見つめる日々

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2009年09月09日(水) 
もしかしたら四時半に起きることが癖になり始めているのかもしれない。今朝もその時刻に目が覚める。窓の向こうはどんよりと薄暗い。徐々に徐々に、日が昇る時刻も遅くなってきている。
ふと見るとミルクが小屋の中、一番狭苦しい場所に身体を挟んでいる。しばらく見ていても動く気配がない。ミルク、ミルク、どうしたの。読んでみると顔はこちらに向ける。もしかして挟まって出てこれないのだろうか。いや、あそこはそこまで狭い場所ではない。おかしいなぁ。ミルクミルク、どうしたの、何してるの。するとミルクは、ひょろっとその場所から出てきて、鼻をひくひくさせながら私の方に近づいてくる。なんだ、やっぱり挟まってるわけじゃなかったのか、心配したじゃない、何してるの、まったく。私が苦笑いしながら彼女に話しかけると、彼女は何言ってんの、挟まるわけないじゃない、といった顔つきで、後ろ足で立ちながらなおも鼻をひくつかせている。ちょっとだけ、と思い手を出すと、早速手に齧りつく。やめてくれぇ、とうめきながら私が手を引っ込める。
ベランダに出て髪の毛を梳かす。薔薇の樹を見やりながら。蕾だけになったかと思いきや、すっかり忘れていた、小さな小さな桃色の丸い花を咲かせる薔薇が、ちょこねんと二つ花を開かせ始めている。あらごめんなさい、すっかり忘れていた、あなたたちのこと。話しかけながらその花をそっと撫でる。一輪で咲くのではなく、二輪、三輪まとまって咲くこの薔薇は、開きかけた花のその周りに、すでにもう幾つかの蕾をたたえている。そういえば買ってきた液肥は何処においたっけ。私は部屋に戻り、慌てて液肥を袋から取り出す。このプランターには三本、このプランターには四本、順々に挿してゆくと、あっというまに液肥三箱はなくなっていく。その時ひとまわり強い風が吹いて、髪の毛がふわっと風になびく。

昨日はいつもの娘の塾の復習の後、突如思いついて映画館に走った。ちょうど三千円、お財布に入っていたこともあり、私たちは全力で走った。娘に何も告げず、とある映画を見る。
予備知識は殆どなく、思いつきでその映画を見たのだが、見ている最中、娘は突っ込む突っ込む、自分で突っ込みながら笑い転げる。かと思うと鼻をすする音がしたりもする。あっという間に映画は終わり、私たちは明りがついてから席を立つ。
ねぇママ、主人公の人の名前、あれ、何だっけ、えっと。又兵衛だっけか。そうそう、又兵衛とれん姫だよ。死んじゃうの、ずるいよねー、又兵衛が死ぬなられん姫も追いかけて死んじゃうとかならないのかな。そう来るか、うーん、二人とも死んじゃったら哀しいんじゃないの。あの男の子、自転車で最後転んで骨折したりしないかな。うーん…どうなんだろう、わかんない。
帰り道、自転車に乗りながら、後ろで、又兵衛れん姫又兵衛れん姫と歌う声が響く。多分年齢的に娘にちょうど合ったのだろう。連れて行ってよかった。普段遊ぶ時間など殆ど無い娘なのだから、これくらい楽しみがあっていい。
ようやく昇り始めた月が、私たちを細く長く見つめている。

朝の一仕事が少し早く切り上げられて、私は昨日残した洗い物にとりかかる。娘はココアとミルクの世話をしている。
そうだ、今日は娘の髪を三つ編みに編んでやろう。声をかけて彼女をベランダに立たせる。私と同じくらいの長さの髪を梳き、二つに分け、それをさらに三つに分けてきつめに編んでゆく。そういえば、私は母に、こうして髪を編んでもらった記憶はない。母が結ぶときはいつも、ただ二つに分けて結ぶだけだった。それも小学校に上がるまでで、それからは髪の毛はいつも自分で結った。母も幼い頃から髪が長くて、それは自分で管理するものだったのだろう。私にもそう教えた。私は時折、自分の髪をあれこれ結ったり解いたりしては、新しい髪形を考えたものだった。
娘は、どうもそういうところはないらしい。髪の毛を短く切るのはいやだけれども、あれこれ結び方を楽しむということはない。放っておくといつも後ろひとつ、ひっつめている。同じ子供でも、それぞれなのだなぁ、と、娘の髪の毛を結びながら、私は苦笑する。

玄関を出ると、とたんに校庭から声が飛んでくる。そうだ、もう朝練の時期だった。今日はちょうどリレーの練習。娘が、一文字に口を結びながら、じっとそれを見ている。今彼女は何を思っているのだろう。私は声をかけたくて、でもかけなかった。
アメリカン・ブルーが、ぷるぷると、風に震えている。

マンションを出ると、そのまま娘は登校班の集合場所へ。とことこ歩いてゆく。その後ろを私が自転車にまたがりついてゆく。と。
娘が小走りに走った。私は自転車を漕ぐ。娘が少し走る。私は自転車を漕ぐ。走る。漕ぐ。
あっという間に集合場所へ。まだ誰もいない。私たちはどちらからともなく顔を見合わせ、そしてちょっとだけ笑う。
じゃ、ママ、行ってくる。すると娘が両手を私の腰に回し、ゆるいハグをする。そして。
ママ。
唇をちょこねんと突き出してくる娘。軽くキスを返し、じゃぁねと手を振る。ばいばーい。娘の声が徐々に遠くなる。

娘にキスを教えたのは私だ。彼女が幼い頃、これでもかというほどキスをふりまいた。暇さえあればキスしていた。じじばばにはそのことで、しょっちゅう怒られた。そんなことしていると変な風に育っちゃうからやめなさい! じじばばが目を吊り上げてそう怒るのを、はいはいと聞き流していたのは私だ。そして今。
人前でも自分がキスしてほしければ唇を突き出してくる娘。私はさすがにちょっと恥ずかしくなっていたりする。まぁこれが、ツケというものか。苦笑しながら私はいつもキスを返す。
それでも。
何も無いよりいい。ハグもキスもなくなったら、つまんない。

雨が。細かい細かい雨が降ってきた。自転車で出てしまったというのに、と小さく舌打ちしつつ、でもこのくらい、まぁどうにかなるだろう。うん、まぁいい、このくらい。本降りになったらなったで、濡れて帰ればいい、それだけだ。
私は漕ぐ足に力を入れる。今日もまた一日が始まった。いったん走り出したら止まらない時間を追いかけて、何処までいけるか。さぁ、行こう。


遠藤みちる HOMEMAIL

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