見つめる日々

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2006年04月20日(木) 
 そろそろいい加減に春まきの種をまかなくてはと、気持ちだけはあるのだけれども、一日一日を乗り越えるので正直精一杯なこの頃。
 毎日学校からは連絡帳が、学童からもこれまた連絡帳が。そしてその二冊にそれぞれ、親宛のプリントが数枚はさまれており、これをしっかり読んでおかないと、娘に迷惑がかかってしまう。だから活字を凝視し、必死に文章を読解しようとするのだけれども、なかなかできない。じきに目が疲れて気持ちも疲れて、プリントをそっとテーブルの上に置く。少し時間を置いたら、今度はちゃんと読めるかもしれないと思って。
 時期を遅らせて植えた白と赤のグラデーションのアネモネが、可憐な花びらを微風に揺らしている。全体が白で、花芯が赤。少し寂しげな色合いだけれども、先日からそのアネモネの周りに花韮が花をつけ始めた。薄い薄い青地に濃い青の線が入ったものだ。涼しげなそんな色合いのせいか、特にこの二つのプランターは、優しくて儚げで、それでいて真っ直ぐな微風を呼んでくれる。
 花が生活の中にある、というのは、どれほど人の心をやわらげるものなのか、痛感する。うどん粉病におかされながらもしっかりした蕾を二、三個つけだした白薔薇の樹。オレンジやら黄色やら赤やら、私だけの庭だったなら在り得ない色が、娘のおかげで今年はベランダの一部を飾っている。こうやって見てみると、こんな明るい色もいいものだな、と思う。
 学校と学童という新しい生活が始まったせいなのか、寝る時間になると娘が甘えてくる。ママァ、こっち来てー、足あっためてー。彼女の隣に横になり彼女の足を太ももではさんでやると、どう比べても娘の足の方があったかいのに、彼女は頑として違うという。「ママの足の方があったかいの、あったかくないと寝れないの!」。
 母子家庭をやっていて、毎日のように反省するのが、娘の話を充分に聞いてやれないことだ。学校でどんなことあったの? 誰か新しいお友達できた? 学童と学校とどっちが楽しい? へぇ学童では毎日公園に遊びに行くのか、いいねぇ、よかったねぇ。話せる時間も私の精神的余裕も正直限界で、こんな簡単な問いさえできないことが多くなってしまう。私から、問えないということは彼女が私に話したいことがあってもなかなか話せない、ということでもある。そのためにも、早くこの状況から抜け出したい。心底そう思う。
 似通った体験を経てPTSDを背負ってる友人たちと食事をする折、時々聞いてみる。食後の薬飲んだ? え?私朝と夜だけなんだよ。あ、そうなのか…。私はもうあの事件から十年以上たつのに、いまだに朝も昼も夜も寝る前も、二、三粒以上の薬を常に飲んでいる。他に頓服もあるから、一体どのくらいの量を一日に飲んでいるんだろう。ここで一番最初に肝臓やられて倒れるのは私かしらん?なんて、馬鹿げた想像をし、小さく苦笑する。そう、笑ってでもいないとやってられない。薬の量を比べるなんてくだらなすぎる。その人その人にあった薬を医者が処方しているだけの話なのだから。そして、可能な限り私は生き延びて、自分の死を全うすることが、私の一つの、もしかしたら第一の目標なのだから。

「…精神的な支えをなくし、とくに将来を支えにすることができなくなって心理的に落ち込むと、身体的にも衰えてしまう…。…そうした心の治療について第一に重要なのは、いうまでもなく、精神的な支え(ハルト)を与えること、生きていることに内容(インハルト)につまり意味を与ることでした。ニーチェの言葉を思い出すと、かつて彼は「生きることに内容、つまり理由がある人は、ほとんどどのような状況にも耐えることができる」といいました。
 …つまり、そうした心の治療は、生き延びようという意志を奮い起こしてほしい人に、そもそもとにかくまず、生き延びることが義務であり、生き延びることに意味があることを示すように努めなければならなかったのです。…
 「ところで、…生きることそれ自体に意味があるだけでなく、苦悩することにも意味、しかも絶対の意味があります。
 ・・・そういうわけで、生きる意味に加えて、苦悩する、無駄に苦悩する意味を、いいえ、それ以上に、死ぬ意味をも示さなければならなかった…。「死を自分のものにすること」が大切だというリルケのことばにあるような意味だけでしょう。私たちにとって大切ったといういうリルケのことばにあるような意味死を自分のものにする」が大切だったのです。
 私たちは、この死ぬという課題に対して、生きるという課題に対してと同じように責任があるのです。…この究極的な問題は、最終的にはひとりひとりが自分で決定しなければならないのではないでしょうか。
 …この点について私がいいたいのは、人間の苦悩は比べられないものだということです。ほんとうに苦悩するとき、人間の心は、苦悩でいっぱいになてしまいます。苦悩で完全に占めつくされてしまいます。
 …戦闘の中では無に直面します。死がせまってくるのを直視しなければなりません。それに対して、収容所の中では自分が無になってしまっていたのです。生きながら死んでいたのです。私たちはなにものでもなかったのです。私たちはたんに無を見たのではなく、無だったのです。…私たちの死には光輪はありませんでしたが、虚構もありませんでした。…
 …なんといっても、人間の苦悩は比較できないのです。…苦悩がその人の苦悩であることが、苦悩の本質に属しているからなのです。…つまりその人次第で決まるものなのです。ひとりひとりの人間が唯一で一回的な存在であるのと同じように、ひとりひとりの人間の孤独な苦悩も唯一で一回的なものなのです。
(V.E.フランクル)





 えらそうなことを言うようだが、私自身の苦悩というもの、死というものに対しては、私は私なりにそれなりの覚悟もあるし、おのずと受け容れてもいる。いつの頃からか死は私の身近にたくさんころがっていたし、自分の苦悩は今でこそ友人たちに時折吐露するが、二十代になるまで、自分から吐露することもなかった。自分の中にしか私に心底納得できる答えはないと、私は思っていた。
 じゃぁ何が今私にとって問題なのかと言えば、消滅したい、というマグマがどくどくと、私の内奥から音を立てて暴れ始めていることだ。
 それは比較的、他人に、周囲の人々にどうしようもないような迷惑をかけることは少ない。その代償を私が何処で払ってるかといえば、多分、何処までも何処までも、自分を責め続ける、或いは苛め続ける、そうした行為で、だ。
 でもそれでは何もうまれない。だから、今だけ吐露してしまおう。認めてしまおう。
 ここでなら赦されるだろうか。ほんの少しだけ。
 私は疲れてる。どうしようもなく疲れてる。死にたいなんてものなどとうの昔にとおりこして。
 家事も掃除もだんだんこなせなくなってきて、娘を入浴させるのさえしんどくなってきて。
 昨夜、何度も、親しい友人にSOSを出しかけた。でも、娘に確かめると今日は火曜日。私の友達たちはみんな総じて毎日を懸命に生きてる。だから、彼女たちの電話番号を見つめながら、こんなんでまだSOSなんて早すぎる、大丈夫、何とかなる。
 脳味噌が覚醒して眠れなくて、だから遣り残している仕事をやっているうちに、床にころんと転がったようで、朝起きたら、机のすぐそばに転がっていた。そうだ、この程度ならまだやれる。医者に入院を勧められても、今娘は新しい生活に入ったばかり。入院をもし現実にするとしても、夏過ぎ。
 だったら、夏までに何とかしてやる。父親もいないくて母もいないなんてそんな状況、作らない。絶対自分で自分と折り合いをつける。
 さぁ今日も仕事だ。踏ん張って出掛けよう。


遠藤みちる HOMEMAIL

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