2009年09月06日(日) |
目が覚めたのはいつも起きている五時少し前。習慣とは恐ろしいものだ。今日はもう少し寝ていてもよかったのに、と思いつつ寝床から立ち上がる。時間がいつもより余分にあるのだからとシャワーを浴びることにする。泊った部屋は決して広い部屋ではないけれども、風呂場に小窓が幾つかついていてくれるのがありがたい。窓を開け放ち、外の空気を吸いながらお湯を浴びる。本当は頭から浴びてしまいたい気持なのだが、長い髪を乾かすのは面倒だ、顔だけじゃばじゃば洗って我慢する。 そういえば昨日の真夜中、お湯を浴びた時、外から虫の声がりんりんと響き渡っていた。この町はもうすっかり秋の装いなのだなとその音にしばし耳を傾ける。一年ぶりに聴くその声は、懐かしくやわらかく鼓膜に響く。
幾つかの美術館をかけめぐる一日。絵本美術館でやっているとある画家の個展や、現代美術の展覧会、そして最後、常設展示の、けれど若いカップルに人気があるという美術館へ。途中から足が棒のようになってくる。普段自転車で長距離を走り馴れているはずなのに、どうも靴で走るのは勝手が違う。自転車のように自由がきかないし、時間も足りない。焦りながら次々回る。 まだ思春期の頃好きだった画家がこんな場所でこんな展覧会を開いていたのか。小さな感動を覚えつつ薄暗い会場を順々に回る。原画の持つ力強さがひしひしと伝わってくる。女性が多いかと思いきや、意外と男性の姿が見られる。あぁそうか、最近の彼女の作品はこうした装丁にも使われることが多いからなのだな、と、展示を見て改めて彼女の作品の魅力を知る。 正直に告白すると私は現代美術を観賞するのが苦手だ。一体どこからとりかかったらいいのか何をきっかけにして絵をほどいていったらいいのかが自分にはよくわからないからだ。この広い展示場の中、さて、私は何からとっかかったらいいのだろう。少し途方に暮れながら回っていると、突然会場のある場所から奇妙な音が。驚いて駆け寄ると、鉄くずのアート。あれ、この人を私はどこかで見知っている。そう思い改めて名前を見て気づいた。あぁニキ・ド・サンファルのご主人だった。そこから急に、作品たちと私との距離が縮まる。とはいっても、ある程度縮まったというだけで、絵が目の前に現れてくれるわけではない。この作品を私はどう受け止めたらいいのだろう、どう感じたらいいのだろうと途方に暮れること百篇。結局、頭を抱えたままでの退場になる。 広い公園の端に位置するその小さな建物の中、没後10年を記念しての原画展。所狭しと並ぶ原画に、たくさんの若い人が見入っている。小さい子供が嬉しそうな顔をして絵を見上げていたりもする。そんなふうに人の心をほっこりさせる絵なのだ、この絵たちは。それを肌で実感しつつ会場を回る。そういえば外の風景と絵の雰囲気とがまるで重なり合うかのようにマッチしている。この建物をわざわざ呼び込んだ意味はここにあるのだろうかと感じながら、建物を後にする。 手許には幾つものメモ。それを大切に、私はかばんの奥底にしまう。
あっという間に日は落ちる。娘に電話をかけると、待ってましたとばかりにいきなりなぞなぞを出される。ばらばらこなごなになる花はなんだ?! 何それ、わからない。わからなきゃだめだよ。そう言われたって。薔薇ですか? ふーん。だめ。何でしょう? だめ、教えない。なにそれー、答えがないの? 答えはあるけどあたらなきゃ教えない。…。 ひとしきり娘と電話をした後、ふと、家に置いてきたミルクとココアや挿し木のことを思い出す。大丈夫だろうか、枯れていやしないだろうか、ばてていやしないだろうか。いくら心配してもどうにもできないのだけれど、それでも気になる。あぁこんなとき、娘と電話がつながるように、動物たちとも言葉が交わせたらいいのに。植物たちとも言葉が交わせたらいいのに。そんなことを思う。
そうして気づけば真夜中。いつの間にか寝入ってしまっていたようで。窓を開けると、雲の向こうに月の姿。耳を澄ませばそう、虫たちの声。
そうして急いで急いで家に辿り着き、まずミルクとココアに駆け寄る。昼寝を邪魔するな、という顔で、面倒くさそうに家から顔を出すミルクを見、一安心する私。次に挿し木だ。あぁ、アメリカン・ブルーは無理そうだ。残念。薔薇は? もしかしたら、もしかしたらかも。急いで水をやる。間に合ってくれますように。どうだろう。はてさて。
もう少しすれば娘も帰ってくる。今日はプールに行ってから戻ると言っていた。風呂の用意、ご飯の用意、次々やることが浮かんでくる。しかし。 今は一服。とりあえず一服。お願い、一杯のお茶くらい飲む時間は許してちょうだい、と、娘の笑顔を思い浮かべながら呟く。あぁ生活と云うのはなんて忙しいものなんだろう。私はその忙しさに、しょっちゅう躓く。情けないと思いつつ、それでも転ぶ。 そういえば明日は病院だ。医者の診察を受けなければならない。いきなり思い出されたそのことに少し憂鬱になる。病院に行くのが助けではなく憂鬱になるというのはどうしたものかと苦笑しつつ、今は仕方がないと声を呑む。ちゃんと向き合って話をしたうえで、それでもだめならそのとき次を考えよう。 そうしているうちに、あっという間に煙草は短くなる。さて、とりあえず用意だけはしておかなければ。仕事で留守にしたときくらい、ちゃんと娘を迎えたい。 西に傾いた太陽が、長い陽光を部屋に注ぎ込ませている。そう、明るいうちに。今のうちに。私は煙草の火を消して、立ち上がる。 |
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