見つめる日々

DiaryINDEXpastwill HOME


2009年09月13日(日) 
窓を開けると一面朝靄が広がっている。あぁなんて柔らかい景色なんだろう。私はしばしその様子に見入ってしまう。少しずつ明るくなっていく空から薄いヴェールが降りているかのようだ。街の鋭い輪郭が、みんな仄かに浮かび上がって、まるで生まれたての芽のようだ。
金魚が死んだ。朝一番の覗き込んだ水槽の中、水草にひっかかって死んでいた。私はそっとビニールに遺体をくるむ。金魚の身体はぷよぷよしてやわく、ちょっと爪を立てたら破裂してしまいそうだ。そっとそっと遺体を運んで、土に還す。長い間ありがとう。おまえを、でかすぎるとかでぶすぎるとからかったりしたこともあったけれど、毎朝その長い尾ひれを眺めるのはとても楽しかった。美しい流線型にうっとりもした。朱文金という種にあたるおまえは、白銀の身体に黒や赤のぶちをつけていて、水草の間をするりと泳ぐときなど、その鮮やかな色の帯は目を見張るものがあった。本当に長いことありがとう。私は金魚といた時間を思い返しながら、土をそっとかける。そして、水槽にいつもの半分ほどの餌をまく。途端にぱくぱくと小さな口が餌を食べてゆく。小さな小さな、死んだ金魚の四分の一あるかないかの体の金魚。おまえはどこまで大きくなってくれるだろう。大きく育て。心の中でそう、私は呟く。

昨日病院でもらった目薬は、目に挿すと目尻がとてもかゆくなる。しばらく我慢しないと、掻き毟りたくなる。薬局でもらった効能を確かめれば、それは確かに、アレルギーの炎症を抑えるとあるのだが、本当にこれ効いているのだろうか、と疑いたくなる。しかし、まぁ医者を信じて私は目薬を指す。早くこの腫れや痒みが収まってくれますように。
ひとつ思いついたのは、目尻から零れる目薬を綿棒でそっとぬぐうこと。それだけで痒みが半減する。ぬぐっていいものなのかどうか分からないが、あまりの痒さに私はそうすることで掻き毟りたくなるのをしのいでいる。
夕方、疲れがどっと出たのか、うとうとしてしまう。気づけば娘に電話をかける時間をとおに過ぎている。慌てて電話をかける。母が出、娘はもううとうとしているからと返事が返ってくる。詫びに詫びて、明日またかけると言って電話を置く。ただそれだけなのだが、とてつもない失敗をした気がして、私はどっと汗が出る。参った、うとうとするなんて普段ないことだ。油断していた。私は目の前の時計に舌打ちし、目を伏せる。

そういえば昨日は雨だった。小雨が降ったり止んだり、かと思うと驟雨に変わったり。ちょうどその驟雨の中、私は自転車を飛ばして帰ってきたのだった。久しぶりにはいたスカートもポロシャツも、ぐっしょり濡れた。でも、私はとても楽しかった。
雨の中、傘をささずに自転車で走る。後先を考えなければ、これほど楽しいものはない。まさにざぁざぁと叩きつける雨の中突っ走っていると、まるで自分が一匹の獣になったかのような気分になれる。叩きつける雨をものともせず突っ切ってゆくことはだから、とても小気味よく、私の心に響いてくる。
でも私はあくまで人間であって獣ではない。家に帰ればぐっしょり濡れ雫の垂れる洋服や濡れそぼる髪を乾かさなければならない。これが面倒なのだ。これが面倒だから、仕方なく私は傘をさす。これさえなければ、私は傘なんて一本も持たないで過ごすかもしれない。そう、傘は便利な代物だけれど、雨の味を身体で味わえなくなるところがなんだかもったいなくて、私はいつもちょっとがっかりするのだ。何となく、どこか損をしている気持ちになるのだ。だから実は、幼子が母親に手をひかれながら雨合羽を着てちょこちょこ歩いているところなどに出会うと、ちょっとばかりうらやましくなっていたりする。

ふと母に愚痴をこぼしてみたくなり、今朝娘と話した後、ぼそりと声にしてみる。父のことだ。すると母は、からからと笑い、一言。「そりゃ無理よ、あの人にそれを分かれっていうのは。自分はいい時代に役員でやり通した人なんだから。無理無理!」。あまりのそのからりとした母の言い振りに、私も苦笑してしまう。確かに、今たとえば私が時給いくらかの仕事をしたとして、それをかつての父の時代の父の立場でのものと比べてしまったら、それは、「そんなもので働いているといえるのか?」となってしまうのだろう。それは私も頭では分かっている。そんな金しか得られないものは頑張っているなどと言えない、くだらない仕事としかみなせない、というのも、分からないわけじゃない。でも。そう、私はここで、でも、と思ってしまうのだ。流せないのだ、母は言う、「いいじゃない、流せば。そうねぇお父さんの時代はよかったわねぇ、私もその時代に生まれたかったわよくらい言い返せばいいのよ」と。そう考える思考回路が、どうも私には、ない。
「自分の人生なんだから、結局は自分がどれだけそれに満足できるか、しかないのよ」。母が言う。ここでそう切り返されるとは思っていなかった私は、どきりとする。
そう、自分の人生。自分以外の誰も生きることのできない、代わりになることのできない私の人生。私は今、自分の人生に納得しているだろうか?

朝の一仕事を少しばかり早く終え、私は早々に玄関を出る。アメリカン・ブルーの鉢に、いつものように朝陽が降り注いでいる。埋立地のビル群を見やれば、それもまた、淡い朝靄に包まれ、いつもより優しげに見えてくるから不思議だ。私はひとりきりなのに思い切り笑顔を浮かべたい気分になりつつ、自転車にまたがる。
さぁ、娘を迎えにゆくまでのあと数時間、めいいっぱい呼吸して過ごそう。まずは海まで。きっと今ならまだ間に合う。淡く光を乱反射させさざめく海に。


遠藤みちる HOMEMAIL

My追加