールは子供らにとって、診察室での出来事を全部意識の外へ飛ばしてしまう魔法らしい。病院嫌いなんて言葉はだから、この近所の子供たちの間にはないんだろう。待合室で居合わせる子供たちの顔は、みんな、今日は何色のボールもらえるのかなぁとうきうきしている。もちろんうちの娘も、その一人だ。 だからこの朝も、あの先生の病院に行くんだよと私が告げると、娘は転がるように走り出し、やったぁと喜んでいた。私より先に病院に駆け込み、看護婦さんたちににこにこ挨拶して回っている。私はというと、ふらつく足元を何とか立たせながら診察券を出すといった具合。 長くその土地に根付いて営んでいる医者の存在というのは心強いものだ。その時期その時期、訪れる多くの患者の傾向を捉え、一人ひとりに的確なアドバイスをくれる。今回先生から告げられた病名に私は最初びっくりしたけれども、大きな総合病院では首を傾げられてばかりで不安を感じていた私には、或る意味とても心強かった。でも。こんなにも具合が悪くなるとは。私がそう愚痴ると、時間をさいて世話をしに来てくれた幼馴染も、「今までの無理のツケがここぞとばかりに全部出てるんじゃないの」と苦笑する。確かに。言われてみると、身体も心もここ数年、きりきりまいしてきたような気がしないでもない。でも。 それが片親家庭の厳しさなんだよといわれれば、はい、まさしく、としか返答しようがない。そして、まだ母子家庭を数年しか経験していない私なんて、世の母子家庭父子家庭の方々からみればまだまだひよっ子。苦労の程度だって、きっとまだまだたいしたことはない。とりあえず、この体調が回復したら、私みたいな奴は体力づくりをするのが先決なのかもしれない、と、思ってみたりする。
今夜もまた、娘が絵本を読んでくれる。ふと聞いてみる。ねぇ、この本とか新しく読んでみるってどう? だってねぇママ、それは漢字があるんだよ。え?ほんと? ほんとだよ、ほら、見て。あら、ほんとに漢字があった。だからね、まだ読めないの。そうかぁ、そうだよね、漢字があっちゃ読めないね。だからこっちの本。はい、了解。 娘に言われて、自分が見落としていたものに改めて気づく。娘にと絵本を買うとき、その場で一通り目を通し、話の内容はもちろんだけれどもそれ以外に、カタカナの分量や漢字が使われていないか、もし使われていても仮名がちゃんとふられているか、などをチェックしていたはずだった。が、あまりに慣れ親しんだやさしい漢字たちを、私はこうして幾つか見落としていたわけだ。あらまぁ、と反省しつつ、でも、小学校で漢字をいずれ覚えるのだから、じゃぁこの絵本たちはそのときの楽しみにとっておこう、と思い直す。 そんな私の傍らで、彼女は大きな声で、なかなか雰囲気を出しながら読んでくれる。三匹のヤギが怪物のいる橋を渡ってゆくシーンでは、ヤギごとに声色を変えたり、クレリアという芋虫の物語では、独特な節回しを披露してくれたり。おお、やってくれるじゃない、と思いながら耳を傾けつつ、でも何処かで覚えがあるような、と首を傾げ、気づいた。あぁ、私が何回も読んで聞かせた、そのときの口調そっくりなんだ。 なるほどなぁと思う。物語は口承なんだなと、改めて実感しながら、動き続ける彼女の唇を眺める。ちょっと嬉しくて、でも同時にちょっと恥ずかしいような。そして、学生時代の一時期所属していた演劇部でのことを懐かしく思い出す。今こうやって私を真似て物語を読んでくれる娘は、将来、演劇部に所属することはあるんだろうか、なんて想像しながら。
それにしても。体調を崩すといつも味わうのは、人がいてくれることのありがたみだ。この週末も、友人たちがそれぞれに、食事を作ってくれたり娘の遊び相手をしてくれたり、はては私の凝り固まった身体を一時間以上もかけて揉み解してくれたり。私は、親との関係には恵まれず、そこでの愛情にはさんざ飢えてきたけれども、でも、その穴ぼこを埋めても余りあるほど、友人たちからの愛情を頂いている。こんな幸せなことは他にはないと、心底思う。だから、こうやって助けてもらう時、いつも思うのだ。彼らに何かあったときには、何をおいても飛んでゆく、彼らが話をしてくれるその話には、いつだって耳をそばだてていよう、と。
今、真夜中を過ぎた部屋の中には、小さな娘の寝息が木霊している。 なぁ娘よ、学校に行ったら、友達を作れよ。別に勉強なんてある程度できりゃいい、生活が苦でない程度にできればいい、その代わり、友達を作れ。絡み合ってぶつかって、別れを経ることももちろんあるだろう、それは痛いけれど、そういった痛みも経て、痛いからこそ大切にしたいモノは自分にとって何であるのか、失っても切られても、持ち続ける人との緒がどれほど尊いものであるか、その身体でその心で、しかと味わって欲しい。情けなく頼りない母である私だけれども、その私が唯一あなたに誇れるものがあるとしたら、間違いなく、この、今私を囲んでいる人たちとの緒だ。私はそれらを誇張なくそして隠し立てもせず、これからも折々に君に見せてゆくから。だから、君はそれらから、できるなら感じて欲しい。そして、君は君の、大切な人との緒を、育んでいって欲しい。私はそのことを、君を孕みこの世に送り出して以来そのことを、じっと、まっすぐに、願っている。 |
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