見つめる日々

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2009年09月14日(月) 
空の裾に灰色の雲が横たわる。朝というのはたいていそうだ。空の裾野に雲が横たわっている。そして今日は。きっといい天気になるのだろう。のぼるほどに明るい色合い。東から伸びてこようとする陽光にもう空は応えている。
ベランダに立ちそうやって空を眺めながら、私は髪を梳く。微かな風がよぎる。薔薇の蕾たちが一斉にふるりんと揺れる。静かな時間だからこそ確かめられるその感触を、私はしばし楽しむ。
そうして振り返れば金魚の水槽。私はじっと覗き込む。今のところ大丈夫だ。新しくやってきた金魚は、すでに居た金魚と追いかけたり追いかけられたりして水草の間を泳いでいる。ペットショップの人の言葉で私はかなり心配していたのだ。水が違うだけですぐにだめになりますから。それは当たり前の言葉だったのだけれども、つい先日金魚の死に出会ったばかりの私には、鋭く響いた。今までだって受け取っている言葉だったけれども、それでもなお、その言葉は痛かった。だから昨夜夢にまで金魚が出てきた。死んだ金魚。ぬめる金魚。目の澱んだ金魚。
ミルクとココアは眠っているのだろう、ふたりとも巣に入っている。と思ったら、ミルクが鼻をひくつかせながら出てきた。私の姿を確かめると、途端に出入り口のところにやってくる。そして今か今かと待っている。朝は忙しいのだけれどもなぁと苦笑しながら、私はそっと抱き上げる。ちょっと手のひらで遊ぶと、すぐに飽きるのか、人の指を噛んでくる。私はそれに合わせてミルクを巣に戻す。
そうしている間にも東からの陽光はどんどん広がり、部屋の中も明るくなってくる。夜は明ける。静かに静かに。

昨日娘を迎えに電車に乗る直前、思いついて花を買う。リンドウに最初手が伸びるが、ちょっと迷った末、黄色い花を選ぶ。リンドウは私が大好きな花の一つだけれど、今の母には黄色の方が似合うかもしれない。そう思って。
敬老の日に以前花を贈ったら、父にむっとされた。おまえに老人扱いされる覚えはない、とのことだった。私は唖然とし、同時に苦笑したが、まぁ父らしい一言だった。なので、敬老の日そのものにプレゼントするのは、孫である娘の役目にまわし、私はその前後に何か贈ることにしている。今年はこの、可憐な小さな黄色い花。
電車に乗って30分弱、改札口に行くと娘が飛んできた。それを確かめて父が帰ろうとするのを引きとめ、黄色い花の鉢植えを渡す。あくまで父にでなく母へ、ということで。父に何かを贈ろうとすると、金もないくせに、とぶつぶつ言われるので、私は父には直接何かを贈らないようにしている。全く、気を使わせる親だな、とちょっと思いはするけれど、それが父らしいといえば父らしいのだ、だから、お母さんにね、と言って手渡す。何も言わず、ただ肯いて父は受け取る。
電車の中で娘とあれこれ話をする。朝のばばとのウォーキングの最中に、また栗をひろってきたのだ、という話。いがいがの栗を足で割るにはコツがいるのだという話。スイミングスクールで自己ベストが出た話、もうじじは何泳ぎでも自分に叶わないのだという話、あれやこれや娘の話は続く。そうしているうちに電車は、横浜に到着する。
行き交う人たちの間で、私たちは靴の話をする。ねぇママ、私ブーツがほしい。えー、ママだって持ってないのにもうブーツですか、それは無理ですよ。えー、ブーツ欲しいよぉ。お財布に相談して考えましょう。今は無理です、はい。じゃぁママの靴、何か買おうよ。見るのはいいけど、買うのは無理だね、うん。ほら、お財布はこんな具合です。あ、ない。うん、ない。そうして私たちは笑い合う。でも、一応見るだけねと言いながら私たちは靴屋を散策する。娘は小四ですでに23.5センチ、私は25.5センチという、二人ともでか足の持ち主。見るところは当然限られていて、LLサイズのコーナーだ。かわいいの全然ないねぇ。ないねぇ。でかいからねぇ、かわいいのはないんでしょう。ママ、これどう? ヤダ、絶対やだ、そんな派手な靴、はきたくない。えー、かわいいじゃん、ピンク。ママにピンクの靴なんて似合うと思う? 似合わないかも。でしょ、無理です。結局、納得できる靴はひとつもなく。私たちは早々に退散する。

朝の一仕事の最中、娘が突如、ママ、夢見た、と、泣きそうな顔で起きてくる。どうしたの、と聞くと、ミルクとココアが死ぬ夢を見た、という。大丈夫、ほら、見てごらん、ふたりとも元気だよ、と私が指さす。娘は恐る恐る籠に近づく。そして、ふたりの姿をそれぞれ確かめ、大きな安堵のため息をつく。夢かぁ。夢だよ。そっかぁ、よかったぁ。
昨日珍しく買ってみたパンで今日は朝食だ。娘は明太子ポテトのパン、私はきのこ入りのパン。それぞれむしゃむしゃ食べる。食べながら私は、ふと思いついて娘に言う。
ねぇ、ママ今日、少し早く出てもいい? なんで? お家賃とか振り込まなくちゃいけないから。いいよ。この前だってやったじゃん。自分で窓とか全部閉めて鍵しめてってできるよね? うん、できる。じゃぁ、ママ、出掛けるよ。
パンツ一丁の姿で見送りに出てこようとする娘を何とか押しとどめ、私は玄関で手を振る。頼んだよ、じゃぁね。うん、じゃぁねー。
大丈夫だろうか。不安はある。でも。これも練習。泥棒が入ったって、取っていけるようなものは大してないはず…。

電車に揺られ、私は病院の最寄り駅を目指す。今日はカウンセリングだ。話すことは山ほどありそうだけれども、私が果たして口にだすのかどうか。口に出すことがちょっとでも面倒になると、私はだんまりを決め込んでしまうところがあるから。カウンセラーにとっては扱いづらいだろうなぁと思う。でも、言葉が言葉として正確に形にならないまま口に出すことが、私にはどうしてもできない。曖昧な形で口に出すことが、どうしてもできない。本当は、カウンセリングという場だからこそ、多少曖昧でも口に出して、カウンセラーと共同作業でそれを明確にしてゆくのかもしれないのだけれど。まだ私には、それができない。

店に入るとき注文したカフェオレはもうすっかりぬるくなってしまった。気づけばこんな時間。銀行に寄ったらちょうどよく病院の時間になるだろう。娘は無事に、学校へ出掛けたろうか。鍵っ子、というものに我が子がなることなど、彼女を産んだときには想像もしなかった。でも、今それは現実だ。これからますます、そうなっていく可能性は高い。馴れていかないと、お互いに。私は自分で自分にそう言いきかせる。

空は高く高く、眩しいほど光渦巻いている。眉間にしわを寄せて歩いていく人、携帯の画面をひたすら見つめてゆく人、子供の手を引いて小走りに改札に飛び込んでゆく人。朝の時間は忙しい。
私もそろそろ、席を立とうか。
手を伸ばしてもとても届きそうにない高い空を仰ぎ、今日一日を思い描く。
さぁ今日も一日が始まる。二度とない、唯一無二の、今日という一日が。


遠藤みちる HOMEMAIL

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