見つめる日々

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2009年09月03日(木) 
窓を半分だけ開けておくだけでも、十分眠れるほど涼しくなった。薄曇の今朝。私はちょっと寝坊する。ふと気づいたときにはもう五時半。飛び起きて顔を洗う。ついこの間までのぬるい水ではなく、冷たい気持ちいい温度の水でばしゃばしゃとやるとようやく目が覚める。そういえばいつの間にか朝蝉の声がしなくなった。蝉の声でなく、今は雀の囀る声が響いて来る。季節というのは不思議なものだ。
髪を梳かすのも忙しなく、でも、口紅を最後ひくときだけは何故か違う。ただ一本紅を引くだけのことなのに。そうして鏡の中自分の顔を確かめ、今日も仕事にとりかかる。

仕事中、ふと左手を見るとエア・メールがある。昨日届いたものだ。エア・メール。一体誰からだろうと名前を見て驚いた。大学時代の友人からだった。確かに親しかった。けれど、今の私の住所を知っているのは何故なんだろう?
手紙を読んで、その謎が解けた。彼の奥さんが私のネットショップでお買い物をしてくださったのだ。「妻が見慣れないものをつけているからそれどうしたのと聞いたら、ここで買い物をしたと教えてくれた」。それで私の住所が知れたのだ。「いまだに昔の名前で出ているとは、実に君らしい」。その一文を読んで笑ってしまった。確かに私らしいのかもしれない。高校時代、大学時代と何故か私は周囲から、「君は恋人がいようと子供がいようと、にのみやさをりなんだろうな」と言われ続けていた。その当時を知る彼から見たら、今の私は実に私らしいのだろう。「娘さんがいるんだね。きっと君に似てすごくおしゃまでおてんばさんなんだろうね」。あら、おしゃまってどういう意味だっけ、と私は慌てる。雰囲気はよく分かるのだけれども、私と娘を比べて、おしゃまという言葉がどちらに似合うのかといえば、きっと娘の方だろう。そしておてんばは、間違いなく私の方だ。もっと言うとじゃじゃ馬なのかもしれない。「一度くらいクラス会にも出てください。みんなで飲みましょう」。
約二十年ぶりになる友人からの手紙は、そんな一文で終わっていた。みんなで飲みましょう、か。そういう年齢なのかもしれない。でも、その二十何年の間にあまりにいろいろなことがあって、私はまだ、その当時の人たちに会う気持ちがしない。そう、あまりにいろいろなことがあった。ありすぎた。ありすぎて、私はまだ、そこを越えていない。
きっと再会することがあるとしても、六十くらいになってかな、と、ひとり部屋で手紙に向かって呟いてみる。

そんな昨日は、午後からぐっと気持ちが落ちてしまった。何とか気分を変えようと、写真をめくってみたり、この秋からの展覧会の準備作業をちまちまやってみたり、音楽を変えてみたりとしてみるのだが、一向に気持ちは落ちたまま。落ちたままというより、どんどんどんどん落ちてゆく。まるで底なし沼にはまったかのよう。海でもプールでも溺れたことがない自分なのに、何故か脳裏に、溺れ沈んでゆく自分の姿が浮かぶ。
本でも読んでみようかと読みかけだった本を手に取る。しかし全く活字が入ってこない。しばらく前からそうなのだ、活字が読めない。文字が形としては捉えられても、意味としてつながらないのだ。いつまでもいつまでも一箇所でとどまってしまう。そして気づけば、開いた本の姿をぼんやり眺めているだけになってしまう。それで落ち着くならまだしも、そういう自分に私は苛々してしまう。悪循環の始まりだ。
偶然コンタクトの取れた友が、久しぶりにそういう状態に陥ったから余計に落ちているように感じるのではないかしら、と言う。そうなのかもしれない、と思いつつ、定期的に落ちるこの泥沼、どうしたらいいのだろうと途方に暮れる。でも、これも何かのきっかけなのかもしれない、友に、明日になれば元気になるね、ありがとう、と手を振る。
気づけば身体まで、重たくだるく感じられるようになってしまう。あぁもうこれはいけない、と、私は諦めることにする。諦めると、ちょっと楽になる。そして、塾から帰宅した娘に謝り、今日はご飯作れそうにない、おにぎりで赦して、と頭を下げる。

娘と一緒に横になり、いつものくすぐりとじゃれあいを為し、眠りに入る。真夜中一人いつものように起き、しばらく夜空を眺める。「月の絵を描かなくちゃいけないのに月が出ないよ」と愚痴っていた娘の言葉を裏切り、今頃になって月が出ている。うすぼやけた雲の向こう、白い白い月。そういえば子供の頃もこうやって、真夜中、起き出しては、夜空を見上げていたのだったっけ。そんなことを思い出しながら、私はしばらくの間煙草をくゆらす。

そうして今朝。
そう、具合が悪かろうとどんなに気持ちが落ち込んでいようと、朝は来るのだ。夜を越えれば朝が来る。永遠に思えるような夜でも何でも必ず明けて朝が来る。

朝の一仕事を終えると、ハムスターを覗き込む娘の背中が見える。ほらほら、こっちに来て、ママ。そう呼ばれて近づくと、ミルクが回し車を器用に回して走っている姿。ココアはまだできないんだよね、ミルクだけ。娘が嬉しそうに言う。そのココアという声を聴いたのか、ココアが巣からひくひくと鼻を出す。そして、きょろきょろ周りを見回して、ぽてっとしたお尻を振りながら餌場へ。好物のひまわりの種を器用に食べる。どんどん太っていくね、もうまん丸だよ、と娘が笑う。ほんと、でぶちんだね、と私も笑う。

そう、ちょっとでも笑えれば、笑うことを思い出せれば、気持ちも変わるというもの。
今日もまた、新しく始まった朝。せっかくやってきた朝なのだから、私も見えない靄を掻き分けてとりあえず駆け出してみる。なんとかなるさ、そう、なんとかするさ。鼻歌でも歌いながら、まずはあの、海まで。


遠藤みちる HOMEMAIL

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