2009年09月10日(木) |
涼やかな風がカーテンをそっと揺らしている。私はベランダに出て髪の毛を梳く。午前四時半。今日も目が覚めた。空はまだ雲に覆われ薄暗い。 薔薇の樹をぼんやり見やる。新たな新芽が幾つか。薔薇の新芽は赤子に似ている。生まれたばかりのときは縁が赤く赤く染まっているからだ。それが時間が経つにつれ徐々に緑色に変わってゆく。薔薇の芽も、生まれる瞬間、泣いているのだろうか。ふとそんなことを思う。声無き声。決して人には聞くことのかなわない声で。
昨夜はいつもより遅くまで起きて仕事をしていた。そのせいか、顔が腫れぼったい。私はいつもより勢いよく、ばしゃばしゃと顔を洗う。それなりの音を立てていたはずなのに、娘はぐうかぁ布団に包まって眠っている。 昨日から気になっていること。それは、大きな金魚のことだ。金魚鉢の前にかがみこみ、じっと中を見つめる。大きな金魚の動きがどうも気になる。いつものようにすいすい泳ごうとせず、ただひたすらじっとひとところに居る。口やえらが小さな金魚より激しくぱくぱく動く。 娘が、一言、寿命なのかな、と言っていた。もしかしたらそうなのかもしれない。一体この金魚は何年生きただろう。もうはっきり覚えていない。三、四年は間違いなく生きている。それ以上が思い出せないけれども。 ねぇ、大丈夫? 私は金魚に話しかける。私は大きな金魚に話しかけたのに、小さな金魚だけが寄ってくる。奥ではぁはぁしながらじっとしている大きな金魚。覚悟しておくべきなのだろうか。突然の死は哀しすぎる。辛すぎる。私は準備しておくべきなのだろうか。この子の死を。 実感がまだ、わかない。
後ろ髪を引かれながら、私は朝の一仕事にとりかかる。その間も風がカーテンを何度も揺らす。表通りを行き交う車の音が私の鼓膜を震わせる。
昨日会った友人が、共依存のことを気にしていた。人との距離感はこれで大丈夫だろうかというようなことも言っていたっけ。 共依存については、私にも苦い思い出が幾つか在る。その時は分からなかった。夢中だった。相手の求めることに応えること、相手の望みを一つでも多く叶えることに夢中だった。自分の足元がおぼつかなくなっているときでも構わず、その相手に応じた。そして結果は、共倒れなのだ。いつだって。 そういう苦い思いを幾つかしてみて、ようやく気がついた。それが共依存だということ。相手の為に、なんてことは結局、相手の為になどひとつもなっていなくて、むしろ相手の自律を妨げることにしかならないということも。 自分の癖のようになった代物を変えることは容易ではなかった。が、しかし、運のいいことに私には娘がいた。娘との生活を何より守るためには、自分がしっかり立っていなければならないということがあった。そのおかげで、私はなんとか方向転換できた。 そうして今の、私が在る。
目をこすりながら起きてきた娘もまた、金魚鉢の前に座っている。ねぇママ、やっぱりおかしいよね、この金魚。そうだね、おかしいね。寿命なのかな、死んじゃうのかな。娘は昨日と同じ言葉を繰り返す。そうかもしれないね。寿命なのかどうかは分からないけれども。私は返事をする。 今も水草の陰、口をぱくぱくさせながら、じっとしている大きな金魚。その周りを忙しげに泳ぎ回る小さい金魚。あまりに対照的で、それは少し、哀しい。
玄関を出ると今日も朝練の光景が目に飛び込んでくる。娘は昨日と打って変わって、ちらりとも見ようとしない。アメリカン・ブルーが朝の光と風を受けてゆらゆらと揺れている。今朝花は二つきり。さっさと階段を降り始める娘の後を追って、私も階段を下りてゆく。 今日は私も登校班を見送る係。娘の後に続いて自転車を押し、その場所へ行く。まだ誰もいない。すると、娘が私の腰に手を回してくる。ハグハグ。丸い小さな顔を胸元に押し付け、気持ちいいんだよねぇなどと言う。 横断歩道の向こうから同級生の姿が現れる。するとぱっと私から離れ、何食わぬ顔を始める娘。さっきまでの仕草と今の顔とがあまりに違いすぎて、私は思わず笑ってしまう。 それじゃぁいってらっしゃい。全員を見送る。そして私は自転車に足をかける。
銀杏並木の緑。まだ青々としている。でもこれもじきに薄くなって、やがては黄金色に変わるのだ。そして次はモミジフウの季節。褐色の、とげとげした、形の変わらぬ実を落とす。そうすればもう、私が待つ冬の到来だ。
今日は撮影の仕事がこの後控えている。その前に。海まで走ろう。そこで一本煙草が吸いたい。朝の贅沢。私は走りながら、今日の予定を頭の中で組み立てる。銀行、郵便局、撮影、画像処理、あぁそれから父母への電話も忘れないようにしなければ。あと他に何があったっけ。えぇっと…。 一日はあっという間に始まり終わる。さぁ急げ。波に乗り遅れないように。今頃海はきっと、朝の光を全身で受け、きらきらきらきらと輝いている。 |
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