2009年09月18日(金) |
電話の音で目を覚ます。何だろう、こんな時間に。ふらふらしながら立ち上がり受話器を上げる。途端に切れる電話。呆気にとられる。わざわざこんな時間に電話をかけておきながら切ってしまうとは。何だったんだろう、一体。私は切れた電話をしばし見つめながら思う。何もなければいいのだけれども。 空はまだ暗い。窓を開けベランダに出ると一気に冷気が私を包み込む。あぁ風が強い。街路樹の葉が、白緑の裏側を見せながらひゅうひゅうとなびいている。一番端の薔薇が葉を棘に絡ませているのを見つけ、私は一枚一枚それを外す。傷ついた葉はもう元の姿には戻れない。かわいそうに。しかし、どうして薔薇には棘があるのだろう。鋭く太い棘を全身にまとって、薔薇は何を怯えているのだろう。その凛とした立ち姿からは怯えなど微塵も感じられないのだけれど。私には見えない何かと戦っているのだろうか。私にただ見えないというだけで。 餌箱の中にでんと座り餌を齧るミルク。ココアは眠っているのだろう、しんとしている。かりかりかり、かりかりかり。そういえば昨夜眠る前には回し車の音が延々と響いていた。元気なのはいいことだ。これが病気になどなって元気がなくなってしまったら、多分私はもう、いてもたってもいられない気持ちになるのだろうから。そんなことになるくらいなら多少うるさくても、元気でいてくれるのが一番いい。ミルクがようやく私に気づいたのか、首を後ろに回し私を見上げる。しかし、今は餌を食べるのが優先なのだろう。すぐにミルクは餌を齧ることに専念する。
開け放した窓からびゅうびゅうと風が吹き込み、カーテンが踊る。何度か抑えてみたものの無駄な抵抗。私は思い切ってカーテンも開けてしまう。すると、さっきまで暗かった空がほの赤く染まり、一面にうろこ雲が広がっているのが見えた。それは実に美しく、私はしばし見惚れる。刻一刻と変わりゆく空の色、雲の様。いつまでもどこまでも見つめていたい気持ちになる。もし今手を伸ばしたら届きそうな、そんな錯覚を覚える。きっとひんやりと冷たくて、同時にほんのり甘くて、それはちょうど泡菓子のようなんだろう。東の空からさぁっと光の帯が伸びる。今、夜が、明けた。
朝の仕事をしながら、自分の不安定な生活を思う。会社に保障されているわけでもない、まるで浮き草のような身分。それだって今私がぶつかることができるから為せているだけで、それができなくなったらそれで得ている仕事さえなくなる。それがなくなった時、私たちはどうなるんだろう。もし私が熱に倒れたりいつかの娘のように骨折でもしようものなら、それだけで生活は立ち行かなくなる。自分の年齢も重い。もういい年だ。いつ障害がでてもおかしくない年だ。誰が助けてくれるわけでもない。 父母が心配してあれこれいうのも最もだ、と、思う。言われれば勿論その時は面倒くさくて、聞き流してきたが、もう聞き流せる域ではないんだろう。水位でいえば、もう、私と娘の肩を越えているんだろう。それが、分かる。 いっそのことPTSDを治すことに専念したらどうだ、と、父があれこれ提案するのも、今は分かる。父ももう永くはない。だからこそ私に言うのだ。だからこそ。 私は、どうしたらいいんだろう。何を選択し、行動していったらいいのだろう。
ただ、もし今ここで動くのを止めてしまったら、という怖さもあるのだ。もっと動けなくなるんじゃなかろうか、と。だからずっと抵抗してきた。自分で動ける分は動いていたいと。 でも。 どうなんだろう。この勢いで私はあと一体どのくらい、やっていけるんだろう。娘を抱えて。
六時に起こしてと言った娘の意志に沿って、私は何度も娘に呼びかける。娘は、もう起きたよと一旦は返事するものの、すぐまた寝入る。こういう場合、どうしたらいいのだろうなぁと私は仕事をしながら思う。いつものように七時まで寝かせるのがいいのか、それとも彼女の意志を尊重してしつこく起こすのがいいのか。結局私は、十回ほど彼女を呼んで、止めた。 すると、七時を過ぎて、彼女がぷりぷり怒りながら起きてくる。どうして起こしてくれなかったの、と来る。だから何度も起こしたんだよと言い返すと、いや、起こしてないと怒る。どうしてそんなに起きたかったのかを尋ねると、担当した放送の言葉を練習したかったらしい。これじゃぁもう練習できないじゃない!と泣きそうな顔をされ、私は困ってしまう。とりあえず彼女の髪を結い、椅子に座らせ、おにぎりを渡す。
そういえば昨日、差出人不明の手紙が届いたのだった。今の私の住所を知っている誰かからなのだろうが、それが思い当たらない。お借りしているものがそのままになってしまい申し訳ございません。でも必ずお返ししますから。と、白い便箋にしたためてあった。誰だろう。私は何を貸したのだろう。覚えていない。多分きっと、縁遠くなった誰かなのだろうけれども。 そして思った。もう、いい。私が何を貸していたとしても、今はもういい。元気でいてください、と。思い出せない誰かに向かって、そう呟くしか、私にはもうできないから。私がここを引っ越したら、この手紙ももう届くことは、ない。 私たちは、いつここを動くことになるか、それさえも、定かではない。
娘を急かして玄関を出る。今日も朝練の音が響き渡っている。リレーの選手たちと鼓笛隊の音。それを背に私たちは急いで階段を駆け下りる。少し葉を丸めたアメリカン・ブルーが私たちを見送ってくれる。今日帰ったら必ず水遣りをしなければ。
自転車に乗っていると母から突然電話がくる。銀杏の木の下に自転車を止め、話を聞く。テレビで偶然見たのよ、私たちだけじゃないって、あなたたちの年代も、肝炎の疑いがあるらしいわ、検査受けなさい! 母が矢継ぎ早に言う。一ヶ月に一度になった検査を受けに行ったその待合室で、テレビを偶然見たらしい。母はもう、心配の嵐だ。あなたはよく歯医者に行っているけど、そこで血止めの薬とか使ってない? うーん、どうだろう、気にしてなかった。そういうのがよくないのよ、肝炎につながるのよ、検査、近いうち必ず受けてよ。分かった、約束するから、ね。私はもう寿命が決まってるようなものだし年も年だから諦めがつくけど、あなたにはまだ娘がいるんですからね、ちゃんとやってよ! 母の悲鳴がぐさぐさと心に刺さる。諦めたと言っても、母はそうやって自分を宥めているだけなのだということを、改めて痛感する。 そして母がぽつり、言う。うちの家系はほんと、みんな早死にだから。 確かにそうだ。祖母も叔父も68で亡くなった。二人とも癌だった。全身に癌が転移して、そして亡くなった。骸骨のようにやせ細って。大叔母も白血病で亡くなった。身体に水がたまり、ぼろぼろになりながら亡くなった。 年上の友達がみんな言ってたわ。65を過ぎると突然身体にがたが来るんですって。そこを越えられるか越えられないかで、70代を生きられるかどうかが決まるって。あなた、ちゃんと生きなくちゃだめよ。畳み掛けるように母が言う。 私は母が30の時の子供だ。そして私も30の時に娘を産んだ。母と私の年齢の差はそのまま、娘と私の年齢差にも当てはまる。母の年齢になったとき、私はどんな思いで娘を見つめているのだろう。私が母の年齢になった時…そこまで生きることなど私はこれっぽっちも考えていなかったけれども、でも、生きることができたとき、私はどんなふうになっているのだろう。
再び漕ぎ出した自転車は、風を切って進む。銀杏並木を瞬く間に過ぎ、今、モミジフウの場所も過ぎた。そして目の前に広がるのは、海、だ。 この近くから、ヘリコプターが港を周遊するのだという。一回約10分。でもそれは、飛行機とはまた違う光景を私たちに見せてくれるのだという。ねぇママ、全教科100点とったらヘリコプター乗せてね、と、言っていた娘の言葉を思い出す。もうかなり前のことだ。娘はもう忘れているかもしれない。 乗せてやることが、できるだろうか、いつか。別に点数を取る取らない関係なく、彼女をヘリコプターや船に乗せてやれるような身分になれるだろうか、いつか。 耳に挿したヘッドフォンから、シークレットガーデンの、エスケープという曲が丁度流れてくる。エスケープ、か。私はもし逃げるなら何処に逃げたい? でももう、逃げる場所なんてない。私はここから歩いていくしかない。 さぁ、ひとつ深呼吸、気持ちを変えて、今日も行こう。一日はもう、始まっている。 |
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