見つめる日々

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2009年09月15日(火) 
まだ夜は明けない。どんよりとした暗い空の下、私はベランダでひとり髪を梳く。風がずいぶんと冷たくなった。半袖では鳥肌が立つ。ベランダの手すりに寄りかかり、街をぼんやりと見やる。何処からともなく鴉の姿。電柱に一度止まった後、一直線にゴミ置き場に舞い降りる。そうだ、今日はゴミの日だったと思い出しながら、私は鴉を見つめる。私は鴉が苦手だ。学生の頃、目の前を歩いていた人の頭を鴉がその鋭い嘴で突付いたときの光景が思い出される。それは突然で、あまりに鮮烈だった。赤い血がぱっと辺りに散って、頭を抱えてその人がしゃがみこんだときには鴉はもう飛び去っていた。近くに巣があり、気が立っていたのだろう。そうだとしてもあの、太い鋭い嘴の印象は忘れられない。だから鴉が飛んでくると、どうしてもその行き先を確かめてしまう。好きだからではなく、怖いから、そうせずにはいられない。

そしてふと足元の、置きっぱなしにしておいた鉢を見、ぎょっとする。もう芽が出ているじゃないか。この葉はイフェイオンと、ムスカリだ。あぁ、油断していた。それにしたって、この鉢にはもう長いこと水をやっていない。それにも関わらず芽を出すとは。私は半ば呆れ、その鉢の傍らにしゃがみこむ。なんて強いのだろう。なんて逞しいのだろう。この生命力は一体、何処から来ているのだろう。
徐々に徐々に空が明るくなってくる。しかし、今日はどんよりした雲行き。いつ雨が落ちてきてもおかしくはない。今日は社会科見学があるのだと娘は言っていたが。大丈夫だろうか。見上げる空から、今にも雨粒が落ちてきそうだ。
今朝もまた、私は水槽を覗き込む。大丈夫、元気だ。色艶もいい。二匹の金魚をじっと見つめ、私は確かめる。自然、餌に手が伸び、気づいて止めた。これは娘の仕事だ。小さな仕事かもしれないが、娘の仕事は娘の仕事、私がやってはいけない。

昨日は病院だった。カウンセリングの日。聞かれるまま、応えてゆく。そして途中から私は、疑問を投げかける。カウンセリングと診察はリンクしていないのか、と。あまりにちぐはぐな診察とカウンセリングに挟まれて、正直私は辟易しているからだ。医者に言われるままに始めたカウンセリングだった。しかし話ができず、何度も医者に無理だと訴えた、しかし医者は、同じ女性同士話ができないでどうするの一点張りだった。そうして私はメモをカウンセラーに手渡すようになる。そのメモに沿って話を進めてもらう。そうやって少しずつカウンセリングにも慣れてきたが、慣れてくるにつれ、診察とカウンセリングの隔たりに悩むようになった。カウンセラーが応える。できるだけ連携をとれるように努力します、と。努力しますというのは、具体的にどのようにやるのか、と問う。返事が滞る。私も黙る。そうしてカウンセリングの時間が終わる。
薬はまだ必要だ。カウンセリングも多分、何かしら必要なのだろう。しかし、このままの形で診察とカウンセリングを平行して受け続けて、私はその先に何を見出せるだろう。私はPTSDを克服したいのだ。そのためにここに通っている。その目的が曖昧になってゆくのなら、別の方法なり別の道、別の手段も考慮に入れていかなければならないかもしれない。
次回のカウンセリングの予約票を何となく眺めながら、私は、自分は何処へ行こうとしているのだろうとぼんやり思う。

鞄が小さく震えた。携帯電話を見ると珍しく母からのメール。「花をありがとう。宿根草だから増えたらあげるわね。黄色は幸せを呼ぶ色なのよ…」。母らしいメールだ。あの花が実家の庭の一隅でふわふわと風に揺れる様を思った。そんな日が早く来ればいい。あの雲が東に流れゆく間にも、母の命は一刻一刻刻まれている。それを言ったらもちろん私や娘、父の命も同じだ。しかし。もう寿命を宣告されている者は。その命をどう生きるか。私はそのことを、母を思うときいつも考える。自分が寿命を宣告されたとしたら。どう生きることができるだろう。死への恐怖が勝ってしまうときだってあるだろうに、しかし母は今のところその様子を私に出したことはない。この年になれば寿命があと何年って言われても同じなのよとさらっと言うが、それでも。
黄色は幸せを呼ぶ色なのよ。死を前にしても、そう言って微笑めるような、そんな人間であれたら。母の姿を思い浮かべながら、私はそのことを思う。

朝の一仕事を早めに終え、ベランダの方から順々に水遣りをする。ホワイトクリスマスもマリリンモンローも、パスカリも諸々の薔薇たちがみなこぞって蕾をつけている。そして何より新芽だ。赤い赤い新芽があちこちから顔を出している。こういう姿を見るとき、私は本当に嬉しくなる。生きているのだな、呼吸しているのだなということがありありと分かって。
ステレオから、姫神の「大地はほの白く」が流れてくる。それと共に娘も起きてくる。
私が籠の前に座って、つまんないなぁと呟いていると、娘が、キャベツあげればいいじゃん、と言う。あぁそういえばそうだった、と、冷蔵庫からキャベツの葉をちぎって出す。巣の前に差し出ししばらくすると、くんくんと震える鼻が出てきた。ミルクもココアも起きてはいたらしい。名前をそれぞれ呼びながらしばらく待つと、両方でそれぞれにキャベツを食べ始めた。がりがりと大きな食べっぷりのミルクに、しゃりしゃりと小さく手で押さえて食べるココア。その食べ方の違いがあまりに明らかで、ちょっと笑ってしまう。

玄関を開けると、今日は応援団の朝練らしい、歌声が聞こえてきた。娘が少しうらやましそうにそれを見ている。応援団になれなかったのは残念だったねと、心の中で私は呟く。
じゃぁね、それじゃぁね、手を振り合ったところで、ぽつり、雨が降ってきた。あ、傘、と言いかけて止める。もう娘は歩き出している。私もそのまま自転車にまたがる。
重たげな雲の下、今日もまた一日が始まろうとしている。


遠藤みちる HOMEMAIL

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