2009年09月17日(木) |
ミルクの回し車の音で目が覚める。朝からからからと忙しい。もっと走れ、もっと走れ、おまえはうちに来てからあっという間に太って、もはやそのおなかは間違いなくメタボとしか言えない様相になっているのだから。私はその音を聞きながらベランダに出て髪を梳く。今日は少し風が強い。薔薇の枝がこぞって揺れている。街路樹の緑がざわざわと揺れている。 空が徐々に徐々に明るくなってゆく。今日はこれならきれいに晴れるのだろう。地平線際に横たわっていた雲も風に押されてぐいぐい流れてゆく。ひとところにとどまっているものは誰もいない。 先日挿した薔薇の枝の中で、新芽を持ったものがやけに元気だ。他のものは少しずつ葉を垂れさせているのに、そのものだけがぴんと上を向いている。もしかしたらこれはいけるかもしれない。私はその新芽にそっと触れてみる。みずみずしい力強さが私の指の腹を跳ね返す。 明るい桃色の、丸々と咲く薔薇が、どうしてもきちんとは花開かない。まん丸に太り、花びらを三、四枚開いたところで止まっている。これは肥料が足りないのだろうか。私はじっとその花を見つめる。小さいながらもふわりと咲く様を見てみたいのだけれど。液肥がちゃんとささっているのを確かめて、私は部屋に戻る。 ステレオのスイッチを入れると、シークレットガーデンのプロミスという曲がかかる。私はその音を聞きながら、朝の仕事を始める。
最近、腕の傷跡が少し痛痒い。気づくとつい腕を掻いている。季節の変わり目はたいていそうだ。もう切らなくなってずいぶん経つのに、と思う。私の左腕には一面傷があって、それはもう隙間なくあって、だから目を閉じて腕を触っても、その傷跡がありありと分かる。よくもまぁここまで切ったものだと思う。いまさらではあるけれども。 私が腕をざくざくと切り始めた頃、その頃の主治医が私に言った。左腕は切ってもいい、でも、その腕以外のところは決して切らないで、約束してちょうだいね。どういう意図で医者がそう言ったのか、私には分からない。でも、その言葉があったから、私は長いこと左腕を切ることだけで何とか自分を押しとどめてこれた。今見ても、右腕にあるのは数えるほどの傷だけだ。それも左に比べたら全く浅く、今では白い傷跡になっている。左のような、へこんだぼこぼこの皮膚ではない。 あの言葉がなかったら。私はもしかしたら、体中を滅多切りにしていたかもしれない。実際何度、自分の胸や首に刃を向けたか知れない。けれど、向けるたび、あの声が蘇ってきたのだ。左腕以外は切ってはいけないよ、という声が。 切らなくなって、傷が治っても、私の皮膚のこのでこぼこさはもう戻らない。段々になったようなこの皮膚はもう元には戻らない。 そして時々思い出す。左腕以外は切らないで。あのときの主治医の声を。
多分、左腕は、私が生き延びるための犠牲になったんだと今は思う。あの頃私が時間を越えるための犠牲になってくれたのだ、と。 そして生き延びて、思うのだ、左腕だけでよかった、と。あそこからさらにこうして自分が今在ることなど、あの頃は想像もできなかったから、だからこそ容赦なく切りつけることができた。傷つけることができた。でも。 生き延びるということは、その傷を背負って、引き受けて、生きることだということを、私はあの頃知らなかった。そこを越えてもなお生き延びてゆこうとすることは、その傷跡と共に生きることなのだということを、私は知らなかった。
時々。本当に時々、重くなることがある。この腕が、この傷跡が。 見るに見かねた父母が、一度だけこんなことを言ったことがある。皮膚移植したらどうだろう、と。それほどに醜い腕だった。 言われて、気づいた。 この傷跡には、私が関わってきた人たちの生き血がこもっているのではないだろうか、と。 もちろんそれは私の錯覚で、私の勝手な想像で、現実ではないことは分かっている。でも。 私が夜を越えるために腕を切り裂き、血を滴らせていたあの頃、いろんな人たちがいろんな形で私を支えてくれた。その人たちの涙や呻きが、この傷跡になって残っているのではないか、と、そんなふうに私には思えたのだ。 私のあまりの血まみれの腕に、ショックを受け、それがトラウマになってしまった人も中にはいる。私は、そうやって多くの人たちを傷つけてきた。多くの人たちを泣かせてきた。私が生き延びていることは、その人たちの傷や涙の上に在る。 だから。父母に言った。それはいいよ、と。やめておく、と。もちろん、この傷を皮膚を新しいものに変えることができたら、それはそれでまた違う人生が待っているのかもしれない。けれど。 多分きっと私はこの傷がこの腕がここに在ったことを忘れることはできない。皮膚が美しくなったとしても、その向こうに、でこぼこの、傷だらけだった皮膚を思い出すだろう。それならば、正面切ってこの傷を引き受けて行く方がいい。そう思った。 時々この腕は重くなる。時々この腕は呻く。覚えているか、覚えているか、と。だから私は、そっと撫でてなだめる。ああ、覚えているよ、覚えている、忘れてなんていやしない、だから、眠っていい。私はちゃんと生き延びてゆくから、と。
少し前、友人の娘さんが言っていたという言葉を思い出す。傷だらけの腕でもちゃんと堂々と出して歩いてるんだね、という言葉。 いや、違う、そんな立派なものじゃない。でも、この腕は私の一部で、間違いなく私の一部で、だから私はそれを引き受けていたいだけなんだ。逃げたくないだけなんだ。この腕に関わった多くの人たちのあの目を忘れたくないだけなんだ。
寝癖だらけの髪の毛で娘が起きてくる。次に何をするのかと思いきや、金魚に餌をやりにいく姿。おお、ちゃんと金魚のことも構っているのか。すっかりミルクやココアの世話にかかりっきりになっているのかと思ったが、これなら大丈夫だなと私は安心する。ねぇママ、水草が邪魔なんだよね。うーん、なんか伸びすぎたね。これでもこの前水槽を掃除したとき半分に切ったんだけど。でも邪魔だよ。どうする? うーん。 朝から水槽の前、二人して頭を抱える。そんな私たちにお構いなしに、金魚は餌を忙しげに食べている。
娘は袖なし短パンで、私は半袖のポロシャツを着て、玄関を出る。玄関を開けると途端に耳に飛び込んでくる鼓笛隊の音。運動会の朝練だ。今日は応援団も練習に加わっている。歌声が右で弾け、リレーの選手の掛け声が左で弾け、校庭は子供らの息吹でいっぱいだ。放送係を担当する娘は、何の因果か、高学年のリレーの放送の担当にもなった。娘はそれについて何も言わない。他に担当する二種目についてはあれこれ説明してくれるのだが、リレーに関しては何も言わない。何も言わないということが、逆に本当はどれほど言いたいことを含んでいるかを思わせる。でも、私も、あえて何も言わない。 登校班も、今日のような日は、娘は同じ学年の仲間がひとりもいなくて、とぼとぼ歩いていく。その背中を見送りながら、私は心の中エールを送る。娘よ、負けるな、潰れるな、ママはちゃんとここであなたを見ているから。
風が強いせいだろう、今日は波が高い。きらきらきらきらと弾ける波間に、魚が時折ぴょーんと飛び跳ねる。白い飛沫があがっては弾ける。 ふと私は左腕を見やる。白い光に晒されて、腕はちょっと気持ちよさげだ。 今日やることは何だったか、母に捜して欲しいといわれたものも探しておかなければ。今日の娘の復習に必要な素材も用意しておかなければ。考えてみたらあれこれやらなくてはならないことがあるではないか。私は自転車を漕ぐ足にいっそう力を込める。 ぐずぐずしてはいられない、さぁ今日も一日が始まる。 |
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