見つめる日々

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2009年09月02日(水) 
ひんやりした空気で目が覚めた。肌に纏わりつく空気が少し湿っぽく、そしてやけに冷たい。久しぶりに娘も布団をかけて眠っている。開けっ放しの窓から空を見上げると、一面灰色。
昨日のうちに握って凍らせておいた梅味のおにぎりを解凍し、皿に乗せておく。うちの朝ごはんはいつもおにぎりだ。パン食からおにぎりに変えたのはいつの頃だったろう。太ももが太いと娘が嘆き始めた前後だったんじゃなかったかと思う。私も娘もパンが大好きでパン焼き器も持っているほどなのだが、そんなに太い太いと嘆くなら少しでも、と、米に変えた。ついでにせっかくだからと十八穀米で作ることもしてみている。栄養がどう変わったのかよく分からないが、歯ごたえは確かにあって、よく噛むようになった。

朝の一仕事がいつもより早く終わったのでベランダへ。強い風で絡まりあった薔薇の枝葉をひとつずつ解いてゆく。棘に葉が刺さって絡まり合うのだ。だから、そっとそっと解いてゆく。
マリリン・モンローとホワイト・クリスマスが新芽をまた出している。新芽の緑はどうしてこうも柔らかい色なのだろう。感触はもちろんだが、その色味が実にみずみずしく、鮮やかだ。赤子の肌と同じだ。滑らかでいとおしい。
二つ咲いたパスカリは、この灰色の空の下でも真っ白なその花びらをくっきり開かせている。もちろん薔薇は、アメリカン・ブルーのように咲いたり閉じたりはしない花だ。だから一度咲いたらあとは開き落ちるだけ。だからこそなのかもしれない、その輪郭は実に潔い。緩むところひとつ知らず、張り詰めたピアノ線のように細く凛としている。私はこの潔さがたまらなく好きなのだ。人の命の糸と似ていると思う。

そういえば昨日はどんな一日だったのだろう。うまく思い出せない。曜日は火曜日。そうだ、確か小学校で防災訓練があったのだった。親が迎えに行かなくてはならず、私は迎えに出掛けたのだった。帰宅後、復習を終えてから、そうだ、娘のリクエストで映画を見に行ったのだった。娘のリクエストはナルトか 20世紀少年。なんともまぁ私の好みとはかけ離れている…と思いつつ、結局20世紀少年を見た。彼女は、気に入ったシーンが何箇所かあったらしい。見終えた後、しばらくテーマ曲を鼻歌で歌っていた。
時々、記憶が曖昧になる。たった一日二日のことでも思い出せなくなる。それが普通なのだろうか? よく分からない。私は記憶が曖昧になりすぎるととても不安になって、そういう時、日記を引っ張り出す。今もそうだった。日記を引っ張り出し、それを辿り、ようやく納得する。そんな日だったのか、と。以前は違った。忘れることができなくて、曖昧にさせることもできなくて、それが重かった、苦しかった。いつの頃からだろう、こうやって記憶が曖昧になることが多くなってきたのは。覚えていない。覚えていないが、記憶が曖昧になるようになった分、少し、背負う荷物が減った気がする。曖昧さから来る不安はあるけれども、それでも、荷物は減った、そんな気がする。

元夫が、かつて言っていた。おまえは忘れられないから、忘れることができないから苦しくなるんだ、忘れられないから保留にすることも放っておくこともできない、だから苦しくなる。辛くなる。しんどくなる。
言われたときは、それがどうした、忘れられないんだから仕方がないじゃないか、と思った。というより、忘れるということが分からなくて、戸惑った。でも今なら。少し分かる気がする。そして、人間を作った誰かが、人間に、忘れるという術を授けた理由も、今なら少し、分かる気がする。
できるなら、忘れることと忘れないこととを自分で選別できたらいいのになぁなんて、思ったりするが、それはできないらしい。じゃぁせめて、自分の中に刻み込んで、自然に薄れていくものはそのままに、残るものは残るものとして、自分なりにその都度受け止めて受け入れていくことができたら、いい。

おにぎりを食べ終えた娘と一緒に、今日は何を聴こうか、とネットに向かう。私が久しぶりにシカゴの素直になれなくてを聴きたくてそれを流し始めると、「これ、海猿の歌に似てない?」と娘が言う。ちょっとがっくり来ながら、「この曲、ママが小さい頃にすでにあった歌だよ」と言うと、ええー、でも似てるよぉ、とまだ娘はこだわっている。そんなに似てるのかしら、思い出せないんだけれどもその海猿って方を、と心の中で思いながら、音について少し思い巡らす。たった十数音の音色の中で、千差万別のメロディが奏でられる。けれどそこに言葉も付されれば、自然、似通ってくる。言葉の音色とでもいうのだろうか。それでも、心に残る音色、消えてゆく音色、それぞれあって。久しぶりに一曲作ってみようか、なんて気持ちになった。

ねぇママ、Sちゃんがね、みうのママは離婚してまた再婚して、でも苗字変えてないんだよ、ってクラスのみんなに言ってるんだよ。なんだ、それ? わけわかんない。でもそう言ってるの。変だと思わない? 変だねぇ、それは。わはははは。ママが再婚かぁ、一体いつになることやら。まずはそういう相手がいなくちゃ無理だよね。ってか、離婚して再婚して苗字変えないって、それで家にお父さんいないって、それ、何? わかんないけどさー。みうも放っておいてるけど、なんかヤな感じ。そっかぁ、まぁ、放っておくしかないねぇ、そういうのは。好きに言わせておけば?
それにしても、Sちゃんは一体どこからそんなこと思いついたんだろう。不思議だ。私は構わないが、しかし。娘は?
年頃の娘にとって、こういう噂を立てられるというのはどうなんだろう? しんどいだろうか。つらいだろうか。私には想像がつかない。笑って流せよ、と言いたいが、今の子供たちの心情というものが、大人数になったときの噂の効力というものが、今ひとつ私には分からない。だから、娘になんとアドバイスしていいのか分からない。
だから心の中、娘の背中に向かって言ってみる。
娘よ、大丈夫だ、どんな噂が立とうとそんなもの放っておけ。真実はここに在る。それをこそ見て歩いて行ってくれ。

いつのまにか小雨だけれども雨が降り出している。とても弱い雨。降ったり止んだり。銀杏並木沿いに自転車を走らせながら、私は一瞬顔を空に向ける。
迷うくらいなら、とりあえず進め。進んでぶつかって痛かったなら、また術を探せ。乗越えるのもいい、避けるのもいい、それはそのとき決めればいいこと。

咲き遅れた朝顔が、道端で小さく小さく咲いている。その紫がかった澄んだ青が私の目を射る。
きっと今日の海は濃灰緑色だろう。私は自転車を漕ぐ足に、えいっと力を入れる。海はもう目の前だ。


遠藤みちる HOMEMAIL

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