2009年09月01日(火) |
美しく晴れ渡る空。白く輝く海。この街のこんな景色が私はとても好きだ。荒れ狂う海ももちろん好きだけれども、でもやっぱりそれは、こうした美しい漣があるからこそ、なのだと思う。 銀杏の緑は昨日の台風の名残を残し、雨の雫をたたえながら私を迎える。一本一本、それぞれに緑が違う。微妙に違う。その違いに手を伸ばしながら、そっと葉を撫ぜる。
昨日丁度娘が出掛けるときが一番天気が悪かったのかもしれない。道を渡り始めた娘の傘が、ぱかっとひっくり返る。振り返った娘は笑い、私も笑い、二人して雨を忘れて笑い合う。「もうママは部屋に戻っていいよ」と娘が手で合図する。ちょっと気になりながら、じゃぁと部屋に戻り、そして私は今度はベランダから彼女を見守る。彼女は気づいていない。バス停で、鼻歌を歌っているのだろう、身体を小さく左右に揺らしながらバスを待つ娘。今日まで夏休み価格の50円でバスに乗れる。明日からはまた110円。
娘を送り出し、明日はゴミの日だということで掃除を始め、あっという間に夕暮れになる。ふと天井を見上げるとそこには、娘が昔くれた手紙が何枚か貼り付けてある。「ママだいすき」「ママありがとう」いろいろ書いてある。言葉と一緒にかわいらしい女の子の絵も。ここを引っ越すまでずっと貼り付けておくだろうその絵たち。時々こうして眺め、彼女のその頃を思い出す私。いいものだな、と思う。手書きの手紙はいつまでもこうして心に残る。
昨日はカウンセリングで、思っていることをでき得るかぎり吐き出した。こんな吐き出すのはどのくらいぶりだろう、もしかしたら初めてなんじゃないかと思うほどに私は吐き出した。 そのせいだろうか、後になって酷く疲れ、倒れるんじゃないかと思うほどふらふらした。誰かへの毒を吐くという行為は、それだけエネルギーを使うということか。
そして今日。母に電話をする。調子はどう?と聞くと、それはこちらの台詞よ、と強気な言葉が返される。あぁいつもの母だ、と心の中苦笑する。最後のインターフェロン治療を先週終えて、今月からは毎月一度、検査を受ける。そして半年後、結果が分かる。 とはいっても、彼女の肝硬変が進行していることには間違いはなく、「まぁ適当につきあっていくわよ」と彼女は言う。肝硬変という病気がもたらすものを今直視する勇気は私にはまだなく、だから彼女の言葉にそうだねとうなずくだけしかできない。
薔薇は台風の被害を思ったよりも受けなかった。しかし。玄関側のアメリカン・ブルーは、ぐしゃぐしゃになってしまった。風雨を思い切り受けて、枝葉がすっかり絡まってしまった。それを一本一本ほぐしてゆく。折れてしまったものもあり、名残惜しい気持ちを押しながら、それを手折る。するとふわり、ラベンダーのいい香りが漂ってくる。あぁそうか、アメリカン・ブルーの枝葉に隠れて、ラベンダーは傷ひとつつかなかったのだ、と気づく。こんな共存の仕方もあるのだな、と、妙なところに私は感心してしまう。
昨夜遅く届いた原稿を開き、ゆっくり読み始める。読み進めるごとに、私の目は熱くなり、口元はきっと引き締まる。あぁ、そうだ、彼女はそうやって今、再生の道を歩き始めている。そのことが、ありありと感じられた。ありがとう、ありがとう、ありがとう。これを書くのにどのくらいの時間がかかったろう、それでも彼女は書き上げてくれた。そのことに私は深く深く感謝する。 さぁこれで、「あの場所から」の今年の原稿は全部きれいにそろった。あとは私が為すことのみ。やれることを全力でやり遂げるのみ。
ひとつ越えればまたひとつ、目の前に現れる何か。でもそれを、えっちらおっちら言いながらも私は越えてゆくのだろう。越えられないなら大きく迂回して、向こう側へ進んでゆこうとするだろう。そうやって、前へ前へ、進み続けてゆくのだろう。
久しぶりにやってきた港は雨粒をあちこちに輝かせて発光している。きらきら、きららきらら。目を閉じたくなるほどそれはまぶしくて。 私はそれが嬉しくて、顔を空に向ける。
疲れ果て倒れそうになった昨日はもう過ぎた。今日は今日、また新しい一日が始まる。 |
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