見つめる日々

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2009年10月25日(日) 
濃紺一色だった世界に水平線が現われる。空と海とを分ける一本の線。二色の色。その色が徐々に徐々にはっきり分かれてゆく。空にはまだ昨日の雨雲が漂っている。薄の穂が強い風に揺れ、足元では波が激しく砕ける。私がこうして情景を記している間にも、私の目の中でどんどんと色は変化してゆく。それに追いつききれることはない。

小さな庭園の中、ガラスの光が溢れている。小さなライトの下で、澄んだガラスがきらきらと輝く。細かな模様が刻まれたそれは、まるで万華鏡のように変化する。雨の中訪れたその場所なのに、雨粒とともにガラスの光が遊んでいる。それで気づいた。この間感じたガラスに対する違和感を。私はガラスをこうやって光と共に遊ぶものと捉えていたんだろう。だからこの前の、陶磁器に似たガラスの在り様に、違和感を持ったんだ。でも、どちらもガラスの在り方で。どちらを否定してもガラスではない。
ガラスは、まるで鏡のようだ。人をそこに映し出す。多分、今私の周囲にいる誰かと、私のそれとを形にしたら、全く違う。顔が違うように、同じ器であっても異なる輝きを持つんだろう。

ロダンとロッソの彫刻を一度に見るのは初めてなんじゃないだろうか。ロダンのそれが内面の塊、叫びとすれば、ロッソのそれは陰影の彫刻に感じられる。光によって編まれるそれは、唄を歌っていた。切ない唄、寂しい唄、笑いに満ちた唄、それぞれがそれぞれに。叫ぶのでもない、カミーユのように囁くのでもない、歌っているのだ。私はだからその唄に耳を傾ける。目で見る唄だ。思い出したのはシークレットガーデンのRaise Your Vices。あの歌声に何処か似ている。
荻原守衛の坑夫も並んでいる。そう、荻原の女を初めて目の前にした時、私は思わず目を閉じた。あまりに哀しくて目を閉じた。しんとしてそこに在り、一筋の光さえも色を変えるかのような哀しさだった。今思い出しても涙が溢れるほどにそれは哀しかった。今ロッソと同じ部屋に荻原の彫刻を見、はっとする。荻原の彫刻とロッソのそれとが何処か似ていると思うのは、私だけだろうか。ロダンに恋焦がれ渡欧した荻原だが、彼の彫刻は、カミーユとロッソの間にあるような気がする。囁きと唄との間に。

娘が日記を書いている。彼女はそこにハムスター日記とタイトルをうっている。どんなことを書いているのか私は知らない。いつも私の机の横に腹ばいになって、ミルクかココアを手に乗せたり肩に乗せたりして数行書いている。
私も幼い頃から日記をつけていた。小学生の頃の日記帳は何処へやっただろう。今残っているのは中学生後半から二十代後半にかけてものものだ。それ以降、私は病に陥り、その中でも一番堕ちていた時期で、日記さえ書けなかった。だからそれらの時間は何処にも残ってはいない。
文字を書き記すのが好きだった。ただ一文字、今、と書くだけでも私はどきどきした。青、と書けば一番に海が浮かび、空と書けばその後に樹、水、光と続いた。文字を書いているだけで、私は落ち着いた。哀しみも憤りも切なさも何もかもが、浄化されてゆくかのようだった。同時にそれは魔物だった。一文字書くことによって、それはまさに刻印される。書いてしまうということはそこに、遺してしまうということでもあった。刻んでしまうということでもあった。一度記したそれは、消しゴムで消してももう私の心からは消えなかった。それほどの力を持っていたから、憧れもし、恐ろしくもあった。
娘にとって言葉は、どんなものに育っていくのだろう。今記しているそれを読み返したりすることはあるんだろうか。
私はいつか、全てを燃やしてやりたいと思っている。燃やして天に返したいと思っている。できることなら。
彼女は、言霊を、どんなふうに捉える大人になるんだろう。

できるなら、夜明けを見たかった。ぱっくりと割れる水平線を見たかった。昨夜の雨雲の残りに覆われ、それは叶わない。残念ながら。
私は歩く。海岸線を。ただ歩く。うねうねと続く道。右は崖、左は海。私はその境を歩いている。まるでこの境目は人の生き様のようだなと思う。轟々と唸り砕ける波に呑まれることなく、そして逃げることなくこの道を往かねばならない。曲がりくねる道の先は見えない。何処へ続くか誰も知らない。それでも歩く。歩いて歩いて歩いて。
そうして私は、何処へ何処へ辿り着けるんだろう。

立ち止まり、波の砕ける様を目の前にしながら、昨夜の娘との短い電話を思い出す。さっきプールから帰ってきたんだ。私の目の前で黒い波がどうどうと砕ける。どうだった? うん、たくさん泳いだ。ママはどう? うん、疲れたあ。明日は何時頃? 夕方だな。分かった、また電話して。それじゃぁね、じゃあね。
電話を切ればまた目の前に黒い黒い闇の海がうねっている。私は電話を片手に、その海を見つめる。目を閉じても何をしても、ごうごうとどうどうと唸る音から逃れることはできない。耳を手で塞いでみても、隙間から音は零れてくる。そして目を開ければ。
まるで招いているかのような波だった。こっちへおいで、こっちへおいで、と招いているかのような波だった。誰がゆくものか、と唇を噛んだ。おまえのところへゆくのはまだ先だ。私はこのまま生きる。おまえに呑みこまれることなく、このまま往く。

朝は来た。夜は明けた。そして目の前に海と崖。そして一本の道。私はそうやって歩いてゆくんだろう。何処までも何処までも、自分の持ち時間いっぱい。
海鳥が目の前をゆく。私は一瞬目を閉じる。そして再び目と耳を澄ます。
今、世界に。


遠藤みちる HOMEMAIL

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