2009年09月19日(土) |
まだまだ外は暗い。明るくなる気配もない。窓を開け外に出る。昨日とはうって変わって、生温い風。私は洗いたての髪を梳く。 大通りをぽつりぽつり走り去る車のテールライトが、闇に流れ、溶ける。日が昇るのはどんどんと遅くなり、日が落ちるのはどんどんと早くなる毎日。向こうの風呂屋の煙突も、今は闇の中。
久しぶりに写真展を見に都内へ出る。いつもながらひどく揺れる電車に乗って、ただひたすら駅に着くのを待つ。最初の頃、新宿駅での乗り換えがなかなかできなかった。あまりに人が多すぎて頭がくわんとするのだ。人の波が幾重にも交差していて、自分が一体どこに流れていけばいいのか、分からなくなり、結局立ち止まる。ひとつひとつ掲示板の文字を確かめ、それでも時に間違えながら、何とか次の駅に辿り着く。今はもうだいぶ感覚が呑みこめてきた。ここにいる人たちはみな目的地を持って動いているのだからとにもかくにも迷わず進む。その波に多少外れようと、自分もだから、まっすぐ目的の場所へと急ぐ。のほほんと歩いていると人にぶつかられる。それもまた怖い。だから自分で自分を急かし、次へ次へと進む。それがここを渡り切るコツだと知った。何も考えず、ただ進む。 ようやく辿り着いた写真展の場所は喫茶店で、いつもと変わらぬ笑顔の店員さんが迎えてくれる。私と連れ合いはそれぞれに、思い思い、写真を見つめる。
写真とは、ただ撮ったものでありながら、なぜこんなにもそれぞれ違うんだろうといつも思う。撮られる者より、撮る者の在り様が浮き出てくる。撮られる者は、撮る者のフィルターによって、いかようにも姿を変えて浮かび上がってくる。 昔を思い出す。私がまだ街をまともに歩くことができなかった頃、それでも街に出て写真を撮ろうと、友人とともに何度か早朝の街に繰り出した。同じ道、同じ街角を撮っているにも関わらず、できあがった代物は全く異なるもので、私たちはそのあまりの違いに笑い合ったものだった。私は眼鏡をかけてはいないけれど、私の目というだけで、もうすでに私の眼鏡、私と云うフィルターをもってして世界を眺めているのだということを、その時改めて知った。 会場で四者四様の写真群を見つめ歩きながら、久しぶりにまた街に撮りに出かけたい気持になった。
朝の仕事をしながら、自分の来月からの展覧会のことを少し考える。並べる作品はもう絞り込んだものの、納得いくプリントがまだ出来上がっていない。DMは仕上げた。あとは住所を書き込みポストに落とすだけなのだが、それがまだ何も手をつけられていない。作品展に合わせて会場に並べる資料のうち、一部がまだ仕上がっていない。 あぁ、なんだ、まだまだやることが残っているじゃないか。私は頭を抱えたくなる。あっという間に時間と云うものは過ぎるのだ。のんびりしていると、作品展は目の前になってしまう。計画を立てて進まなければ。
珍しく朝からココアが回し車をまわしている。その音につられ、娘が起きてくる。ほら、おにぎり、今日は岩海苔のおにぎりだ。娘に手渡す。娘がまだ半分眠りながら、それでもはぐはぐとおにぎりを食べる。
そういえば昨日、珍しく弟から電話があった。父母に連絡がつかないと云うから、今朝話をしたよ、と告げる。それなら安心だな、と弟もほっとしたようだった。ひとしきり、子供の話や仕事の話をする。それに加え、それぞれの生活の不安定さを話す。 弟のところにはまだ幼いがもう二人の息子がいる。手のつけられない腕白坊主と、一方、人の笑いをとるのがうまいおちゃめな男の子だ。上の子は弟の幼い頃に瓜二つで、写真だけで見ると間違えそうになるほどだ。 「今の仕事、そろそろ限界かもしれないと思ってさ」弟が云う。でも弟の強いところは、次をもう考えているところだ。また切り札をいくつも持っている。「まぁ何とかするよ」弟が笑って云う。うん、頑張れ。私はそう答える。 まだ思春期の頃、私たちは親の目を盗んでは、お互いの部屋を行き来し、真夜中、あれやこれや話し通して過ごしたものだった。親のことでお互い悩んでおり、その話は尽きなかった。 もうあんな時間は戻ってこないけれど、私はありありと覚えている。あの時間があったからこそ、あの家に耐えていることができた。あの頃の私たちは、まさしく戦友だった。
徐々に徐々に空が明るくなってくる。でも今日は空一面に雲が広がっている。曇りなのだろうか。 「ねぇママ、この茎わかめちょうだい!」。娘が突然言い出す。先日友が送ってくれた宅急便の中に入っていたものだ。「やだぁ、半分ずつだよ」「えー、茎わかめは私のだよ」「どうしてー、ママだって好きだもん」「えー、やだぁ、私のだってばー!」。後ろではシークレットガーデンの、Raise Your Voicesが流れている。 さぁもう今日は出かけなければ。やることは山ほどある。そしてじじばばが、孫が来るのを、首を長くして待っている。 |
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